#03-12「天使なんかにはなれない」
ぐったりと力のないカレンを背負いながら、僕は茶屋から神社にくだる森の道を歩いた。しんしんと冷える帝都の空気が肌をなでる。遠くに響く祭囃子は大きな盛り上がりを見せ、いよいよ祭りのクライマックスの到来を予感させる。その一方で、僕とカレンは静かな宵闇に沈む森に、ふたりだけ取り残されたように歩いていた。
「……梅田」
カレンがつぶやいた。
「気がついた?」
僕の問いかけに、カレンはうぅん、うん……とうなったあと、「ここはどこ?」と訊ねてきた。あまりにも典型的な間の抜けた質問に、僕はすこし笑ってしまう。
「神社への森のなかだよ。茶屋から抜け出してきたんだ」
「茶屋……」
「そうだよ」
カレンなにも言わなかった。しばらくして、背中の彼女から「月」という声が聞こえた。見上げると、帝都の深い夜空に、白くまあるい月がぷかぷか浮かんでいる。
「おまんじゅうみたい」
とカレンが言う。僕はあきれて、苦笑いしながら答えた。
「カレン、喰い意地はりすぎだろ。いくらなんでも饅頭食べ過ぎだって」
上等の蓬莱饅頭に、酒饅頭。いくつ食べたかなんて数えてないだろうが、きっとたくさん食べただろう。ちょっと体重増えてない?とからかおうとすら思ったが、また花熊をけしかけて半殺しにされるかもしれないので、直接言うのはやめておいた。それでもカレンは「わたしの蓬莱饅頭はどこなの〜」とでもわめきはじめそうなものだ。もしそうわめいたらこっそり教えてやろうと思ったが、しかし彼女が口にした言葉を聞いて、僕は言葉を飲んでしまった。
「ごめんね」
さああ、と木立のあいだを風が通り抜けた。
「……なに言ってんだよカレン、まるできみらしくないじゃないか。苦手なアルコール口に含んで、頭おかしくなっちゃったか?」
ごまかすように茶化した僕の言葉を、カレンははっきりと首を振って否定する。
「ちがうの。わたしが梅田の言うことをちゃんと聞いていれば、こんなことにはならなかった」
「……」
僕はうつむいて、足許に転がる石をわざと蹴り飛ばしながら道を歩いた。木々にぶつかった石が、からん、からんと音を立てる。僕の背中からは、まるで寝息のようなカレンの深い呼吸が聞こえていた。規則的にくりかえされるその音は、僕の気分を妙に落ち着かせる。
「……そうだよ。僕が来なかったらいまごろどうなってたか、考えるだけでも怖いよ。どうしてあんなことするんだよ。そんなに饅頭が喰いたかったのか? それだけじゃないだろ?」
そう、それだけじゃないはずだった。天下のカレイドガール様が、ただ饅頭喰いたさにのこのこ罠に引っかかるとは思えなかったのだ。
僕のその質問に、しばらく呼吸をおいたあと、しずかに言った。
「……アリスがよろこぶもの、見つけたかったの」
その名前を聞いて、僕は息を飲む。
西宮アリス。
カレンの妹。
「アリスちゃんに?」
「そうなの。あの子のためにわたしができること、なにかないのかなって考えてたの。上等の蓬莱饅頭を手に入れられたら、きっとよろこぶだろうなって思って」
アリスちゃん——カレンの妹のために、彼女にできること。そんなことを、彼女は以前にも言っていた気がする……そうだ、あれは春日野みちるのコンサート直前のときだ。みちるの告白、アイドルを引退したいという気持ちを聞いて、みちるのサインをもらえなくなるかもしれないことを知って、カレンがこぼした言葉。
——あの子のためにわたしにできること、なんにもないんだなって。
「でも、できなかった。ほんとうは上等の蓬莱饅頭なんてなくって、それはわたしの陥れるための罠だった。あの子のためにわたしにできることなんて、やっぱりないの」
そう吐露する背中のカレンに、僕は言う。
「どういうことだよ、あの子のためあの子のため、って。きみの妹って、そんな傍若無人なわがままお嬢様なのか? まあ、カレンの妹ならわからなくもないけどな、傍若無人ってのは」
僕はそう茶化すように笑った。この空気をなんとかごまかしたかったのだ。カレンのとつぜんの自白の予感に、僕はひどく動揺していた。これまでいっしょに怪盗団として活動してきて、馬鹿みたいにわあきゃあ騒いできて、微塵も彼女が見せなかった心のやわらかくもろい場所に、触れてしまうような気がしていた。
いや、ちがう。
僕はわかっていたんだ。
これまで彼女は、それを僕に見せてくれていたじゃないか。僕はそれに気づいていたじゃないか。そのカレンの態度から感じる「違和感」を、僕は見て見ないふりをしてきただけなんだ。
彼女にちゃんと向き合ってこなかったのは、僕のほうだったんだ。
「あの子ね」
カレンが言う。「孤児院にいるの」
「……」
しんしんと冷える帝都の秋空のもと、深い宵闇が僕たちを包み込んでいた。聞こえるのは、木立を吹き抜ける風の音と、遠くに響く祭囃子と、土や落ち葉を踏みしめる僕の足音と、そして、広い湖にぽつりぽつりとこぼれ落ちていく水の雫のような、彼女の澄み切った声。
「わたしたち、両親を早くに亡くして、姉のわたしもこんなことやってるしで、あの子きっと、たいへんな思いばっかりしてきただろうなって。だから、もっといい思いをさせてあげたくて……でも、わたしにはむりだった」
「むりだなんて、そんな」
「ねえ、見て。これがアリス」
彼女はそう言って、胸許からなにかを取り出した。それは銀色のロケットペンダントだった。チャームの部分を開き、なかを僕に見せてくれた。僕は歩みを止めてのぞき込む。
そこにあったのは、とある人物のちいさな写真だった。カレンよりも年の幼い、きらめく豊かな金髪の少女。カレンに似ている、でもたしかに違う人物。
「わたしの妹」
「……そうか」
僕はそう言うことしかできなかった。カレンは「うん」と言ってペンダントを胸許にしまった。
「……でも、カレン。それでもきみは、みちるさんのサインをもらってあげただろ? アリスちゃんは帝都の天使を好きなんじゃないのか?」
「そういうことじゃないの。わたしは、怪盗少女。対悪専門っていったって、しょせん泥棒なの。そんな姉を持って、アリスがよろこぶと思う?」
僕はもう、ふたたび歩き出すことができなかった。何万年も前からずっとそこに突っ立っていたかのように、僕の両足は不安と焦燥にからめ取られ、地面に根ざしてしまっていた。そんな僕の背中に、彼女はとどめを刺すように言った。
「わたしはね、天使なんかにはなれないの」
そのとき、夜空がぱっと明るくなり、どどん、という地鳴りのような爆発音があたりに響いた。僕たちが見上げると、色とりどりの大輪の花がいくつも夜空に咲いていた。昏い宵闇に満たされていた森や街は、その偽物の花に照らされて鮮やかに浮かび上がっている。
花火だ。
去田神社大秋祭のクライマックスを告げる花火が、帝都の夜空を彩っている。
僕とカレンは、しばし言葉を失っていた。しゅるる、ばん、しゅるるる、どどん。茶屋の高台から下りる森のなかの道で、夜空に咲く大輪の花々を目に映しながら、僕たちはじっと立ち尽くした。
「カレン」
僕はしずかに言った。「それでも僕は、きみの行く先をいっしょに見たいんだ。怪盗・《
僕が言い終わっても、カレンは返事をしなかった。背中にあるひとり分のたしかな温度を感じながら、僕は無言のまま歩き出した。夜空にはあいかわらず、色とりどりの花が咲いては消え、咲いては消えている。一瞬のうちしか夜空に咲けない花火。それはほんものの花になることはできない。
天使なんかにはなれない。
じゃあ、僕たちはいったい、なにになれるというんだろうか。
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