#03-08「……カレン?」
「……ったく、カレンのやつ……ひとりで抜け駆けしやがって」
僕はぶつくさ文句を言いながら、去田神社の裏手に広がっている森に足を踏み入れていた。祭囃子は遠くに響き、鬱蒼とした森の奥からは冷たい秋風が木々をかすめる音が聞こえる。森を流れる小川のせせらぎと秋虫の声が、しんしんと冷たい空気に沁み渡っていく。
「三十重も三十重だ、面倒な役割を僕に押し付けやがって」
僕はさっそく虫に刺された右ひじをぼりぼり掻きながら、文句の続きを垂れた。三十重のことだ、自分は焼きとうもろこしでも買ってきてふはふは喰っているにちがいない。
カレンが忽然と消えたパイプ椅子、その上に残されていたのは、カレン誘拐をたくらんだ犯人たちの犯行声明——なんかでもなんでもなく、森の奥に構えられた茶屋への「招待状」だった。ご多用の折に露店出店者としてご参加を賜り誠に恐縮でございます、感謝の意を表しましてささやかではございますが上等の蓬莱饅頭を振る舞わせていただきますのでぜひお越しください、とかなんとか。上等の蓬莱饅頭を喰えるとあらばカレンがおとなしくしているはずがない。どうせ鼻の下をのばした阿呆面さげて、のこのこ顔を出したに決まっている。
「もしかしたら罠かもしれない。梅田、ようすを見に行きたまえ」
三十重はそう言っていたけれど、どうせ口うるさい僕を屋台から追い出して、ゆっくり屋台料理を満喫するつもりなんだろう。くそっ、つくづく貧乏くじばかりだ。
「はあ……」
だれに聞かせるでもない溜息を吐き、「めんどくせえ、ああめんどくせえ、めんどくせえ」と一句詠みながら、僕は森のなかを歩いた。
めんどくせえ、とは言ったものの、僕はすこし心配もしていた。ほんとうに罠だったらどうしよう。カレンも三十重ものん気に構えているが、これがもしほんものの罠だったとしたら。カレイドガールの身柄を狙った犯罪集団の奸計だったとしたら。カレンに危害が及んでからでは遅い。そう思うと、脚は自然と早く動いた。
去田の森はとても広く、おまけに山の斜面を登っていかなければならない。息が切れて気力も尽きて心が折れかけたころにようやく、森の奥にある茶屋にたどり着いた。
茶屋は小ぶりの木造の建物で、鬱蒼とした森の木々のあいだの拓けた高台にちんまりと建っていた。窓や扉のすきまから部屋のなかの灯りが漏れている。すりガラスでなかは見えない。恐るおそる近づくと、部屋の騒ぎが耳に入ってくる。
知らない場所に入っていくのには少し尻込みしたが、僕は意を決して扉を開いた。
「おー、梅田も来たのっ? 蓬莱饅頭おいしいの、梅田も食べてきなよ」
僕に気づいたカレンが声をかける。お祭りの関係者だろうか、十数人のおじちゃんおばちゃんたちがわいわい騒いでいるなか、カレンは両手に蓬莱饅頭をつかんで一生懸命もぐもぐしている。
「カレンちゃんの友だちかい」
「きみもひとつどうだい」
世話焼きのおばちゃんたちに肉饅頭を勧められる。
「あ、いえ、僕は」
「まあまあ、遠慮せんでええ。食べてき」
「は、はあ……」
観念した僕はカレンの隣に腰をおろした。目の前の机には、山盛りに盛られた肉饅頭の皿がいくつも並んでいる。どうしてこんなに肉饅頭祭りなんだ……と不思議に思いながらも、ひとつ手に取った。台紙をぺりぺりはがして丹念に観察しながら、カレンに耳打ちする。
「だいじょうぶかよ、罠じゃないのか? 眠り薬が混ぜられてたり——」
「だいじょぶだいじょぶ、みんなおなじ皿から取ってるし、だれがどれ取るかなんてわかんないの。わたしだけ狙い撃ちなんてできない」
「それはそうだけど……」
「ほらほら、梅田も食べるの」
「おいカレン、ちょっと待っ——もぐ」
持っていた肉饅頭をカレンに無理やり押し込まれ、僕はしかたなく口を動かした。さすがは上等な蓬莱饅頭、口のなかに広がった濃醇な肉の香りが鼻腔を刺激して、いやおうなくよだれがどばどば出てくる。おいしい。カレンがだらしなく鼻の下をのばすのもうなずける。しかしよくもまあ、こんなにたくさんの肉饅頭を振舞っているもんだ。罠を心配していた僕はいくぶんか脱力して、肉饅頭を食べながらカレンを横目に見る。
「ん〜、おいひいの〜」
あいかわらずカレンは肉饅頭をうまそうに喰う。《
そしてまた、僕のつくった手づくりチョコレートも……と、そう思ってしまうのだ。
——たいせつなひとのつくった、手づくりの媒菓、です。
僕のポケットには、屋台料理頂上決戦でつくった手づくりのチョコレートがある。市販のものより形は悪いし、たぶんあんまりおいしくないだろう。そしてもちろん、《マナドルチェ》のように彼女たちに供給できる魔力も込められていない。こんな不細工な菓子のかけらを、カレンは食べてくれるんだろうか。
僕はポケットに手を突っ込み、チョコレートに手を触れた。
「なあ、カレン」
「ん〜?」
満面の笑みで肉饅頭を頬張るカレン。僕は意を決して、彼女に言う。
「食べてほしいものがあるんだけど……」
「ん? なになに? もっとおいしい蓬莱饅頭があるのっ?」
「いや、ちがうんだ。僕の——」
「いい食べっぷりだね、嬢ちゃん」
そこへ、世話焼きのおじちゃんたちが声をかけてくる。僕の言葉はとぎれ、カレンの意識はおじちゃんたちへ向けられた。いくらなんでもなタイミングの悪さに、僕は肩を落とした。
「見てて気持ちがいいよ」
「準備した甲斐があるってもんだ」
「いえいえ、それほどでもないの」
まんざらでもなさそうに照れるカレン。おじちゃんのひとりが、彼女にこんなことを言う。
「お嬢ちゃん。ここだけの話、奥の座敷に『ひみつの蓬莱饅頭』があるんだ。神さまへのお供え物なんだけれど、お嬢ちゃんにはとくべつに食べさせてあげよう」
「ほんとなのっ? うひょお、いいひとたちなの〜」
両手に肉饅頭を持ったままのカレンは、鼻の下を伸ばしながら立ち上がる。
「あ、おい、カレン」
僕の呼びかけにも応じない。頭のなかはひみつの蓬莱饅頭とやらでいっぱいのようだ。スキップなんかを踏みながら、連れられて大部屋を出て行ってしまった。
「……ったく、もしほんとうに罠だったらどうするんだよ……」
カレンがいなくなったとたんに、なんだか部屋の喧騒がわずらわしく思えて、僕は窓際まで逃げた。かすかに開かれた窓からは、帝都にそよぐ秋の風が吹き抜けてくる。
僕は座り込んで外の景色を眺めた。高台の拓けたところに建っているこの茶屋からは、遠く市街の風景を見渡すことができる。森の下にある神社のお祭りの賑やかな灯りがぼんやりと浮かび、宵闇に沈んだ遠くの街には街灯がきらきらと星のように瞬いている。空を見上げれば、そこにはほんものの星たちがきらめいている。
「はあ……」
僕は思わず溜息をついた。なんだか気分が晴れなかった。どうしてだかわからないけれど……カレンのこれまでの態度を見ていると、不思議とそんな気分になる。
——だいじょぶだいじょぶ。ん〜、おいひいの〜。
僕が心配してせっかく来てやったのに、当の本人は好物を振舞われてのん気ににやけていた。僕の呼びかけなんかお構いなしで、ふらふらのこのこついて行きやがった。なんだかおもしろくない。
そして、今日という日までの態度を思い出すと、心の奥底がもやもやしてくるのだ。
——バカ梅田。
——わたしの探偵のくせに。
——う、梅田なら……梅田なら水着女子を見かけたら迷いなく抱きつくだろうなと思って、決死の覚悟をしてたのっ。
——梅田、あういう天使みたいな子が好きなの?
——ちるちるをそんな変態の目で見ないでほしいの。帝都の天使が汚れる。
——ごめん、でもほら、へんな夢みちゃって食欲わかないから……。
僕はたぶん、腹が立っている。
ほんとうになぜだかわからないけれど、無性に腹が立っているのだ。それはおそらく、カレンが僕のことをぞんざいに扱い、しっかりと向き合ってくれないからかもしれない。
彼女の探偵として、彼女の補佐として、彼女をこんなにも必死でサポートしているのに。
彼女のことを考えて、勝負なんか二の次にして、せっかくチョコレートをつくったのに。
食欲わかない、というだけのことを理由にして、彼女はそれを無下にしたんだ。
「……っ」
僕は大きく首を振った。
僕がいま抱えているイライラもきっと一時の気の迷いだ。せっかく心配して来た甲斐もなく、だらしなく肉饅頭を頰張っているだけのカレンの顔を見せられて、すこし気分が悪いだけだ。冷たい秋風にさらされれば、頭も冷えるにちがいない。
「……帰ろうかな」
僕は立ち上がり、大部屋の喧騒から抜け出して茶屋を出た。肌を撫でる外気はしんと冷えて、僕は思わず身震いする。振り返ってみたものの、茶屋はわいわいと騒がしいだけ。彼女を残して帰ることにやや気が引けたが、少しの逡巡のあと「べつにいいか……」と思った。
高台を降りる階段へと足を踏み入れようとした、そのとき。
——梅田。
だれかが呼ぶ声が聞こえたような気がした。もう一度振り返ってみたが、茶屋からはあいかわらず騒ぎ声しか聞こえない。気のせいだったか。幻聴が聞こえるほど僕は疲れていたのかもしれないと思い、はやく屋台に戻って休もうと足を動かした。
——梅田っ……。
「……っ!」
気のせいではなかった。僕は足を止めて振り返った。茶屋から漏れる喧騒のなかに、それに覆いかぶさる秋の静寂のなかに、叫びのような呼び声をもう一度聞き取ろうとした。
木の枝から途切れたイチョウの黄葉が一枚、はらはらと降ってきた。その落ち葉につられるように、僕の口から彼女の名前がこぼれ出た。
「……カレン?」
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