「お願いだから、今は従って」

 芙蓉が朔の手をにぎる。喉を詰まらせる芙蓉を安心させるように、朔は芙蓉の手の上に空いている手を重ねた。


「大丈夫よ、芙蓉。心配しないで」


「ですが」


「朔姫、行く必要などありません」


 政敵である男の所になど、行かないほうがいい。


 真夏は朔に手を伸ばし、朔はその手を迷いなく弾いた。


「家人ふぜいが、私に意見をしないで。あなたに何が出来るというの」


 ピシャリと言われ、真夏はこわばった。朔が一歩、真夏に近付く。抱きしめられる距離にいる朔を、真夏は見下ろした。見上げる朔の瞳がうるんでいることに、はっとする。


「お願いだから、今は従って」


「朔姫」


 震える声でささやいた朔は、すぐに目元を勇ましく引きしめ、牛車に向かって歩きだした。その後に、戸惑いつつも芙蓉が従う。


 呆然とする真夏を、彼に投げられた男がせせら笑った。


「家人ふぜいが、姫や女房殿の暮らしの生計をなんとかするとでも言いたかったのか? 田畑を作り、魚や獣を捕らえ、食わせるとでも言うつもりか」


 男がにぎったあざけりの拳を、真夏はまともに受けて倒れた。


「ぐっ」


「おやめなさい! でなければ、行方をくらまします」


 朔の悲鳴に近い怒声に、男は真夏をけろうとしていた足を渋々おろし、ツバを吐いた。


「おとなしく都まで、ついてくるんだな」


 地に倒れ伏したまま、牛車に乗り込む朔の姿を見つめる真夏は、口の端が切れるほどに唇をかみ、砂をつかんだ。


(姫は、俺を守ろうとした)


 ――あなたに何が出来るというの。


 殴られた痛みよりも、朔のその言葉のほうが、真夏に大きな傷を与えた。


 ――お願いだから、今は従って。


 今にも泣きそうな震え声が、真夏の心を苛む。


(俺は、俺は――)


 守ると言いながら何の力も無いことに、何もできない自分に、真夏は打ちのめされながら、朔を乗せた牛車を見送った。

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