第五十八話 金曜日の誘い
今は地方の会社に就職しているIさんが、まだ東京で大学生をしていた、十五年ほど前のことだ。
当時Iさんが所属していたサークルは、いわゆる「飲みサー」だった。表向きは文化系のサークルを名乗っていたが、特に専門的な活動をしていたわけではなく、毎週金曜日の夜に学内外の男子女子を集め、ひたすら飲む。それがメインだった。
規模としてはさほど大きくなかったが、週一で女の子を交えて大勢で騒ぐのは、やはり楽しく、Iさんはこのサークル活動を存分に満喫していた。
ただ――問題は、会長のSだった。
Sは酒にだらしないが、女にもだらしなかった。しばしば酔い潰れた女子学生を、介抱するという名目で連れて帰っていた。
おかげで、後でトラブルになることもよくあった。直接抗議に来る女の子もいれば、代わりに友人や父親が怒鳴り込んでくる場合もあった。それ以上に一番多かったのは、毎週参加していたはずの常連の子が、Sに連れていかれた後はぱったりと姿を見せなくなるという、泣き寝入りじみたケースだ。
いずれにしても、Iさんを含めた他のメンバーは、見て見ぬふりをしていた。
Sがサークルのトップだから――というのもあるが、事を表沙汰にしてサークルを潰してしまうのが嫌だったから、という気持ちの方が強かったらしい。
ところがそのうちに、某名門大学のイベントサークルが関与していた組織的性犯罪が世間に発覚し、大ニュースになった。これを機にIさん達は、さすがにSに意見するようになった。
サークル存続のためにも、
……事件が起きたのは、そんなことがあった年の、秋のことだ。
金曜日の夜。Iさん達はいつものように、大学近くの居酒屋で飲み会を開いていた。
参加者は三十人ほどで、Sの隣に座っていたのは、よその大学に通っているという女子学生だった。
最近誕生日を迎えて二十歳になったばかりだという彼女は、顔立ちが可愛らしく、スタイルもなかなかよかった。だから間違いなく、今夜のターゲットにされるだろう――と、Iさん達は密かに思っていた。
ところがよほど酒豪なのか、彼女は人一倍速いペースで飲みながらも、一向に酔い潰れる気配がない。逆にSの方が、負けじと飲むうちに
やがて夜の九時を過ぎた頃には、Sはすっかり酔い潰れて、眠ってしまっていた。
Iさん達はSをほっといて、勝手に盛り上がった。ところがしばらくして、引き上げる頃になって、メンバーの一人が不思議そうに言った。
「おい、Sは?」
Sの姿はどこにもなかった。
さらに気がつけば、隣に座っていた女の子もいなくなっていた。
彼女に介抱されて先に帰ったのだろうか。しかし、それを見た者は誰もいない。
もっとも、この時点で心配する者が一人もいなかったのも、事実だ。
「大丈夫だろ。子供じゃないんだから」
誰ともなく言うと、みんなそれに納得して、店を引き上げた。
Sの行方が分からない――。Iさんが他のメンバーからそれを知らされたのは、週が明けて数日が経った、木曜日のことだ。
次の飲み会を控えた前日。打ち合わせのためにSの携帯にかけても一向に出ないし、メールしても音沙汰なし。彼が大学の近くに借りているアパートにも行ってみたが、チャイムを押しても返事はなく、数日分の郵便物が溜まりっ放しになっていたそうだ。
ようやく心配になったIさんは、メンバーに聞いてみた。
「なあ、あの時Sの隣に座ってた子、誰か連絡先知ってる?」
彼女に確かめれば何か分かるかも――と思った。だが奇妙なことに、それに答えられるメンバーは一人もいなかった。
名前も、どこの大学かも分からない。しかもなぜか顔写真すらない。先週の人数を思えば、誰か一人ぐらい飲み会の様子を撮っていても、おかしくないのに。
結局――Sの行方は分からないまま、金曜日を迎えた。
さすがにこの日の飲み会はキャンセルになった。Iさんは講義が終わった後、友人達とキャンパス内で適当に時間を潰し、その後解散した。
夜の七時のことだ。
最寄りの地下鉄の駅に向かっていたIさんの携帯に、不意に電話がかかってきた。
Sからだった。
『……おい、何……てる? ……もう始……て……』
声が途切れ途切れでよく聞こえなかったのは、Iさんが地下にいたからか。
『みんな……飲んでる……来いよ』
よく聞き取れなかったが、「飲み会が始まってるから来い」と言っているのは、何となく分かった。
「Sさん、今どこにいるんですか?」
『……や……ま』
電話はそこで切れた。
IさんはすかさずSの携帯にかけ直したが、出る様子はなかった。
そこへ次々と、他のメンバーからメールが届いた。みんな、Sから同じ内容の電話をもらったようだ。
急いで駅前に集合した。しかし誰も、Sの居場所は聞き取れていない。
山――と聞こえた気もしたが、あいにく東京のど真ん中に山はない。
結局、Sが無事だと分かっただけでも充分ということで、探すのは諦めた。
しかしそれ以降も、Sの行方は分からなかった。
ただ――妙なことに、毎週金曜の夜七時になると、Sから電話が来るのだ。
『……おい、何……てる? ……もう始……て……』
『みんな……飲んでる……来いよ』
『……や……ま』
内容はいつも同じだった。
どんなに耳をそばだてても、電波状況のいい場所にいても、声は途切れ途切れだった。
しかしメンバーの中には、Sの声に交じって大勢の女の子の笑い声が聞こえていた、と言う者もいた。
それが一箇月続いた。
さすがに警察に相談した方がいいと、誰もが思い始めていた。そんな時、Sを見つけたという報せが入った。
報せてきたのは、当の警察だった。
Sは、アパートで冷たくなっていた。首を吊っていたそうだ。
死後一箇月は経っている――とのことだった。
事情聴取を受けたIさん達は、一連の奇妙な出来事を話した。しかし、まともに取り合ってはもらえなかった。
Sの死は、ごく普通の自殺として処理された。
こうして代表を失ったサークルは、しかしそれからもしばらくの間、活動を続けたそうだ。Sを
ある冬の金曜日。Iさんがいつものように飲み会の席で飲んでいると、隣に座っていた女の子が満面の笑みを浮かべ、Iさんのグラスにビールを注いできた。
この子は誰だっけと思いながら一口飲んで、一瞬意識が飛びかけた。
ハッとして目を見開くと、そこにはまったく別の女の子が座っていて、他のメンバーと楽しく騒いでいた。
……その日の帰り道、Iさんは駅の階段から転落して、しばらくの間首が動かせなくなった。しかしそれを機についにサークルを辞め、酒も飲まなくなったそうだ。
一方サークルの方では、その後もメンバーが次々と不可解な事故で首を痛めるということが相次ぎ、自然と解散になったという。
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