困惑する朔の手を、芙蓉がにぎった。
私の家人のすべての顔を見たいと言えば、それはいずれと断られた。
「何事も、こちらの大殿様のなさりように従っていただきます」
女房は冷ややかな目で朔に頭を下げ、去っていった。
真夏がいない。
そんなはずはない。
真夏が、私をひとりにするはずがない。
「朔姫様」
困惑する朔の手を、芙蓉がにぎった。
「真夏はあの後、私の気づかぬうちに暴力を振るわれたのではないかしら。それで、共に来られなくなったのだとしたら」
ぶるりと身を震わせる朔を、芙蓉はしっかりと抱きしめ、大丈夫ですと繰り返した。牛車に乗った後、そのような音も声も聞こえなかった。暴力を振るえば身を隠すという朔の言葉に、柳原家の使者は従っていた。
「そうよね」
朔は力なく口辺に笑みを漂わせ、芙蓉にうなずいてみせた。そうしながら、胸の中にぽっかりと暗い穴が開いたことを知った。そこに、身を切りそうなほどにするどく冷たい風が吹いている。
「文を書きたいの」
なんとか自分を落ち着かせた朔は、様子を伺いに来た柳原家の女房にそう言った。
「萌黄の紙があれば、うれしいのだけれど」
女房が辞して、何の返答も無いまま夕餉を出され、食し、身を清らかにして寝所に入った頃にやっと、紙と墨が届いた。
おそらく、この屋敷の主に伺いを立てていたのだろう。
「芙蓉は先に休んで。私は、文をしたためてから寝るわ」
渋る芙蓉を遠ざけて、こうして今、朔は萌黄の紙に真夏の姿を映し出し、見つめている。
(真夏)
この心に恋というものを芽生えさせた彼に、文を送るのならば萌黄の紙がいい。不安に揺れている心をあたたかく照らし、勇気を与えてくれた彼につづる文は、萌黄がいい。芽生える草々を思わせる色の紙に、想いのすべてをしたためる。それが一番、この心を映し出すのにふさわしい。
けれど
(どこにいるの)
彼に文を送る手立てが無かった。彼がどこにいるのかを、朔は知らない。あの後、真夏がどうなったのかを知らなかった。
(父を失脚させた相手に、私がおもねると思って去ってしまったのかしら)
使者を威嚇する真夏を止めるため、自分が放った言葉を思い出し、朔は胸を抑えた。あの時は、ああ言うしかなかった。けれどもっと、他に言いようがあったのではないか。
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