第四十八話 日が悪い

 Kさんという男性が、中学三年生の時に体験した出来事だ。

 当時のクラスメイトに、Aさんという女子がいた。

 顔立ちの整ったきれいな子で、Kさんも密かに気になっていたのだが、その彼女には、少し奇妙なところがあった。

 学校を、よく休むのだ。

 それも、尋常な頻度ではない。月に数度、ほぼ毎週一回は必ず休む。

 曜日は決まっていない。月曜日からいきなり休んだかと思えば、金曜日まできちんと出席しておいて、土曜日だけ突然姿を見せないこともある。

 始めは、サボりか登校拒否か……と思ったが、先生に聞いてみると、どうやら「家庭の事情」らしいと分かった。

 もっとも、それがどのような事情なのかは、さすがに詳しく教えてもらえなかった。

「個人的なことだろうから、あまり深入りするな」

 そのようなことを言われただけで、すぐに追い返された。しかし先生の言い回しから思うに、もしかしたら先生も、Aさんの「家庭の事情」が何なのかは、よく知らなかったのかもしれない。

 結局――Kさんは納得できず、Aさんに直接尋ねてみることにした。


 休み時間のことだった。

 一人で席に座っているAさんに近寄って、多少緊張しながらも話しかけてみると、Aさんは少し驚いたような顔をした。

 どうやら、誰かから声をかけられるなど、思ってもみなかったようだ。

 そう言えば、彼女が友達と話しているところを、Kさんは一度も見たことがない。

 ともあれ、できるだけ不自然さのないよう装いながら、KさんはAさんと、簡単な会話を交わした。その中で、やはりできるだけ自然に、Kさんは尋ねた。

「そういえば、よく休むよね。何か用事でもあるの?」

 するとAさんは真顔で、こう答えたという。

「――日が、悪かったから」

 それだけだった。

 どういう意味かは分からないまま、そこで休み時間が終わり、会話は途切れた。

 ただその後、二人の会話を眺めていた別のクラスメイトから、「あまりAさんとは関わらない方がいいよ」と密かに忠告された。

 何でもAさんの家は宗教関係の施設だそうで、それもあって、いろいろとよくない噂がささやかれていたようだ。

 もちろん宗教と関わっているからと言って、偏見の目で見るのは間違いだろう。しかし、彼女の「日が悪い」という言葉の意味不明さが、「宗教」というキーワードと結びついた途端、不意にしっくり来てしまったのも、事実だった。

 それに後で調べてみたところ、「日が悪い」という言葉は、もともと占いの世界などで使われるものらしい。早い話が、「アンラッキーデイ」だ。

 とはいえ――それで学校を休むというのも、いささか行きすぎている気がする。

 何にせよ、これでKさんの興味が尽きることはなかった。

 そもそも、密かに思いを寄せていた女子との会話が成立したわけだから、他人から「関わるな」と言われたところで、素直に従うわけがない。

 Kさんはそれからも、事あるごとに、Aさんに話しかけた。

 Aさんも特に迷惑には思っていなかったようで、次第に硬さも薄れ、向こうから話しかけてくることも増えていった。

 順調――と呼べる状態だったのだろう。

 だから……というわけでもないが、ある時Kさんは、Aさんを遊びに誘ってみたという。

 一学期の期末試験が終わった直後だった。夏休みに入れば、塾の夏期講習なども始まり、お互いに忙しくなる。遊ぶならこのタイミングがベストだろう、と踏んだわけだ。

 二人で繁華街をぶらつこうと言うと、Aさんも笑顔で頷いてくれた。

 しかし――日取りを決めかけた途端に、彼女は真顔で、こう言った。

「ごめん、そこは、日が悪い」

 唯一都合が合うはずだった日曜日のデートは、こうしてあっさりと流れた。


 ただ――その流れた日曜日に、Kさんは不可解なものを見たという。

 近所のスーパーで買い物をして、その帰り道のことだ。

 たまたまAさんの住所の近くを歩いていた時だ。

 ――あ、この辺りに住んでるのかな。

 そう思いながら、何となく辺りに目を走らせていると、ふと道路を挟んだ向かいの歩道を、Aさんが一人で歩いているのが見えた。

 声をかけようかと思ったが、少し距離がある。そばに横断歩道があったので、急いで渡って追いかけようとした。

 ……そこで、思わず足が止まった。

 遠目に映るAさんの横顔に、違和感がある。

 唇が――なぜだか異様に、赤い。

 口紅を塗ったように、と言えば聞こえはいいが、まるで唇全体が血に染まっているように見える。

 それに……もし口紅だとしたら、そもそも顔全体に化粧をするのではないか。

 Aさんは、ここから見る限り、化粧などしていない。

 ただ唇だけを、毒々しく真っ赤に膨れ上がらせている。

 何だか――あまりに異様に思えて、Kさんは声をかけるのを諦めて、その場を立ち去った。

 その翌日、学校でAさんに昨日のことを聞いてみると、「それは私じゃない」と言われた。

「でも、そっくりだったよ」

「私じゃないよ。私、昨日は家から一歩も出てないから」

 ずっと家にいた、という。

 日が悪かったから――だそうだ。

 Aさんはそれから、「昨日見たものは誰にも言わない方がいい」とだけ告げ、それ以上は何も語らなかった。


 その後夏休みが始まると、Aさんと会う機会は、すぐになくなった。

 当時は今と違ってネットがなく、気軽にメッセージのやり取りをすることもできない。せいぜい自宅に電話をかけるぐらいだが、その場合、どうしても相手の家族の反応が気になる。

 そもそも――「Aさんの自宅」というだけで、Kさんは、どこか逃げ腰になってしまっていた。やはり、宗教施設である、というのがかせになっていたのだろう。

 そのまま一ヶ月以上が過ぎた。八月も終わりに近づいた、ある日の昼下がりのことだ。

 突然Aさんの方から、Kさんの自宅に電話がかかってきた。

 今から会えないか――という。

 Kさんは驚きながらも、冗談めかして尋ねた。

「今日は、日はいいの?」

『日は……悪い』

 しかし、会いたいのだという。

 とりあえず、近くの小さな神社で待ち合わせることにした。Kさんは急いで支度じたくを整え、表に出た。

 異様に暑い午後だった。

 少し歩くだけで滴る汗を拭いながら、Kさんが神社に着くと、境内の片隅にAさんが立っていた。

 唇が――血塗られたように、真っ赤だった。

 Kさんはギョッとして、鳥居に入る寸前で足を止めた。

 ……同時にすぐ背後で、けたたましいブレーキ音が鳴り響いた。

 ハッとして振り返った瞬間、全身に衝撃が走った。

 自転車だった。

 猛スピードで道を走ってきた自転車が、Kさんをねたのだ。

 Kさんは激しく転倒し、地面に仰向けになった。

 起き上がろうとすると、猛烈な痛みが足を襲った。

 目に涙をにじませながら、Aさんに助けを求めようと、境内を見た。

 だがそこには、Aさんの姿など、どこにもなかったそうだ。


 Kさんは、足を骨折していた。

 自転車の主はすでに逃げ去っていたため、き逃げ事件として捜査されたが、犯人は見つからなかった。

 しかしKさんにとっては、些細なことでしかなかった。

 それよりも遥かに重たい出来事が、起きてしまったからだ。

 Aさんが――亡くなったのだ。

 ……いや、正確には「亡くなっていた」と言うべきか。

 Kさんと会うために家を出て、すぐのことだったという。

 車に撥ねられて、即死だったらしい。

 だが事故を知ったAさんのご両親は、娘の死を嘆くことなく、こう呟いたそうだ。

「――日が悪いから、あれほど出ては駄目だと言ったのに」

 ……何でも、Aさんはご両親の意見を無視して、無理やり外に出ていったらしい。

 ――もう「お告げ」など聞きたくない。

 ――私は自由に出歩きたい。

 夏休みに入ってからというもの、Aさんは懸命に、ご両親に向かってそう訴えていたそうだ。

 彼女はついに、その思いを実行に移したのだろう。

 Kさんに会いにいく、という形で――。


 足が治った後、Kさんは初めて、Aさんの家を訪ねた。

 せめて焼香でも上げられれば、と思ったのだが、あいにくAさんの家に仏壇のようなものはなかった。

 ただ――見たことのない祭壇のようなものなら、あった。

 いつか見た唇の色と同じ、毒々しい赤に塗られた祭壇だった。

「本日は××様がおわしますので、どうぞお参りを――」

 Aさんのご両親は、Kさんに祭壇を見せ、そう促したそうだ。

 ××の部分は、よく聞き取れなかった。

 ご両親曰く、××様が出歩いている日は、人は外出を控えた方がいいらしい。

 Kさんは――適当に話を切り上げ、早々にAさんの家を出た。

 そしてやり切れない思いのまま、残りの中学生活を送ったという。


 ……ただそれからも、真っ赤な唇のAさんが外を歩いているところは、何度か目撃したそうだ。

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