№125

 夫の死に際の話をします。夫はその日学生時代の友人2人と旅行に行っていました。だからこの話はその友人から聞いた話です。昼は観光して、夜になってふらふらと梯子酒をしていたそうです。裏道に入り他の店とは違う雰囲気の店に電気が付いるのを見つけました。小さな古本屋でした。普段本を読むことはないのですが、面白そうだとノリで店に入ったそうです。裸電球一つぶら下がった薄暗い店で、白髪のご老人がカウンターで文庫を読んでいました。酔っぱらいが入ってきても気にした様子が無かったので、3人とも無遠慮に見て回りました。建物は古く、雰囲気もある店でしたが商品はブームが過ぎた小説やビジネス書ばかり。すぐに飽きて白けた空気になりました。でも夫が変わったものを見つけました。蝋燭です。いわゆる和蝋燭で青や赤で艶やかに染めてあったそうです。その値札に「怪談千円」と書かれていました。気色悪いなあと友人は言ったそうですが、夫は多分受け狙いでそれをカウンターに持って行きました。ご老人はちらっと夫を見て「これは怖すぎるよ。白にしたらどうだい」と言ったそうです。それは蝋燭の色のことでした。夫が持ていたのは赤だったそうです。「いや、大丈夫ですよ」と夫が答え、千円を出すと突然カウンターの後ろの引き戸が開きました。そこには20歳そこそこのお嬢さんがいたそうです。着物を着て髪を時代劇のように結っていたそうです。ご老人は夫が持っていた蝋燭を取り上げ、お嬢さんに渡しました。お嬢さんはそれを燭台におきマッチで火をつけました。老人はさっさと入れというように指を振り、夫がその部屋に上がるとピシャッと戸が閉まりました。戸の隙間からかすかに蝋燭の光とぼそぼそと何かしゃべる声だけが漏れていたそうです。10分ほどして再度戸が開き夫が出てきました。夫は酔いが覚めて汗をびっしょりかいていました。友人がのぞき込んだ戸の向こう側では、お嬢さんが蝋燭を吹き消しているところでした。座敷には座布団が向かい合わせで二つだけ。夫が「もうホテルに戻ろう」とせかしたので3人とも店を出てすぐに大通りに出てタクシーを拾ったそうです。何があったんだと聞くと夫は「めちゃくちゃ怖い怪談を聞かされた」と寒そうに両腕をさすりながらも顔を真っ赤にして興奮していました。2人は「どんな話だった?」と訊ね、「昔の処刑の話でさ」と夫が話し始め、その瞬間事故が起きたそうです。交差点を直進していたタクシーを、法定速度を超えたトラックが横から吹き飛ばすように衝突したんです。夫はタクシーから投げ出され電柱に引っかかって磔のような形で絶命しました。友人らは重体でしたがまもなく回復しました。夫だけあんなむごい死に方をしたんです。ただの偶然だと思います? 言葉ってそれだけでも力があると思うんですよ。それをさらに恐ろしく、成人男性でも汗をかくほど恐怖を覚える怪談にして聞かせる。それって何も影響がないとはいえないんじゃないですか? あなたは、そんな危険なものをどうして集めてるんでしょう?

――美土里さんの奥さんの充血した両目はじっと私をにらんでいた。

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