№149

 家族で田舎にある僕の実家に引っ越ししました。妻も息子も渋っていましたが、僕の父が他界し、母が一人になってしまいました。僕も妻もそれぞれ自宅で仕事をしていますし、母を呼ぶために広いところに引っ越しするお金も、マンションを買う資金もありません。実家は田舎さながらの広さがある一軒家で、僕たち家族が引越ししたほうが経済的でした。息子は中学生でしたが自転車を買い与えて通学してもらうことになりました。母は始終申し訳なさそうでしたが、内心喜んでいたと思います。しかし同居から2年で母が急死しました。突然のことでした。その日の朝まで元気だったので。ただ高齢でしたし、持病で通院していたので驚きつつも葬儀をしたりしばらく忙しくしていました。そして一人っ子だった僕がすべてを相続したので、落ち着いた頃に妻に「実家を手放してもっと便利なところに引っ越ししよう」と提案しました。もちろん妻もそのつもりだろうと思っていたのでしたが、まさかの「まだいいじゃない」という返事。いつの間にそんなに気に入ったんだろうと不思議でした。そんな時息子が「この家に猿が入ってくるよね」と言い出したんです。冗談かと思いましたが息子は真剣です。息子が言うには、田舎に引っ越ししてすぐに、それの気配を感じたそうです。ある日学校から帰るとかすかに生臭い匂いを嗅いだそうです。最初は気にせずに過ごしていましたが、徐々に匂いは強くなりました。息子は妻に訴えたそうです。すると妻は何故か少し嬉しそうに、にんまりと微笑み「あなたは気にしなくて良いのよ」と言ったそうです。息子は妻がそういうのだからと僕や母にも言えなかったそうです。気配は日に日に強くなり、振り返っても誰もいません。ある日、洗面所で顔を洗って顔を上げ、鏡を見ると、背後の開いている戸の向こう側、廊下に大きな狒々のような生き物がいたんだそうです。それは息子と目が合うと酷くいやらしい笑い方をして妻の仕事部屋に入っていきました。息子が慌てて追いかけると、部屋には妻だけがいて、仕事用の机に突っ伏して寝ていたようでした。息子が部屋を開けると同時にけだるげに起き上がり「勝手にあけちゃダメでしょ」と笑ったそうです。妻の顔は赤く、酔っ払っているようだったと言います。「お母さん、引っ越ししてから変わったでしょ? あの猿のせいじゃないかなぁ」僕が何も言えないでいると、息子は荷物をまとめて妻の実家に一人で転居してしまいました。改めて妻を観察すると、引っ越し前より化粧や服装が華やかになっていました。さらにいつの間にか仕事を辞めていました。仕事部屋で何をしているのかと聞くとクスクス笑うだけで答えてくれません。家には獣のような臭いが充満していました。たまに僕も猿のような姿を廊下で見ます。そいつはわざと僕にちょっとだけ居ることを知らせているようでした。そしておびえる僕を見て笑っているようです。怖いです。でも僕が逃げたら妻は……いや、もう手遅れなんでしょうか?

――作倉さんはそっと涙を手で拭った。

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