第15話 第二話「あなたにここに来てほしい」(2)


 コンテナの屋根を叩く雨音は、なかなか止まなかった。


 俺は板張りの壁に背を預け、うとうとしかけていた。浅いまどろみから覚めると、いつの間にか外が静かになっていた。


 俺は立ちあがると、コンテナのドアに手をかけた。肩越しに後ろを見ると、大樹はまだ寝息を立てていた。ドアを開けると、雨で濃さを増した緑が目に飛び込んできた。


 俺は意を決し、スマートフォンを取りだした。平坂医師の番号を表示し、タップするとしばらくして呼び出し音が鳴り始めた。


 俺は柄にもなく緊張を覚えた。自分から平坂医師に連絡を取ることは滅多になかった。


「もしもし」


「平坂先生、俺です、イズミです」


「ほう、珍しい。予約でも取りたいのかね」


「ええ。そんなところです。実は俺じゃなくて、ちょっと診てもらいたい人がいるんです」


「ふむ、代理の予約か……で、その人物は、生きている人間なのかね?」


 思いがけない返しに、俺は一瞬、虚をつかれた。なるほど、生きている人間より死者の世話をする機会の多い、先生らしい問いだった。


「ゾンビではありません、普通の人間です」


 俺はそこで言葉を切り、一呼吸おくと思考を整理した。


「その人は未知の生物に寄生されていて、このままでは遠からず身体を乗っ取られてしまいます。そうなる前に何とか寄生生物を取り除きたいんです」


「ふむ。厄介な患者を引き受けたものだな。私は医者であって科学者ではない。仮にレントゲンやCTを撮ったとしても、所見を述べて終わりかもしれない」


「それでも構いません。……これから伺いますが、いいですね?」


「まあ、いいだろう。……今、どこにいるのかね」


 俺はコンテナのある街区の名称を告げた。平坂医師のいる病院までは車で十五分ほどかかる。


「その場所なら、たしかコミュニティバスの停留所があるはずだ。うちの病院前が降車駅になっているから、それに乗りたまえ」


「コミュニティバスですか……わかりました」


 俺は平坂医師の提案に同意した。通話を終えると、俺はさっそく大樹を揺り起こした。


「大樹、動けるか?起きたばかりで悪いが、これから歩いてバス停まで行く」


「バス停?どこに行くの?」


「病院だ。お前が苦しんでいる原因を取り除きに行く」


「本当?」大樹は意外にしっかりとした声で応じた。


「ああ。だから俺と病院へ行こう」


 大樹にそう持ちかけた後、俺の胸は少し痛んだ。俺の返答は、願望を少なからず含んでいたからだ。俺は身の回りの物を詰めた小さなリュックを大樹に持たせると、三日間、籠城したコンテナを出た。


 久しぶりに仰ぐ外光に大樹は目をしばたたかせ、やたらと周囲を見回した。俺は内心、ひやひやした。目の届く範囲に追手らしき姿はなかったものの、なるべく目立つ振る舞いは避けて欲しかったのだ。


 俺はスマートフォンで停留所までの道筋を調べた。さほど遠くはない。大樹の足でも苦ではないだろう。俺たちは歩き始めた。


 倉庫が立ち並ぶ殺風景な通りを進んで行くと、百メートルも歩かないうちに大樹が息を切らせ始めた。俺にはそれが運動不足によるものなのか、寄生生物の影響に寄るものなのか判断できなかった。


 やがて倉庫群が途切れると、アパートが目立つ一角に出た。少し先に停留所の表示と、立っている人影が見えた。乗車を待つ顔ぶれは中高年と老人がほとんどで、雨が降っていたせいか、多くが傘を携えていた。


 バス停が近づいても、俺は大樹に合わせてなるべにく歩調を速めないようにした。やがてバス停につくと、大樹は限界だとでも言うようにその場にしゃがみ込んだ。


「よし、後は乗りこむだけだ。お疲れさん」


 俺はねぎらいの言葉をかけつつ、大樹にバス待ちの列に加わるよう、促した。

 やがて明るい緑の車体のマイクロバスが、俺たちの前に静かに滑りこんできた。


 客が乗車し始めると大樹は面倒くさそうに立ちあがった。少しせかした方がいいかな、後ろで俺がそう思った時だった。突然、誰かが背後から俺を羽交い絞めにした。


「なんだっ?」


 反射的に振りほどこうともがいた俺を、背後の人物は予想以上の力で拘束した。


 ――こいつは、ただの客じゃない!


 そう気づいた次の瞬間、俺の目に衝撃的な光景が飛び込んできた。車内の乗客が大樹の手足を掴み、車内に引きずりこもうとしていたのだ。


 ――しまった、こいつは偽装車両だ。乗客は……


 俺は戒めを振りほどこうと、身をよじった。ほぼ同時に、顔のすぐ近くで霧のような物が広がった。しまった「サイレント・ミスト」だ!


 全身の力がみるみる抜けていくのがわかった。拘束する力が緩められ、俺はその場で膝をついた。顔を上げると、助けを求める表情の大樹と目が合った。


 ――大樹!


崩れながら叫ぶ俺の目の前で、ドアが閉じられた。四つん這いで地に伏し、動かない体に必死で鞭をくれようとする俺を残し、マイクロバスは動き始めた。


「貴様ら、何者だ……「道化師」の仲間か?」


 俺は少し前まで「バス待ち客」だった連中を見た。俺を拘束した連中は、まるで何事もなかったかのように、バス停とは逆の方向に歩き始めた。

 やがて、一台のワンボックスカーが通りの向こうから姿を現すと、集団の前に止まった。


「外道ども……大樹に指一本触れるんじゃない」


 俺が呻くと、集団の一人がくるりと俺の方を向き、歩み寄ってきた。若く背の高い女性だった。


「これでわかったでしょ。最初からあなたの手に負える「仕事」じゃなかったのよ。身の程を知ることね、ゾンビさん」


 そう言うと若い主婦にしか見えないその女性は、謎めいた笑みとともに背を向けた。


               〈第三回に続く〉


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る