第18話 第二話「あなたがここに来てほしい」(5)


 俺が二度目のまどろみから覚めると、親父の姿は消えていた。


 俺はベッドから離れた。まだあちこち折れたり潰れたりしているものの「俺にしては」悪くない回復ぶりだ。


「さて…いつまでも「親元」にいるわけにもいかないな」


 俺は一時的にコンテナに戻ることにした。作業台の上に「手を煩わせてすまない 借りはいつか返す」と短い書置きを残し、地下室の外に出た。


 短い階段を上がって出た場所は、説教台の裏側だった。思いのほか広い礼拝堂には、月の光が差し込んでいた。俺は無人の礼拝堂を横切ると、外に出た。


 石造りの教会は古い住宅街にひっそりと溶け込み、俺もまた名もない影のようだった。

 

 思えば一か月足らずの間に、俺は多くの物を失った。


 どうせ一度死んだ身だ、無くす物などないとイキがっていたが、いざ叩きのめされてみると、死など比べ物にならない屈辱が俺を待っていた。


 今の俺が持っている選択肢は二つだった。一つはおとなしく「トゥームス」に戻って何事もなかったように暮らす道、もう一つは何らかの方法で大樹の足取りを追う、という道だ。


 むろん、俺の望みは後者だ。だが、今の俺に大樹の情報を提供してくれそうな人脈は見当たらない。なんのあてもないまま、気が付くと俺は「箸の郁」の前に立っていた。


 どうしようか、中に入ろうかと逡巡していると、いきなり引き戸が空いて、コート姿の人影が姿を現した。人影は俺に気づくと「えっ?」と頓狂な声を上げた。


「青……山?」


 顔を上げた人物と向き合った瞬間、俺は思わず声を上げていた。同時に失われた記憶の一部が突然、脳裏に蘇った。


「隼人……」


 俺の前に立っていたのは、警察官時代の同僚、風祭隼人かざまつりはやとだった。


「懐かしいな、どこに行ってた?」


 隼人は目尻にしわを寄せ、俺の肩を叩いた。横顔に少々、疲労が滲んでいるものの、万年青年のような風貌は十年前と全く変わりがなかった。


「色々あってな。……お前はまだ、防犯課勤務か?」


「ああ。今は生活安全課という名称だ。最近は凶悪な餓鬼どもが増えたせいで、気の滅入るヤマが多い」


「凶悪な……グループ犯罪か?」


「まあな。詳しいことはここじゃ話せないが、このあたりも要注意区域だ」


「そうなのか……」


 俺は数日前、裏の駐車場で巨漢にのされたことを思い出した。少年ではなかったが、凶悪グループの一人といっていいだろう。


「そう言えば昔、よくこの店でくだを巻いたよなあ」


 隼人は暖簾を振り返ると懐かしのそうに目を細めた。残念ながら、俺にはその時の記憶がまだ、朧げにしか戻っていなかった。


「お前が尊敬してた藤堂さんも、「あの事件」の後、辞めちまったしな」


 隼人の口調が、わずかに重くなった。俺自身も覚えていない「事件の記憶」を、隼人は今でもはっきりと刻みつけているのだ。


「すまん。嫌なことを思い出させちまったな。……飲みに来たのか?」


 隼人はぐい飲みを呷る仕草をした。俺はかぶりを振った。


「いいんだ。散歩の途中で立ち止まっただけだ」


「そうか。じゃあ、連絡先を教えるから、そのうち飲もう。時間はあるんだろ?」


「ああ。俺のやってるリサイクル屋は、年中定休日みたいなもんだからな」


「へえ、そんな商売をやってるのか。そう言えば目が少しばかり優しくなったな」


「昔はそうじゃなかった、か?」


「そうだな、もっと飢えた犬みたいな目をしてた。朝から晩まで捜査資料に向き合ってな」


 それは窪沢愛実の件があったからだろう、と俺は思った。その件は収束していたが、そのことを今ここで伝えるのには抵抗があった。


 協会はゾンビの事を生者に話すのを禁じてはいない。だが、一人理解者が増えるということは、それだけ厄介なしがらみが増えるということでもある。今までの経験から、俺はそのことを痛いほど知っていた。


「まあ、商売が向いてるのなら、その方が気楽でいいかもな。それじゃ、またな」


 隼人は俺に背を向けると、目抜き通りの方に向かって歩き出した。


 すっかり刑事らしい振る舞いが板についた同僚を見て、俺は久しぶりに温かい気分になると同時に、一抹の寂しさも覚えていた。

 

 ――さて、俺も空の巣箱に戻るとするか。


 やるせない思いを抱えて隼人から視線を外そうとした、その時だった。


 一台の車が隼人の脇をかすめ、俺のいる方へと走ってきた。すれ違った瞬間、隼人は足を止め、振り返った。走り去る車に向けた隼人の目は、驚愕に見開かれていた。


 ――なんだ?


 俺は車が走り去った方向に目をやった。すでに車両の影は消え、どの道に入ったか見当がつかなかった。隼人を見ると、スマートフォンを操作しながらタクシーを呼び止めようとしていた。おそらくあの車両が何かの事件と関連しているのだろう。

 

 ――俺なら、追えるか?


 雑踏に紛れた排気ガスの名残りを嗅ぎ分けながら、俺は漠然と思った。


            〈第六話に続く〉

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