「俺が姫を守るために、使わされたと?」

 真夏自身に当てはないが、自分の父や兄、友人らに文を出せば、なんとかなるだろう。しかし、どうしてこの老人だけが、朔の傍ではなく自分の所に来ているのか。真夏はそれが気になった。


「おまえは、朔姫のことが気にかからないのか」


 老下男は叱られた子どものように、しわだらけの顔をクシャリとゆがめた。


「姫様のことは気にかかりますが、こうなることを見越して、あなた様が家人に身をやつして、ここに来られたのではございませんか」


 真夏は目を丸くした。


「俺が誰だか、知っているのか」


「大伴冬嗣様の弟君でございますよね」


「なぜ、それを知っている」


「大伴家に、使いに走ったことがあります」


 そうかとつぶやいた真夏を、すがるように老下男が見る。真夏は安堵させるように、笑みを深めた。


「俺が姫を守るために、使わされたと?」


 真夏は老下男が思っているであろうことを、口にしてみた。 


「違うのですか」


 彼の考えに、真夏は満足した。


(俺は姫を守るために、使わされた)


 胸中で繰り返せば、全身に力が湧き起こるのを感じた。


(俺が無位無官でなければ、この屋敷に来ることも無かった)


 自分がここにいることは偶然ではなく、人智を超えた力が――運命とも言うべきものが、作用しているのではないか。


 ――権力や金銭を使うことだけが、守るということじゃない。


 実篤の言葉が耳に響く。この老下男は、真夏がいるので朔は大丈夫だと、そう判断したからこそ、真夏の所に来たのだ。他の者たちが全員、朔を案じている中で。


「俺が誰かを知っているのは、おまえ一人か」


 じっと真夏を見たまま、老下男がうなずく。それにうなずき返し、真夏は命じた。


「まずは、朝餉をこしらえなければならないな。こういうときは、いつもと変わらぬように過ごし、心を平らかに保つことだ」


 老下男は目玉をせわしなく動かして、自分のするべきことを考えはじめる。彼にものを言う事で、真夏の心は落ち着きを取り戻した。


「他の者たちに、心配をしていても腹はふくれないと言ってくれ。とりあえず、目の前の食事だ。腹が減っては、よけいに気がふさぐ。起こってしまったことを嘆くより、これからどうするかを考えなければ」


 そうだ。これからどうするのかを考えればいい。

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