#02-16「きょうでさよなら」

 天使の歌声が響いた。

 力尽きた僕とカレンは、いっしょに花熊の肩に担がれながらステージを後にした。三十重の魔法で退路をつくりながら、ふたりで僕たちを運んでくれている。

 いつのまにか会場にはヒョーゴ警察がなだれ込んできて、潜伏していたコーベ・マフィアをみごとにあぶり出して捕らえていた。みちるのパフォーマンスする舞台上にマフィアたちはなにが見えていたんだろうか、御影さんの魔法にかけられた彼らは、あるものは絶望的な表情で立ち尽くし、あるものは顔面蒼白にして震えながら、警察たちに捕まっていた。夙川警部は自慢の巻き髪を振り乱しながら、凛とした表情で指揮を執り続けていた。

 そんな阿鼻叫喚のコンサートホールでも、会場に集まったみちるのファンたちは、ずっとみちるを見守っていた。自分たちの待ち望んだ帝都の天使を、ステージに立つ超人気アイドルを、そして春日野みちるというひとりの少女を見つめていた。彼らのあげる声援は、マフィアのどんな叫び声よりも、ヒョーゴ警察のどんな怒号よりも、大世界アイランドホールのすみずみまで響き渡った。

 みちるは言った。

『私はきょう、アイドルをやめようと思っていました』

 それは、西宮カレン怪盗団がみちるに「力になりたい」と伝えたときに、彼女が放った言葉。

 ——私、今回でもうアイドルやめようと思ってたんです。

 ——ファンのみんなが私を応援してくれるのも、わたしの魔法のせいで。アイドルとしての私を心から応援してくれるひとなんて、だれもいないんじゃないかって、そう思ったら……なんだか哀しくなって。

『マフィアのひとたちに操られて、悪いことを手伝わされて、私はアイドルとしての自信をなくしていました。それに、みんなには内緒にしていたんですけど、私、《ドルチアリア》なんです。みんなが私を見てくれるのも、その魔法のおかげで』

 彼女は夢に裏切られた。ずっと夢見ていたアイドルとはほど遠い、悪の組織の片棒をかつがされるような仕事に、彼女は辟易していたんだ。アイドルとしてのみちるをファンたちが応援するのも、彼女の魔法《チャーミングチャーム》のせいだと思っていた。

 でも、と僕は思う。

 ほんとうにそうだろうか?

『もうアイドル・春日野みちるは、これ以上ここにいてはだめなんだって。そう思ったら、どうしてかステージでうまく笑えなくなって。もう一度、ちゃんと笑えるように、アイドルのお仕事とはお別れしよう、そう思いました』

 会場から地響きのような歓声が聞こえた。びりびりとホールが軋む。やめないで、とファンのだれかが泣き叫んだ。光る波が揺れた。

 ほんとうにそうだろうか?

 目の前の輝かしい光景は、彼女の魔法がつくり上げた幻想なんだろうか?

「……ちるちるは、すごいね」

 花熊の背中でカレンがつぶやいた。

「……ん?」

「……きょうはマカロン、食べてないの」

「……うん」

 そうだ、これは幻想なんかじゃない。春日野みちるは、力でもなく、魔法でもない、ただ自分の気持ちをぶつけあうだけで、ひとの心を奪おうとしているんだ。

『でも……でもっ、きょうこのステージに立って、梅田さんやカレンさん、三十重さんや花熊さん、ヒョーゴ警察のみなさんのおかげでここに来られて……みんなとお逢いして、みんなの顔を見て、みんなの声を聞いて、私思ったんです、やっぱり、やっぱり、アイドルが好き……っ!』

 カレンたちが息を飲んだ。

『だから、アイドル・春日野みちるは、きょうでお別れです。これまでの春日野みちるとは、きょうでさよならします。あしたから、魔法に頼らない新しい私として、ステージでちゃんと笑えるように』

 みちるはマイクを握りしめて前を見た。宝石みたいな彼女の瞳に、きらめく星が散った。

『みんな、それでもまた、応援してくれますか?』

 それからもう、歓声以外なにも聞こえなくなった。

 僕はしずかに目を伏せた。泣きそうになったからかもしれないし、安堵に笑いたくなったからかもしれない。三十重が涙を隠しているのも、カレンがわんわん号泣しているのも、花熊の涙と鼻水で僕の背中がびしょびしょなのも、なんだかとても素敵なことのように思えた。なぜなら、

 ——わたしはきょうから、ふつうの女の子になりたいんです。カレンさんたちみたいに、心から笑えるように。

 かつてそう願っていた春日野みちるが、いままさに、最高の笑顔だったからだ。

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