№168

――副田さんは就職を機に実家の隣の県で一人暮らしを始めたそうだ。

 仕事にも慣れてきた頃に、母が一人で訊ねてきました。そして突然、しばらく住まわせてくれと言ってきたんです。聞くと父が浮気したことで大喧嘩して家出してきたんだとか。父の浮気癖は昔からで、少しは悪いと思って欲しいからと、母は家事をすべて放棄することにしたと。「同じ時間と労力なら、しばらく息子の世話でもしようと思って」とあっけらかんと母は笑っていました。そういうことならと、私は快く母を泊めました。家事炊事が全然出来ない父はすぐに音を上げると思ったんです。ちなみに母は宣言通り、私が仕事で居ない間、掃除や洗濯、料理もしてくれて大変助かりました。しかし半月もするとやっぱり窮屈になってきますよね、場所的にも気分的にも。だから休みの日に、母が買い物に行っている間に父に電話したんですよ。久々だったんで父は喜んでくれたんですが、一向に母の話にならず、焦れて思わず「早く迎えに来いよ」って言っちゃったんですよ。そしたら父は「なんの話だ?」って。それにカッとなって浮気をせめて、母が可哀想だとか言う話をしました。でもそれに対しても父は分からないという感じで言ったんです。「母さんならここに居るぞ」って。私から電話が来たと言うことで、電話を替わるタイミングを父の隣で待っていると。電話を替わってもらったら本当に母でした。「買い物に行かずに帰ったのか?」と聞いたらやっぱり話が通じず、最近私の部屋にも来ていないというのです。私は混乱したし、両親は私の精神状況を心配するしで、とりあえずお互い冷静になろうと電話を切りました。電話を切ると、さっきまで一緒に生活していた、もうすぐ帰ってくる母のことを考えると恐ろしくなりました。すぐに貴重品だけもって友達の家に走りました。そして両親の協力を得て二度とあの部屋に帰ることなく引っ越しを済ませました。同居していた母は私の連絡先を知っているはずなんですが、あれ以来連絡もなく、姿も見せず。ただ、引っ越し後大家さんから「部屋に忘れ物が残っていますがどうしますか」と電話がありました。何かと聞くと未使用の口紅が洗面所に残っていたが、交際相手のものじゃないですかと。それは知らないから捨ててもらいました。大家さん曰く、引っ越しの半月前から何度か若い女性が私の部屋に入っていくのを見て、彼女が出来たんだなと思っていたそうです。一応言っておきますが、彼女はいないし、母は年相応の見た目をしています。あの2週間確かに私は母と暮らしていたはずなんですが、一体何だったんでしょうか。引っ越ししてからは特におかしなこともありません。

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