所長室の攻防

「鬼塚所長」

 高階が所長室に入って来た。

「さきほどの違法ドラッグの密売のことですが、どうやら既に何度か取引があったようです。所長しかアクセスできないフォルダに履歴がありました」

 高階は、数枚のプリントをめくりながら鬼塚のデスクに向かって歩いて来た。鬼塚はデスクの椅子に座っていたが、高階がデスクの横に来ると、デスクに片足を投げ出し両手を軽く広げてこう言った。


「おやおや、あなたは生きていたのですね」


 高階はハッとして鬼塚の顔を見た。鬼塚はくっくっと笑って椅子から立ち上がった。

 こいつは殺人犯の方の鬼塚だ。高階に恐怖が蘇って来た。二、三歩後ずさり、すぐさま方向転換をして所長室から駆け出した。

 鬼塚は慌てる様子も無く、ゆっくりと電話を取った。


「高階を捕まえて所長室に連れて来なさい」


 間もなく、高階は黒服の男二人に連れられて所長室に連れ戻されてしまった。鬼塚は、高階の白衣のポケットのふくらみを見つけて手を入れた。

「ほう。これは解毒剤ですね」

 鬼塚の手には二本のプラスティック容器が握られていた。

「なるほど。これで助かったという訳ですか。ですが、二度目は効くかどうか分かりませんねぇ」

 鬼塚はゆっくりと高階の左手首にブレスレットを装着した。

「いや!ああ…あ…」

 鬼塚は、高階の表情が恐怖と悲しみに染められていくのを楽しんでいた。

 高階は声にならない悲痛な叫びとともに、身体の力が抜け、二人の黒服にぶら下がり、震えながら涙を床にこぼしていた。

「こういうつまらないものは、しまっておきましょう」

 鬼塚はニヤニヤしながら、プラスティック容器をデスクにしまって鍵を掛けた。


 ヒュン。空気が揺れる音がした。

 鬼塚が顔を上げると、そこにはリキ、ショウ、仙道が立っていた。


「おや、これはお揃いで」


 鬼塚は、右腕を胸の前に水平に折り、ようこその姿勢をした。


「やはりトリッパーはいいですねぇ。こういうときにスッと翔んで来れる。便利なものだ」


 鬼塚は落ち着いている。黒服の男たちは高階の両脇を抱えて鬼塚のデスクの方にゆっくりと移動して来た。

 鬼塚は胸ポケットからコントローラーを取り出した。仙道たちは高階を見た。高階の左手首にブレスレット。迂闊に動けない。


「何をそんなに怖い顔をしているんです?たかだか人一人の命です。大したこと無いでしょう。パラレルワールドに行く技術も確立したことだし、同じ彼女はいくらでもいます。死んだら代わりを連れて来ればいい。彼女は私の邪魔ばかりしています。そろそろ違う人に代わってもらいましょう」


「何を言ってる!パラレルワールドは別の世界だ。同じ人間に見えても全くの別人だ。代わりになんてならないんだぞ」

 ショウが叫んだ。


「つまらない考えだ。今まで我々はたった一つの世界で、たった一度の人生に縛られて来た。だが、パラレルワールドに行けば、別の人生が送れる。それも何度もだ。失敗したら切り捨てればいいのですよ。人生も人も、切り捨てて成功したものだけ残せばいい。そうやって理想の世界を追求できるのですよ。素晴らしいとは思いませんか。私はこの能力で世界を支配しますよ。あなた方だって能力がある。そうやって使えばいい」


 鬼塚は、独裁者かマッドサイエンティストかのように、確信を持って力強く語った。その力強さは、リキ、ショウ、仙道には狂気に感じられた。


「狂ってる」


 ショウが怒りを抑えながらつぶやいた。リキが続ける。

「鬼塚、お前はチェンジャーなんだろ。なら分かるよな。お前がチェンジして何かしでかすと、入れ替わった自分に影響がある。そいつの人生を壊しちまうことだってあるんだぞ」

「知ったことではありませんね。そいつらは、私の理想を成し遂げるための犠牲です。私の役に立つために存在しているのですよ」


「鬼塚、お前は間違っている」


 仙道は、こんなことを言っても無駄だと分かっていた。でも分かって欲しい。そういう気持ちだった。


「間違っているのはあなた方ですよ」

 鬼塚は受け入れない。鬼塚とリキたちは平行線だった。本来は決して交わらないパラレルワールドのように。


 仙道が鬼塚に飛びかかった。鬼塚はするっと避けた。


「おっと、何度も同じ手は食いませんよ」

「どうかな」


 鬼塚の左手首にブレスレットが着けられていた。


「おやおや、これはしくじりましたね」


 鬼塚は無表情につぶやいた。しかし、その目には小さな怒りが感じられた。


「コントローラーはここだ。俺はいつでもお前を殺せる。観念しろ」


 仙道は、自分の言った「おまえを殺せる」という言葉に嫌悪感を感じながらも、白衣のポケットからコントローラーを取り出し鬼塚に見せた。俺にこれを押させないで欲しい。そういう気持ちだった。

 

 そのとき、所長室に四、五人の男がワサワサと入って来た。

「鬼塚、違法ドラッグ所持で逮捕状が出ている。署まで同行願おう。……他にも罪がありそうだな」

 入って来たのは警察だった。遅れて長峰も入って来た。長峰は怖い顔をして鬼塚を睨んでいた。


「君が通報したのかね。そういう女とは思わなかったな。色々と計算違いが起きるものだ」

 鬼塚は長峰を無表情で見ていた。長峰は鬼塚を睨んでいた。


「なるほどね。これまでですかね」


 鬼塚の表情が緩んだように見えた。


「そうだ。大人しく高階を解放しろ」


 仙道は安堵していた。これで高階は解放される。


 鬼塚はあきらめたように下を向いてふっと笑った。そして、両手を広げてこう言った。


「仙道さん、知ってますか?」

「何を」

「このブレスレット、コントローラーが無くても強い衝撃を与えると毒が注入されるのです。もう少し耐衝撃テストをするべきでしたね」

「どういう意味だ」


 鬼塚は、また無表情になると、腕に着けたブレスレットをデスクに叩きつけた。


「さようなら、仙道さん」


 鬼塚は、くっくっと笑い、次の瞬間その場に崩れ落ちた。


「まずい!解毒薬を!誰か」


 仙道が鬼塚に駆け寄った。全員がその場に固まっていた。鬼塚が何をしたのか理解できなかった。鬼塚は自殺を図ったのだ。高階がハッとして叫んだ。

「デスク、デスクの引き出しの中です!」

 仙道がデスクに走る。引き出しをガタガタと引くが開かない。

「ダメだ。鍵が掛かってる」

 リキとショウが鬼塚のポケットを探る。見つからない。

「鍵無いですよ!見つからない!」

 仙道はデスクをひっくり返した。引き出しが飛び出し、プラスティック容器が転がり出た。

「仙道さん、もう息をしていません!」

「くそ、間に合ってくれ」

 仙道は、プラスティック容器の針を鬼塚の胸に突き立てた。

「ぐはっ」

 鬼塚が息を吹き返した。

「鬼塚!」

 鬼塚がうっすらと目を開けた。


「……仙道さん……私は……どうして……」


 それが鬼塚の最後の言葉だった。


 ────────────────────


「自殺……ですね」


 刑事と鑑識がそう話しているのが聞こえて来た。大勢の目の前でブレスレットを叩きつけ、自分自身に毒を注入した。しかも、鬼塚は、ブレスレットが壊れると毒が注入されることを知っていた。どう見ても自殺だった。


 しかし、仙道は、死ぬ直前の鬼塚の言葉が気になっていた。あれはこっちの鬼塚だったのではないか。死ぬ直前にチェンジが発動して入れ替わったのではないか。しかし今となっては確認のしようも無かった。


 長峰は泣き崩れていた。鬼塚を警察に告発しておきながら、鬼塚の死を悲しんでいた。まるで最愛の人を失ったかのように。


「ここの研究所はもう終わりだな」


 黄色い立ち入り禁止のテープが貼られた所長室の前で仙道は小さくつぶやいた。高階はその横で仙道を見ていた。

「そうですね。違法ドラッグの所持、殺人未遂、自殺。これを全部所長が起こしたとなったら、世間が許してくれないですよね」

 仙道は何も言わず、所長室を離れた。高階は仙道についていった。


 エレベーターに乗ると、仙道は意を決したように高階に言った。

「高階、ここが閉鎖されると、今一番進んでいるのは白の研究所だ。俺はそこに移って研究を続けるつもりだ。お前も来ないか」

「行きます!私、仙道さんについて行きます!」

 高階はキラキラした顔で即答した。

「そうか、それは嬉しいよ。でもご家族とか大丈夫なのか」

「大丈夫ですよ。いざとなったらトリップマシンでビュっと翔んでくればいいんですから」

 高階は少しはしゃいで、ボールをビュッと遠くに投げるような仕草をした。


「そうか、トリップマシンでね……そうか、そうだな」


 仙道は何か思いついたようだった。

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