第65話 最終話「心臓いっぱいの愛を」(22)


柳原ヤギ、しばらく動かないでいてもらえるか。俺に考えがある」


 俺は嗅覚を最大にして、建物の外を探った。幸いなことに隣接する建物との間に「彼ら」がいてくれそうな場所があった。


「お前さんには悪いが、少しばかり癖のある連中に助けを求めることにした」


「癖のある連中?」


 俺は柳原ヤギの問いには答えず、前方のドアに向かって左手を伸ばした。十メートルはあるが、まあ届くだろう。俺は指をピストルの形に構えると、指先から特殊な粘液を放った。


「……おい、何をしてるんだ」


「だから援軍を呼ぶと言っただろう」


 ドアの上部に命中した液体を確かめ、俺は言った。……果たしてここまで来てくれるか。


「お前、まさか……」


 しばらくすると、俺たちの背後から羽音のような低い唸りが聞こえてきた。


「待て、待て。援軍というのはつまり……」


 柳原ヤギが言い終わらないうちに、俺たちの傍らを黒い不定形の塊が通り過ぎて行った。 次の瞬間、黒い塊の中央を分断するかのように、俺たちの目の前で「鎌」が振り下ろされた。


「わあああっ」


「走るぞ、柳原!」


 俺は床に突き刺さった「鎌」の上を、ハードル競争のように飛び越えた。柳原ヤギがついてきている気配を感じつつ、俺は正面のエレベーターを目指した。


「おいっ……少しは……休ませろ」


 蠅たちの動きに合わせ、振り下ろされる「鎌」を、床に刺さったタイミングで飛び越えるには、一瞬たりとも休まず蠅の後ろを走らねばならない。

 後ろの柳原ヤギがどんな顔をしてるかは知らないが、血の気がすべてなくなっても休ませるわけにはいかない。


「よし、着いたっ」


 四つほど「鎌」を飛び越えたところで、ようやく俺たちはエレベーターの前に辿り着いた。俺は荒い息を吐いてしゃがみこんでいる柳原ヤギを尻目に、上へと向かうボタンを押した。


「上を見るなよ、柳原ヤギ


「頼まれても見ねえよ」


 柳原ヤギは床面を睨みつけながら言った。ドアの上方には俺がお招きした「味方」の皆さんが楽しく集っている最中だ。


 俺はドアの上の壁にかろうじて見えている階数表示を見た。幸いなことに動力は生きているようで、数字が点灯し、エレベーターが徐々に降りてくるのが見えた。


 この早さなら、二十七階はすぐだな。そう思った時だった。


「おい、イズミ」


「なんだ」


「あの左右にあるでかい木の実みたいなやつ、おかしかねえか」


「木の実?」


 俺は左右を見た。俺たちの両側、少し離れた場所に棘だらけの丸い物体がいくつか転がっていた。たしかに木の実というか、あああいう棘の生えた種子はあるが、問題は大きさだ。直径二メートルはある。そんなものが、もし……


「やばい、こっちに転がってくるぞ」


 柳原ヤギが叫んだ。俺もすぐに事態を察し、階数表示のランプを見た。ランプはエレベーターが二階まで来ていることを示していた。


「間に合わない……くそっ挟み撃ちにする気だな」


 俺は上を見上げた。ドアのすぐ上の壁面から、太い枝状の物が突き出ていた。俺はその「枝」めがけて本能的に鞭を放った。鞭が枝に巻き付くと俺は跳躍し、鞭を手繰った。


柳原ヤギ、鞭にぶら下がれっ」


 俺が叫ぶと、足元で柳原ヤギが鞭に飛びつく気配があった。枝がしなり、同時に下の方で何かが勢いよくぶつかる音がした。下を向くと、二個の「種子」が激突し、はじき合って再び左右に戻ってゆくのが見えた。


「ふう。随分と大味なトラップだな」


「だが食らえばただじゃすまない。行くぞ、柳原ヤギ


 俺たちは床に飛び降りると、すでに到着しているエレベーターに乗り込んだ。


 幸い、エレベーターの内部はさほど植物の浸食を受けておらず、ところどころに蔦らしきものが這っている程度だった。


「二十七階だったな」


 俺がボタンを押すと、ケージがゆっくりと上昇を始めた。俺たちは危険から開放され、つかの間の安堵を味わった。


「なあ、柳原ヤギ。和久井さんがいる階についたら、どうやって救出するつもりだ」


「わからねえ。とにかく説得して、強引にでも連れ帰るつもりだ」


 俺は押し黙った。あの映像を見る限り、彼女は少なからず「プラント」の一部に影響を受けている。もし体内に寄生されていたら、切り離すのは相当に困難と言っていい。


 それにしても、と俺は思った。確かに一度、彼女はあの病院で「プラント」に寄生された。だが彼女の心臓が小さすぎたために失敗し、身体から出ていったのではなかったのか。


 もし仮に「プラント」の一部が、あの後も彼女の体内で生き続けていたとすれば……


「たしかに小鳥の巣だったら、少々高い木の枝にあっても何とか場所を移せたがな」


 柳原ヤギが無念そうに言った。そう言えばこの男は、小鳥の安否を気遣うような人間だった。


「でも気持ちはあの時と一緒だな。何とかして危ない目から助け出したい。それだけだ」


 柳原ヤギの語気にいつもの強気がいくらか戻った、その時だった。二十七階の表示が灯り、「チン」という音がしてエレベーターが止まった。


柳原ヤギ、気をつけろ」


「ああ」


 俺たちはドアの方を向いて立った。一階での出来事を考えると、どんなものが飛び出してきても不思議はなかった。

 ドアが開き始め、飛び出すべく身構えた俺たちは、その場に硬直せざるを得なくなった。開いたドアの前にいたのは、武装した数人の男たちだった。


「やっぱり来たわね、ゾンビさん」


 男たちの背後から、聞き覚えのある声が飛んできた。同時に目の前の隊列が割れ、二つの人影が現れた。一人は植草咲夜、もう一人は、久しぶりに見る顔だった。


「ご無沙汰してます、泉下さん」


逢賀おうが……」


「随分と軽装ですな。どうやらこういう事態は予想していらっしゃらなかったとみえる」


 俺は歯噛みし、自分の見込みの甘さを呪った。ミカが言っていた「中にまだ人がいる」という表現は、解釈を広げればこういう連中が巣くっているという風にも取れたのだ。


「だから言ったでしょ、あなたの手に負える事件じゃないって」


 咲夜が勝ち誇ったように言い放ち、男たちに目で何かを示した。次の瞬間、俺と柳原の顔に銃口が突き付けられ、俺たちは否応なしにホールド・アップの姿勢を取れされた。


「ふふ、おとなしくしていれば、ご褒美にめったに見られない、素敵なショーを見せてあげるわ」


「ショーだと?」


 俺は両手を上げたまま、咲夜を睨みつけた。


「そうよ。古い種にとって代わる新たな存在の誕生を、特等席から存分に見るといいわ」


 俺たちは手錠をはめられ、フロアの中央に移動させられた。正面は壁面がすべてガラス張りになっていて、外の様子を見ることができた。


「見えるでしょ。あの枝の先に立っているのが、あなたたちのお一方が助けに来た女性よ」


 俺たちは同時に窓の外を透かし見た。俺より先に驚きの声を上げたのは、柳原だった。


「和久井さん!」


 窓の下から斜め上に向かって伸びた枝の上に背を向けて立っていたのは、千草だった。


           〈第二十三回に続く〉

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