21.
「――なに、と言われてもねぇ」
緊迫した状況の中、万葉はあっけらかんと答えた。
「飲んでたわ」
実にシンプルな答えだ。そこに場所も日時も、詳しい内容が含まれていない。
それを突くように搗山は言葉を足した。
「東八町亭でか?」
確信に満ちた問いに万葉は僅かに眉を上げる。隣で桐人の肩が再び強張った。
「あそこな、あんたも知ってるかもしれねぇけど、うちの馴染みなんだよ」
初耳だ。新たな情報に桐人は嫌な予感を抱く。
それに反して万葉は最初から知っていたのか、顔色を変えることなく、搗山の言葉にただ耳を貸していた。
「昔、ここに属してた奴が体壊して、組を抜けてな……百年ほど前からあそこで店長をやってる」
つまり、あの店はいわば椿会の大事なシマのうちの一つ、と言える。その意味を咄嗟に理解した万葉はにこりと笑った。
「それで、客のプライバシーを流してもらってるわけだ」
「誤解するな。今回は異例だ。今までとワケが違いする。だから、無理を言った」
暗に非難している万葉の言葉を搗山は気にした風もなく、事の重大さを告げた。
「なぁ、佐々木さん。もう一度聞くぜ」
疲れたように溜息を吐きながら、傷だらけの指がサングラスを取る。隔たりを無くした、搗山の目が細まった。
「あの日、あんたは何をしてたんだ?」
厳しい表情をした搗山を前にしても万葉の口は開かない。
「あの日、確かにあんたはあそこで飲んでいた。それは確かにあそこの従業員も把握している」
けど、問題はその後だ。と搗山が顔を険しくする。
「あの日、蟲が東八町亭に踏み込んだとき――あんた、消えたんだってな」
「……」
その瞬間、微かに桐人が息を飲んだ。顔が強張るその様子を搗山が捕らえた。万葉と相対しているはずなのに、搗山の意識は桐人へと向けられているようで、万葉は舌打ちをしたくなった。
「玄関から出たわけじゃねぇ、文字通り、あんたは消えたんだ」
わざとらしく、ゆっくりと言葉を口にする搗山は恐らく桐人へと鎌をかけているのだろう。
「騒ぎに乗じて逃げたのか」
ネズミを追い詰める猫のように、じりじりと搗山が詰め寄る。
「それとも、何か意図があってこそこそと姿を消したのか」
首元に爪を立てられたような心地がした。徐々に少年の顔から血の気が引き始める。
「佐々木さん、ご存知の通りあそこの奥間は会員制だ。その分、店は客のことは把握している……なあ、いい加減教えてくれや。あんた、一体なにをしてたんだ?」
桐人が大分追い詰められていることに気づいているだろうに、万葉は彼を見ない。ただ真っすぐに搗山を見つめ、口を閉ざす。仮面を脱がない彼女が何を考えているのかなんて、誰にも分からない。搗山も同じだ。
「難しいことじゃねぇ……ただ詳しいことを教えてくれりゃいいんだ」
ほだすような猫なで声ではあるが、果たして本心からの言葉なのか、定かではない。答えが搗山の気に入らぬものであれば、どのような報復が待っていることか。
だが、このまま口を閉ざしたままでいても、万葉たちが帰されることはない。
一つ、万葉が深い溜息を吐いた。
「……残念だけど、私は貴方たちが求める答えを何一つ持っていない。飲んで、出て行った。ただ、それだけよ」
「どこから?」
「正面口」
「……ほう。それは面白いね。それなら必ず店の誰かが証明できるはずなんだが」
壁際に控える妖たちが殺気立った。その気配を感じとった桐人が身じろぐ。
「貴方たちが気づかなかっただけでしょう? あの騒ぎでバタバタしてたからじゃないの?」
あの騒ぎ。万葉のその返しに搗山は一瞬の沈黙を返し、次に視線を変えた。
「ぼうず」
「っ……」
矛先がついに桐人へと向く。身構えるように膝の上で拳を握りながら搗山の目を見た。
「そういや、お前さんがあの《黒い妖刀》の少年なんだってな?」
どきりと心臓が一際大きな鼓動を刻んだ。
なんと答えればいいのか分からず、桐人はひたすら閉口した。それが相手の勢いを助長させるだけであることは、重々理解していたはずなのに。
「あれもまた、随分と面白い話だったな」
搗山が笑う。
「蟲を喰らう刀――随分と良いタイミングで出たもんだ」
突き刺さる無数の視線に桐人は揺れる瞳を抑えることしかできなかった。
どう返せば良いのか。どう返してもドツボに嵌るような気がして、黙秘を続ける。
その様子を搗山はじっと見つめると、
「ぶふっ」
吹き出した。
「ぶっっふっふっわっはははははははは!!」
「「……」」
異様な空気が広がった。
張り詰めた緊張感の中で、響き渡る可笑しな笑声。
その根源を唖然と見つめながら、桐人とからかさが当惑したように恰好を崩す。万葉は動じていないのか、静かにお茶を啜っていた。
笑い主の背後で、赤いマフラーの『塗り坊』と呼ばれた男もそっと視線を外している。
一分か、二分か。しばらくすれば大笑いしていた男の声が徐々に落ち着きを見せ、空間に静けさは戻るが、異様な雰囲気は消えていない。
搗山の視線が再び桐人を捕らえる。
「いやぁ、笑った笑った。すまねぇな、ぼうず。ちょいとツボにはまっちまってよぉ」
「は、はあ……」
どこにツボが嵌る要素があったのか、ひっかかりはしたが、藪蛇を突くようで桐人は相槌しか打てなかった。
「いや、しっかし馬鹿正直だな、お前さん。顔に全部、出てるぞ」
「え、いや、あの……えと、す、すみません……」
「まあ、妖刀に関しては後で良い」
あれほど露にしていた怒気をすっかりと消してしまった搗山に、桐人の口元が引きつる。
全部顔に出ていたというのはどういうことだ。ちらっと横目に万葉の様子を確認すれば、当事者であるはずの彼女は素知らぬふりで、湯呑に立つ茶柱を眺めていた。
「とりあえず……そうさな。埒が明かねぇから此処は尋問部屋へ来てもらおうか」
「え、」
「と、言いてぇところだがお蝶さんから叱咤を喰らいそうだから、それは出来ねぇ」
まいった、と溜息を零しながら後頭を掻くと、搗山は膝を崩し、床に胡坐をかいた。
恰好を崩した姿は相変わらず凄みがあるが、先ほどと比べれば、気のせいか幾分か柔らかい。からかさはその様子にほっと安堵を零していたが、その柔らかさを、桐人は逆に恐ろしく感じていた。
「少し、話をしようか」
「尋問ではなくて?」
すげなく口を挟んだ万葉を見れば、彼女も彼女でわざとらしい笑みを浮かべており、搗山が思わずと言った風に笑う。
「さて……なんの話が良いかねぇ?」
頬杖をつく搗山の振る舞いは先程と比べてやはり雑で、柔らかいものだった。
ニタニタと口角をあげる輩を万葉は静かに見つめると、相手を揶揄うような声色で問いかけた。
「貴方たちが奪われたもの――瓶について……?」
しん、と空間が再び静まり返る。
その不自然な空気の中、桐人は疑問を抱いた。
(
静寂を作り上げた当の本人を横目に見れば、静かに微笑している。
「――なんだ、知ってるんじゃねぇか」
凶悪な笑みで飾られる搗山の顔。それを目にした瞬間、唐傘は震えあがり、桐人は身構えた。
万葉が口を開く。
「そちらも私たちのことを調べたなら、ご存知の通り、陰察庁への調査協力のため、私たちも色々と嗅ぎまわってるの」
「こちらのこともお見通しってことかい」
「ええ……ただ、このように連行されるとは思ってなかったけど」
すっと笑みを描いていた顔が、表情を無くす。
射抜くような瞳を、万葉は搗山へと向けた。
「言ったろ。あんたが、持ってると」
「私は何も渡されていないし、生憎と椿会のものとは誰一人、一度も関係を持ったことはない」
持っている。持っていない。と、何度も繰り返されそうな押し問答に終止符を打つように、桐人が声を上げた。
「あ、あの!!」
広間の視線が一斉に少年へと集まる。その視線にたじろぎながらも桐人は己の疑問を口にした。
「びん、って……何ですか?」
恐らく唐傘も気になっていたのだろう。横でがくがくと首を縦に振っている。
「そうだな……坊主は本当に何も知らなさそうだし、教えてやるか」
そう言って、搗山が姿勢を正した。
「瓶ってのは……椿会が代々から守り続けているもの――【椿の毒】だ」
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