第26話 第二話「あなたがここに来てほしい」(13)


 昼下がりの果樹園に、人影はまばらだった。


 木立の間をゆったりした空気が流れ、犬を連れた老人や、乳児を抱いた母親が日差しに目を細めながら歩いていた。


 ――俺は、ここを紫蘭という娘と歩いたのかな。


 俺は時折立ち止まり、色づき始めた果実や、風にそよぐ枝をぼんやり眺めた。

 誰かと一緒にいた記憶も、女性の顔すら蘇っては来なかった。


 ――結局、記憶という財産を失ってしまえば過去など存在しないに等しいのだ。


 美しい風景とは裏腹に、俺の胸には虚しさが広がっていった。「トゥームス」に戻る前に一度、過去の痕跡をたどってみようという行為は、結局、失望を大きくしただけだった。


 ――「トゥームス」に戻ったら掃除をして、在庫の整理をするか。


 ぼんやりそんなことを思った、その時だった。


「泉下さん」


 不意に名を呼ばれ、俺は振り返った。意外な顔がそこにあった。


「和久井さん」


 立っていたのは千草だった。白衣ではなく、カットソーにデニムというラフないでたちだった。髪を下ろしているせいか、病院で見た時より、若々しい印象だった。


「珍しい場所でお会いしますね。……今日はお休みですか?」


「今日も何も、このところずっと休業みたいなものです」


「……あれから一週間以上、経つんですね」


 千草は声を潜めた。表情がわずかに強張っていた。


「そうですね。……まるで夢みたいな出来事でした」


「あの……大樹さんは、あれからどうなりました?」


「大樹は、よくわからない連中に連れ去られてしまいました」


 俺が正直に言うと、千草は「本当ですか?」と目を見開いた。俺はそれ以上説明することができなかった。あの後、病院でもそれなりにひと騒ぎあったに違いない。なにせ、入院中の患者が二人も同時にいなくなってしまったのだから。


「大樹さん、なんだか具合が悪そうでしたよね」


「ええ。そのことも含めて気になっているんですが……」


 俺は沈黙した。大樹の中で、プラントの活性化が進んでいないことを願うばかりだった。


「あの、私、今になって思い返すと、仲島さんが来てからあの晩までの出来事が、何か私だけの悪い夢だったんじゃないかとさえ思えるんです」


 千草は両手で二の腕をかき抱くと、ぶるっと身体を震わせた。


「もう忘れましょう。悪夢のような物だったんです」


「ええ。そうですよね。……話題を変えましょうか。泉下さんは、よくここへ来られるんですか?」


「いえ、実を言うと今日が初めてです」


「そうだったんですか。偶然ですね、私も今日、初めて来たんです。お友達にとても素敵だからって勧められてたんですけど、なかなか機会がなくて……」


「普段、お忙しいでしょうから、うんと楽しんで行かれたらいいですよ」


「私、友達が少ないんです。融通が利かなくて、歳上の人にも平気で意見とかしてしまうし……だから男の人にも言い寄られたことがないんです」


「そういうしっかりした女性が好みの男性も、きっといますよ」


 安易な慰めだったかな、と思ったが、千草は「ありがとうございます」と微笑んだ。


 不思議なものだなと俺は思った。今度のような奇妙な事件がなければ巡り会わなかった人々が、いつの間にか増えている気がする。


 ――記憶を失う前の俺が持っていた「幸せ」を、今の俺は無意識に取り返そうとしているのだろうか?


 そんなことを思った時だった。


「泉下さん、あれ、なんでしょう?」


「んっ?」


 不意に千草が、前方の木立を目で示した。梢の間に機械の一部らしきものが見え、不快なモーターの唸りが聞こえた。


「剪定でもしているのかな……それにしては図体がでかすぎるな」


 様子をうかがっていると、やがて樹木の間を割るようにして、異様な物体が姿を現した。


 それは、奥行きのある胴体に、巨大なロボットアームと無数の節足を生やした「生物型の重機」だった。怪物は胴体の両側に生えた無数の脚を前後に動かしながら、花壇の草花を踏みしだくようにしてこちらに向かってきた。


「和久井さん、下がって。……できれば奥にあるレストランまで逃げてください」


「あれって何です?ロボット?」


 千草は戸惑いをあらわにしつつ、後ずさりを始めた。怪物は、胴体前部から生えている二本の巨大なロボットアームを、威嚇するように高々と掲げた。この大げさなデモンストレーションには見覚えがある、と俺は思った。


「和久井さん、走って!」


「はい!」


 千草の走り去る気配を背中に感じながら、俺は怪物の全体像を見極めようと首を巡らせた。やがて、めきめきという樹木をなぎ倒す音とともに、俺の前に身の丈十メートル近くはあろうかという異形の機械が姿を現した。


「あーっはっはっはっ……ひさしぶりだね、しかばね君!」


 怪物の「顔」にあたる部分は運転席になっていた。そこから姿をのぞかせている人物こそ、俺がもっとも会いたくない人間だった。


「僕が姿を見せないと思って、呑気にガラクタ屋を楽しんでいたようだね!」


 相変わらずの白衣に眼鏡、俺の身体にしか関心がない生粋のマッド野郎、天元あまもとだった。


「どうだい、今度のマシンは。性能もサイズも、今までの玩具とはケタ違いだよ。君の節穴みたいな目に見せるのも勿体ないほどにね!」


「馬鹿野郎、そんな虫だかエビだかわからないような機械を美しいと思うのはお前だけだ。……せっかくの果樹庭園を踏みにじりやがって」


「まあ、その点に関しては少々、心を痛めているところだがね。……それより今日こそ、君のみじめな姿を見られると思うと楽しくて仕方がないよ。あーっはっはっ」


 怪物の多関節の脚がわらわらと動き出し、俺の頭上では巨大なハサミを携えた二本のロボットアームが真下にいる俺に狙いを定めようとしていた。


 弱点はあるのか?俺は身構えた。こういうでかい奴の場合、腹の下に潜り込むか、背中に回りこむのがセオリーだ。


「さあ、覚悟したまえ!」


 怪物が土煙を上げ、俺のいる方に突っ込んできた。俺は左側に回りこむと、高速で動く多関節の脚に弾き飛ばされぬよう、ジグザグに駆けた。目の前に振り降ろされる爪を交わすと、今度は耳元で金属のぶつかり合う音が聞こえた。判断を誤ったら、身体に大穴が空くところだ。


「ちょろちょろと小賢しい逃げ方だね、青山君。君らしいせこい動きだが、もうちょっと僕の目の届くところに出て来てくれなきゃあ、楽しめないじゃないか」


 怪物が全身をくねらせ始めた。俺は間合いを測りながら、孤を描くように怪物の背後に回りこんだ。予想通り、尻尾の部分は排気ダクトとテールランプがあるだけだった。ダクトの下から、長いケーブルが伸びて地面を這っているのが見えた。おそらくどこからか電気を供給しているのだろう。


「くそっ、どこにいったっ」


 天元の歯ぎしりとともに、怪物の背にあるハッチが開いた。するすると触手のように飛び出してきたのは、プロペラのような回転刃をつけた多関節アームだった。


「さあ、どうする。後ろでちょんぎられるか、前に戻って挟まれるか」


「あいにく、どっちもごめんだな。昆虫少年」


 俺は怪物の尻に接近すると、勢いをつけてダクトの突起にしがみついた。途端に頭上から、多関節アームが襲いかかってきた。

 俺は高速で回転する刃を紙一重でかわすと、アームにしがみついた。身体が強く上に向かって引かれる感覚があり、気が付くと俺は怪物の背を真下に望んでいた。


 俺はアームをつかむ手を緩めると、怪物の背に降り立った。


「なっ、なんだっ?今の音は」


 俺は怪物の背を、運転席に向かって一気に駆けた。武器がない以上、肉弾戦しかない。


 俺は駆けながら、右手を石化した。やがて目の前に白衣を着た男の背が見えた。キャノピーのガラスをたたき壊そうと拳を振り上げた、その時だった。俺は背後から現れた二本の「爪」に胴体を挟まれていた。


「ぐうっ!」


 俺を捉えた「爪」はそのまま高々と俺の身体を持ち上げた。以前戦った「ビクニ800」とは比べ物にならないほどのホールド力だった。


「何だ君、そんなところにいたのかい。……背後から忍び寄るとは、つくづく卑怯な奴だ」


 はるか下方に、こちらを見て笑っている天元の顔が見えた。俺は唾を吐きたくなった。


 ダメージを与えて体力を奪おうという魂胆か、俺を捉えたアームは右に左にと激しく俺を振り回した。時折、背の高い樹木の木立に突っ込んで、バキバキという音とともに俺の顔は傷だらけになった。


「なかなかしぶといねえ、君。……そろそろ、潰してしまおうか」


 アームが再び胴体の方に動いた。俺は指先が触れた太い枝を力任せにもぎとると、身体をよじった。


「そうそう、そうやって虫みたいに、ぶちっと……」


 俺の身体は、強力な力で圧迫された。目の前が赤く染まり、背骨がみしみしと軋んだ。


 ――もうちょっと……もうちょっとだけ、下を向け!


「潰れなさい!」


 アームがわずかに下を向いた。俺は手にした枝を運転席めがけて思いきり投げつけた。


 枝はガラスを突き破り、ずごん、という鈍い音を立てて操縦桿の横に突き刺さった。


「ああっ、なっ、なんだあっ?」


 俺を拘束している「爪」が緩んだ。俺は怪物の背に飛び降りると、運転席で狼狽している天元に駆け寄った。


「ええい、動けっ、うご……あおやま?」


 天元の恐怖にひきつった顔が、俺の目の前にあった。俺はためらう事なく、顔面に一発見舞うと、天元の身体を運転席から引きずり出した。


「ずるい、お前はどうして毎回、おかしな戦い方ばかりするんだああっ」


 俺はわめき散らしている天元を放りだした。天元は何度か怪物の上で撥ね、地面に落下した。俺は運転席に乗り込むと、ブレーキと思しきペダルを踏んだ。怪物の動きがゆっくりと止まり、あたりが静かになった。


「ふう……誰か知らないが、馬鹿にこんな危険な玩具を与えちゃ困るぜ」


 俺は運転席を出ると、地上に降り立った。遠くに、不安げな表情をした千草の姿があった。早く怪物の傍から離れようと俺が歩調を速めかけた、その時だった。


ぶうん、と背後で不穏な音がした。俺は反射的に右手を振り払うように動かした。次の瞬間、俺の右手首を凄まじい痛みと衝撃が襲った。


「うあああっ!」


 俺は絶叫した。気づくと目の前に、切断された右手首と、血を吹き出している切断面があった。視界の隅をでたらめに動く回転刃が横切り、俺は何が起こったのかを悟った。

 

――あの回転刃……まだ生きていたのか!


 俺は激痛に堪えかね、その場にもんどりうった。


「泉下さん!」


 千草の駆け寄る気配があった。俺は切断された手首を拾いあげようともがいたが、身体を動かすたびに血が傷口からあふれ出し、やがて意識がもうろうとし始めた。


「大変!止血しなきゃ。……今、救急車を呼びます!」


 救急車なら、この番号の所に……俺はそう言おうとしたが、声にならなかった。


 千草の気配を近くに感じた瞬間、俺は手首を見失い、地面に前のめりに崩れていった。


             〈第二話 最終回に続く〉

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