#02-17「いつかかならず」

 恥ずかしながらサインをねだると、みちるは「そんなのでいいんですか……?」と驚いていた。僕たちにぜひお礼をしたいというので、カレンたちが切り出したのだ。

 みちるははにかみながらサインを書いてくれた。色紙に書かれたサインを眺めながら、三十重は頰を赤らめて鼻を膨らませていたし、はしゃぐ花熊はぺろぺろ舐め回しそうな勢いだし、カレンに至ってはだいじそうに抱きしめている。力みすぎて肩が震えているので、またお腹が痛くなったのかと心配になったほどだ。「カレン、大丈夫? また新しい生命産まれるか?」と訊くと、「はあ? 梅田なに言ってるの?」と一蹴された。ツッコミでも照れ隠しでもなんでもない、純粋な「はあ?」だったので、僕はいささか傷ついた。

「アリスがよろこぶの」

 カレンお姉ちゃんは嬉しそうに言う。

「よかったな」

「うん。ちるちる、ありがとうなの」

「いえいえ、こちらこそ」

 みちるが低頭する。「みなさん助けていただいて、ありがとうございます」

「べ、べつにっ、感謝されたってうれしくなんかないぞっ。ぼくは……ぼくは、きみの笑顔が見られればそれでいいのだっ」おまえのそのキャラってツンデレで合ってるの?

「みちる殿、花熊もおしゃれパンティ食べたいでありますっ、こんど食べさせてください!」

「……?」

 首をかしげるみちるに、「マカロンのことですよ」と耳打ちする。みちるはくすっと笑うと、にこやかにうなずいた。

「はい。甘いもの食べながら、いっしょにおしゃべりしたいですね」

 みちるのサインを天に捧げる供物のように扱っている三人のかたわら、僕はみちると言葉を交わした。

「梅田さん、ごめんなさい。痛くなかったですか?」

「え? ……ああ」

 花熊がみちるをぶん投げたときのことを言っているのだ。痛くない……といえばうそになる。

「いや、ええと……、はい、痛かったです」

 彼女はふわりと笑った。その笑顔を見た僕は、照れ隠しにほおを掻いた。

「梅田さんが抱きとめてくれたとき、とてもうれしかったんですよ」

 みちるがそう言ったとき、僕の心臓はとんでもなく跳ね上がった。ステージ上で彼女が見せた、最高の笑顔が脳裡によみがえる。みちるのほんとうの笑顔だ。僕は目の前にいる春日野みちるという少女を見つめた。「心から笑えるように」という彼女の願いを、この帝都の七夕の夜に、僕たちは叶えてあげることができたんだろうか。

「梅田」

 はっと我に帰り、声がしたほうを向くと、カレンがゴミ溜めにでも一瞥をくれているかのように僕を見下ろしていた。

「ちるちるをそんな変態の目で見ないでほしいの。帝都の天使が汚れる」やかましいわ。

「ちるちる」

 カレンが言う。「これからもあなたのファンでいるの。がんばってね」

「はい」

「ぼ、ぼくも、ずっと、おうえ、お、おう、おう——」

「みんながんばるでありますよ〜〜っ!」

 天使のように微笑むみちると、それをデレデレしながら眺めるカレン、そして顔を真っ赤にしながらついに「ずっと応援してる」を言えなかった三十重をひっくるめて、花熊が思い切り抱きしめた。ひとしきりわあきゃあ騒ぎ合ったあと、みちるが言う。

「カレンさん。このご恩は、いつかかならずお返ししますっ」

「ん〜、じゃあ」

 カレンは答えた。「わたしが絶体絶命のピンチになったら、ちるちるが助けてね」

「……はいっ!」

 アイドルになに頼んでんだ……と馬鹿馬鹿しく思いながらも、僕は目の前の光景を愛おしく思った。馬鹿馬鹿しい言葉を交わし合うからこそ、僕たちはこうやって笑い合えるんだ。

「じゃあね、ちるちる」

 カレンのあいさつとともにみちるの許を去ろうとしたとき、遠くで誘拐犯やコーベ・マフィアからの押収品を検めていた夙川警部が叫んだ。

「押収品が足りませんわっ。さては……に、西宮カレン怪盗団〜〜ッ!」

「あ、やべ」

 懲りずに追っかけてくる警部たちから、僕たちはそそくさと逃げるのだった。



 キタノの拠点へ逃げ帰ったあと、僕はヒョーゴ警察からくすねたマフィアたちの押収品を整理した。活動資金やら宝石類やら、なかなか上物が手に入った。傘下の《ドルチアリア》の媒菓だろうか、それとも屈強なマフィアたちのおやつだろうか、なかには大量の菓子もあったりした。これはあとでみんなで食べよう。

「……ん?」

 そこでもやはり、僕はとあることに気づく。

 警部からくすねたときより、押収品が少なくなっているのだ。

 三十重を部屋へ呼んで事情を説明する。押収品を眺めた彼女も、どうやらおなじ疑念を抱いたようだ。

 チョコレート事件のときのように、戦利品が減っている。

「どういうことなのだ……?」

「わからない。いちどカレンに——」

「みんなー、見て見て!」

 僕の言葉の途中で、向こうの部屋からカレンの大声が聞こえた。なにごとかと三十重と急いで駆け寄ると、彼女はパソコンのメール画面を見せてきた。

 メールタイトルは「ご招待状」、ファイルがひとつ添付されている。宛先人は不明。ウィルス検知ソフトの動作を確認しながら、僕は添付ファイルを開いた。

 それは一枚のチラシだった。

去田さるた神社 大秋祭』

「お祭り……?」

 僕は首をかしげる。

 カレンが言うには、こんど帝都市内にある去田神社で行われる「大秋祭」に、露店を出店させないかというお誘いらしい。どうやら近年、祭りに店を出す香具師やしが、ここ帝都では減りつつあると言うのだ。祭りを盛り上げていくためにも、露店は活気づけたいという。お祭りと聞いて、また花熊がはしゃぎそうだ……。

「大秋祭に露店を出して、ひと儲けするのっ!」

 びしっと宣言するカレン。僕と三十重はおたがい顔を見合わせて、またひと騒動起きる予感に、深いため息をつくのであった。

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