#02-09「ひとりのファンとして」

 その後、カレンはみちるのSPとしての責務をまっとうしてみせた。

 たとえばあるとき、みちるが席を立って別室に移動する際、道中ですれ違ったケータリングワゴンがみちるにぶつかりそうになった。するとカレンはとっさの判断で「梅田!」と叫ぶ。僕はみちるをかばって彼女の前に立ちはだかり、突進してきたワゴンに彼女の代わりに轢かれた。おかげでみちるは無事だった。

 たとえばあるとき、みちるが控室に無造作に置かれた炭酸飲料の缶に手を伸ばした。するとカレンはとっさの判断で「梅田!」と叫ぶ。僕はみちるの手から缶を取り上げ、その缶を開ける。なかから勢いよくジュースがこぼれ出し、僕はみちるの代わりにずぶ濡れになった。花熊がふざけてめちゃくちゃに振った缶だったのだ。おかげでみちるは無事だった、あとで花熊説教な。

 たとえばあるとき、みちるが「お腹すいちゃった」と独り言を漏らした。するとカレンはとっさの判断で「梅田!」と叫ぶ。僕は最寄りのコンビニまで全力ダッシュし、みちるの好きな甘いものを買ってすぐに戻ってきて、戸惑うみちるに渡してあげた。おかげでみちるの小腹は無事だった……って、ちゃんとやってんの僕だけじゃないか! 最後のはただのパシリだしね!

 僕の献身的な自己犠牲の甲斐あってか、みちるはしだいに笑顔を向けてくれるようになった。コントみたいな僕とカレンたちのやりとりを見て、ふわふわとやわらかい笑みを浮かべてくれる。

「ふふ」

「あ〜、ちるちるが笑ったの!」

 カレンがそう言うと、みちるは恥ずかしそうに頰を赤らめる。

「だって、みなさんとてもおもしろいんですもの。なんだかもう、可笑しくって」

「春日野みちるが笑った……かわいいのだ……」

 ミーハー三十重はアイドルの笑顔に射止められて悶絶している。

「わーい、みちる殿! 花熊もみちる殿と遊べておもしろいであります!」

「やめろ花熊っ」

 花熊がみちるに抱きつこうとするので、僕は止めるので精一杯だった。花熊が彼女に抱きついて馬鹿力で締め上げようものなら、帝都じゅうのみちるファンに命を狙われて街を追われ、一生帝都の土を踏めない気がする。

 買ってきたコーベプリンを控室で食べながら、怪盗団の《魔糖少女ドルチアリア》三人がみちるの歌う曲でなにがいちばん好きかということをわあわあ語り合っているかたわら、みちるが僕のとなりに来て座った。

「たいへんですね」

 みちるが言う。「こんなにぎやかな方々といっしょだなんて。私だったら目を回して倒れてしまいそうです」

「僕は特殊な訓練を受けているので」

「特殊な訓練? 会場のスタッフさんにも人知れぬ苦労が……? ごめんなさい、私、なんにも知らなくて」

 みちるはまだ僕のことをこの会場のスタッフだと思っている。カレンの正体も知らないのだ。

「私、なんにも知らないんです……こういう時間の楽しみ方とか」

 ふとみちるの表情に影が差した。僕たちの護衛と衣装をいらないと言った、あのときとおなじだ。僕は彼女の表情と、彼女の言葉の行き着く先を見つめた。

「楽しみ方?」

「はい。梅田さんやカレンさんたちといっしょにいると、思うんです。こんなふうにだれかと楽しくおしゃべりできたらなって。憧れていたアイドルになれたのはよかったんですけど……夢に見ていたのとぜんぜん違くて。わたし、こんなことのためにアイドルになったんじゃないって」

「こんなこと……?」

 みちるがこぼした言葉に、僕はどうしようもなく不安に駆られた。超人気アイドル・春日野みちるは、その心のなかにどんな闇を抱えているんだ? 彼女に「もう関係ない」と言わしめたその心の闇は、どれほど彼女の心を蝕んでいるんだ? その闇をつくりだす原因は、いったいなんだ?

「はい。じつは……」

 みちるが唇を震わせる。僕は息を飲んだ。みちるの抱える真実の核心に、もしかしたら触れられるのかもしれない。その口からぼとりと吐き出される彼女の心の叫びを、この手ですくい取れるかもしれない。

 しかし彼女は、その言葉を飲み込んでしまう。ふるふるとかぶりを振り、力ない笑みを僕に向けた。

「……いえ、なんでもないです、忘れてください」

 僕は肩を落とした。受け止めかけたみちるの心の叫びは、するりと僕の手のひらの隙間からこぼれ落ちてしまった。

「ちるちる」

 いつの間にか、僕たちの前にカレンが立っていた。

「いままで騙しててごめんね。わたし、あなたの専属SPなんかじゃないの。事務所とも契約してない」

「え?」

 とつぜんカレンが言った。呆然とするみちるの目の前で、カレンの身体が淡いオレンジ色に包まれはじめた。彼女の姿は女SPではなくなり、僕にとっては見慣れた、みちるにとっては驚くべき格好に変わった。

「わたし、《ドルチアリア》なの」

「あなたは、か、カレイドガールさん……っ?」

 怪盗・《万華少女カレイドガール》の姿に戻ったカレンは、みちるのとなりのソファに腰掛けた。目の前にいる少女がいま帝都を騒がせる怪盗少女だと知ったみちるは、ちいさな口を大きく開けて驚愕している。

「あなたの事務所なんて関係ないの。わたしはただ、ひとりのファンとしてあなたの応援をしに来た。それと同時に、ひとりの怪盗として、あなたの心を奪いに来たの」

 カレンはそう言いながらも、みちるの前で自分の正体をさらけ出しているのだ。彼女の十八番おはこである魔法・《万華変装カレイドフォーム》も使ってはいない。三十重だってその魔法で心を開かせたりはしないし、花熊だって馬鹿力を使わずにただみちるを見守っている。彼女たちは、力でもなく、魔法でもない、ただ自分の気持ちをぶつけあうだけで、ひとの心を奪おうとしている。

「わたし、あなたの力になりたいの」

「ぼくもなのだ」

「花熊もであります!」

 みちるは《ドルチアリア》たちを見つめた。そして僕にその目を向ける。「僕もですよ」と言うと、その瞳が揺らいだ。宝石のように輝く大きな瞳の奥で、星みたいにきらきらと光が弾けた。

 みちるはうつむくと、ゆっくりその口を開いた。

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