第94話 新たな剣
『剣の修復か……』
レンは折れた剣を見せられ、どうしたものかと頭を悩ませる。
当然、元通りに直すのは簡単である。しかし、先ほどアンジェから聞いた話では、元通りに直すのは至難の業らしいのだ。
アテナに頼んで修復するのは簡単だが、色々と勘繰られる恐れもあった。
唯でさえ屋敷――城――や水差しのことを問いただされ参っているのに、ここで元通り修復を行うのは自ら地雷を踏むような行為である。
レンはそれらを考慮し、どうするべきかを考えていた。
正直、直すのは簡単だ。
アテナに頼めば直ぐに終わる。
でも、さっきのアンジェの説明だと元通りにするのはほぼ不可能だ。
それが直ぐに元通りになったら絶対に怪しまれる。
アンジェは唯でさえ竜王国に疑念を持っているし、最近も
いっそ、
でも、どこから国外に情報が漏れるか分からないしな……
レンの思考を遮るようにアンジェの声が聞こえてくる。
「それで誰か腕のいい鍛冶屋を知らないかしら?」
『鍛冶屋か……。残念ながら鍛冶屋に知り合いはいないな』
「レンの知り合いには竜王国のお偉いさんもいるんでしょ?どうにかならないの?」
『鍛冶屋の知り合いがいるとは思えないなが……』
竜王国では武器を作るのに鍛冶屋を必要ないため、重臣たちが鍛冶屋を知っているとは思えなかった。
可能性があるとすれば、冒険者をしていたエイプリルとセプテバなのだが、活動していた大陸が違うため、この大陸に知り合いの鍛冶屋がいないのは想像に容易かった。
そこでレンはある武器屋を思い出す。
『そう言えば以前行ったコルタカの武器屋は自ら武器を作っていたな。あそこの武器は品質が良いと言ってなかったか?』
「確かに武器の品質は良かったけれど、直せるのかしら……」
『取り敢えず行って話を聞いてみよう。何とかなるかもしれないしな』
「……そうね、話だけでも聞いてみましょう」
アンジェとしてはレンの知り合い、正確には竜王国の重臣に鍛冶屋を紹介してもらいたかった。
しかし、レンの口振りからは腕の立つ鍛冶屋の紹介は期待できそうにない。
他に打開策もないため、アンジェはレンの提案を受け入れざるを得なかった。
確かにレンの言葉通り、以前紹介した武器屋は中々の品質揃いで、鍛冶屋としての腕の良さも期待はできる。
しかし、剣を一から鍛えるのと修復するのでは勝手が違う。それは素人のアンジェでも分かることであり、修復は無理だろうと半ば諦めていた。
コルタカの街に到着するなりメイとデュラをベヒモスに残し、レンとアンジェは早速懐かしい武器屋に足を運んだ。
建物は相変わらずの掘っ立て小屋で、客は一人もいない寂れようである。
薄暗い店内に足を踏み入れると、店の奥から店主のオヤジが厳つい顔を覗かせた。
「よう有名人、久し振りだな」
『半年振りに来たが、店は相変わらずのボロだな』
「ボロは余計だ。で?今日は何の用で来たんだ?悪いがお前に渡せるような剣はまだ用意出来てねぇ。オリハルコンが思うように手に入らなくてよ……」
店主のオヤジが顔を顰めながら言葉尻を濁した。
オリハルコンは希少な金属であり、簡単に手に入るものではない。
このオヤジもまたレンの剣を作るためにオリハルコンを買い求めたが、その高額な値段ゆえ十分な量を仕入れられずにいた。
付け加えて店は閑古鳥が鳴くような有様である。オリハルコンを購入するための資金も既に底をついていたのだ。
武器を用意できないことから店主の表情に暗い影が落ちていた。
『その気持ちは有難いが私には既に武器がある。もう剣は必要ない』
「そうなのか?まぁ半年も経ってるし当然か……」
『うむ、今日来たのは他でもない。武器の修復を頼みたいのだ』
レンがアンジェに振り返ると、アンジェは布に包まれた剣をカウンターの上にそっと置いた。
店主は布を広げて剣を見た途端、眉間に皺を寄せて難しい顔をする。
それもその筈、ミスリルの剣は中央から折れて真っ二つになっているのだ。店主の様子から見ても修復が困難なことは一目瞭然である。
『直りそうか?』
レンの言葉に店主は「むぅ」と唸るばかり、直ぐに返答がない。
折れた剣を持ち上げて何度も見上げている。
一頻り確認が終わると店主が重い口を開いた。
「修復はできる」
その言葉にアンジェの表情が和らいだ。
しかし、次の言葉で表情は再び曇り出す。
「だが、元通りには無理だ。修復のためには全て溶かして一から打ち直す必要がある」
「全て溶かす……」
アンジェが絶望したように呟いた。
折れた剣は柄も全てミスリルで出来ていたが、そこには家紋が入れられており細かな細工も施されている。
全て溶かすとは、それらも全て溶かさなければならないことを意味していた。
アンジェの落ち込む様子を見て思わずレンも顔を顰める。
『折れた部分だけを溶かして繋げられないのか?』
「無理言わないでくれ。ミスリルの融解温度が何度だと思っている。部分的に溶かすなんて無理な話だ」
『しかし、それだと修復ではなく作り直しになるな』
「一つだけ言わせてもらうが何処に持って行っても答えは変わらないぞ。融解温度の低い金属で繋ぎ合わせることはできるが直ぐに折れちまう。残念だが完全に修復するのは諦めるしかない」
その場に重苦しい空気が流れる。
こうなったらアテナに頼むか。レンがそんなことを思っていると、アンジェが苦笑いを浮かべながら店主に話しかけた。
「ねぇ、それを短剣に打ち直せる?鍔も必要ないから取って欲しいけど、柄の部分には手を加えないで欲しいの。出来るかしら?」
「出来るがそれでいいのか?」
「ええ、構わないわ」
『いいのかアンジェ?』
「私も修復は難しいと思ってたし、柄の部分が残ればそれでいいわ」
アンジェにとって家紋が入っている柄の部分が何より意味があった。
家を出たといっても貴族としての矜持や誇りが失われたわけではない。
何れ歳をとって冒険者を引退した際には、家宝の剣と鎧を返すつもりでいた。そのため、アンジェは家紋を潰すようなことを望みはしなかったのだ。
「分かった。責任を持ってこの剣は短剣に打ち直す」
「よろしくね。オヤジさん」
アンジェに笑顔を向けられ、店主のオヤジがニカッとしながら自らの胸を叩いた。
「任せとけ!」
剣が直らないと知りアンジェも吹っ切れたのだろう。先程までの落ち込んだ姿は何処にもない。新たな剣を求めて店内に視線を移していた。
レンもまたアンジェがそれでいいのなら余計なことはすまいと口には出さない。
アンジェ同様、店内に置かれている武器に視線を向けるが、レイピアのような細身の剣は見当たらなかった。
アンジェは速度を生かした戦い方を好んでいるから、できればレイピアがいいと思うんだが見当たらないな。
他の武器屋で購入するか、新たに作ってもらうしかないか……
そこでレンは先程の店主の言葉を思い出す。
『店主、オリハルコンがあるんだろ?それでレイピアを作れないか?』
「レイピアか、確かに普通の剣よりもオリハルコンの量は少なくて済むが、それでも量が足りないからオリハルコンだけじゃ無理だな……」
店主のオヤジが言葉を続けようとしたが、それをレンの溜息が遮る。
『はぁ、そうか……』
残念そうに俯くレンの背中をアンジェが落ち込むなと言わんばかりにバシバシ叩いてくる。
アンジェを元気づけようとオリハルコンのレイピアを提案したのだが、これではどちらが慰められているのか分からない。
「元気出しなさい。私の剣もきっといいのが見つかるわよ」
『そうだな……』
二人のやり取りを見て店主のオヤジが溜息を漏らして口を開いた。
「人の話は最後まで聞けよ。オリハルコンだけじゃ無理だが、折れたミスリルの剣先を合わせれば余裕で作ることが出来る。オリハルコンとミスリルの合金になるから強度は純正のオリハルコンより劣るが、それでもミスリルより遥かに強度は上がるはずだ」
「ほ、本当に作れるの?」
「なんだ嬢ちゃん、俺の言葉が信用できねぇのか?俺が作れるって言ってんだ。作れるに決まってるだろ?」
そう告げられると、アンジェは潤んだ瞳でレンを見つめた。
「レン、レイピアが作れるって。折れた剣先もまた一緒に戦えるって」
『ああ、良かったな』
折れた剣先が、また自分の剣として生まれ変わるのが余程嬉しいのか、アンジェは瞳に涙を溜めながらレンの言葉に頷いた。
「うん」
涙を堪えるアンジェを見て、オヤジは少し言いづらそうに口を開く。
「だが、時間は掛かるぞ。オリハルコンを溶かすとなれば炉の温度を上げるだけでも一週間は掛かる。短剣の方は数日で出来るが、レイピアを作るには半月は掛かるだろう。それでもいいのか?」
「半月くらい全然いいわよ。ねぇレン」
そう言って嬉しそうに振り返るアンジェに駄目と言えるはずがない。
レンの言葉は決まっている。
『構わない。店主、最高のレイピアを頼むぞ』
「おおよ。俺の最高傑作を用意してやる」
店主のオヤジは胸を張り自信に満ちた表情で答えた。
レンもこれなら問題はないだろうと胸を撫で下ろす。
あと必要になるのは当面の間使う剣だが、この店にはレイピアのような軽そうな剣は少ない。
レンがどうしようかと考えている間に、アンジェが一本の小振りの剣をカウンターに置いた。
「オヤジさん、これを購入したいけどいいかしら?」
「レイピアが出来るまでの繋ぎの剣か……。レイピアが出来た時に返してくれたら料金は要らねぇよ」
「本当にいいの?」
「構わねぇ。その代わり短剣とレイピアの代金はしっかり貰うからな」
「分かったわ。ありがとうオヤジさん」
アンジェが可愛らしくウィンクすると、店主のオヤジは照れたように視線を逸らす。
「早く出ていきやがれ。俺はこれから炉の温度を上げたり、折れた剣を短剣に打ち直したりと忙しいんだ。半月は店を閉めることになる。今度お前らと会うのは半月後だ」
『そうか、最高のレイピアを期待しているぞ』
「オヤジさん、よろしくお願いね」
店主のオヤジは二人を手で追い払う仕草する。
レンたちがその場から立ち去ると、折れた剣を持って意気揚々と店の奥に消えていった。
暫くすると店の奥からは鎚を振り下ろす音が鳴り響いていた。
それから半月の間、レンたちは旧エルツ帝国に入り冒険者ギルドを覗いていた。
しかし、竜王国となった今では討伐系の依頼は全くと言っていいほどない。
魔物は狩り尽くされ盗賊は全て捉えられているため、ある依頼と言えば荷下ろしや荷上げなど街中での依頼が中心となっていた。
ベヒモスもいることから、当然そんな依頼を受けたりはしない。
そのため、レイピアができるまでは各自自由に過ごすことに決まった。
アンジェはノイスバイン帝国に移動することを勧めたが、今まで休みらしい休みがなかったこともあり、レンは思い切って半月の長期休暇を取ることにしたのだ。
その間、アンジェは朝から晩まで鍛錬に励み、それにデュラも付き合った。
レンはといえば、街に鍛冶屋がないことを危惧していた。今まではアテナたちに必要な物を作らせていたが、今後もそれを続けるわけにはいかない。
そのため、鍛冶屋に必要な設備や店舗を用意して鍛冶師を募ることにした。
尤も、レンの中で最初に声を掛ける人物は決まっていた。引き受けてもらえるかは未定だが、もし引き受けてもらえるなら、竜王国専属の筆頭鍛冶師にしても構わないとさえ思っている。
それぞれが思い思いに過ごし月日が流れていった。
そして半月後、レンとアンジェはレイピアと短剣を受け取るため、いつもの武器屋に足を踏み入れていた。
店の奥から店主のオヤジが厳つい顔を覗かせている。
二人の姿を見るとニッと笑みを浮かべてカウンターの上にレイピアと短剣を置いた。
「出来たぞ。レイピアは間違いなく俺の最高傑作だ。強度は勿論だが切れ味も申し分ない。手入れさえ怠らなければ簡単に折れることもないだろう。短剣も新品同様に打ち直している」
余程の自信作なのだろう。店主のオヤジはどうだと言わんばかりにアンジェの顔を覗き込んでいる。
カウンターに置かれたレイピアは美しく磨かれ傷一つ無い。僅かに蒼白の光を放ち輝いている。
そして剣の柄には短剣と同じ家紋が入れられ、細かな細工まで同じように施されていた。
アンジェは目を丸くしてジッと柄の細工に釘付けになる。
暫くすると、その口からやっと言葉が漏れてきた。
「この柄の部分は?」
「これか?嬢ちゃんが短剣の柄の部分に拘ってる様子だったからな。同じに作ってみたんだ。中々器用なもんだろ?」
アンジェはレイピアを掲げて柄の部分をまじまじと見上げた。
短剣の柄と寸分違わぬ模様が施されているのを見て思わず声が溢れていた。
「凄い……」
それを聞いて店主のオヤジも上機嫌になる。
「だろ?眺めてないで持ってみてくれ」
アンジェは言われるがままレイピアを握り締める。
以前の剣と同様、手に吸い付くように握りやすい。
アンジェの顔が綻ぶのを見て店主も嬉しそうに目を細めた。
「握りやすいだろ?その柄の模様が滑り止めの効果も果たしてるんだ。この模様を考えた奴は、そこら辺のことも考慮していたんだろうな」
「柄の部分の細工もしてくれるなんて……。ありがとうオヤジさん。このレイピア大切に使わせてもらいます」
「こっちは商売でやってんだ。気にすることじゃねぇよ。それと、これがレイピアの鞘だ」
アンジェはカウンターの上に置かれた鞘を手に取り、レイピアを鞘の中に収めた。
すると、ピタリと鞘の中にレイピアが収まり、ガタつきなども全く見られない。
鞘を腰に差すと、以前から使ってきたかのような一体感すら覚えた。
アンジェは次にカウンターの上の短剣に手を伸ばす。
こちらは初めから鞘に収められており、柄の部分は以前のままで鍔が取り除かれていた。
鞘から短剣を抜くと、新品同様傷一つない刀身が姿を現した。
初めから短剣として作られたかのように違和感がない。
アンジェも思わず嬉しくなり表情が緩む。
「凄い、完璧よ」
「当然だ。俺は自分の腕に自信を持ってる。中途半端な仕事はしねぇからな」
そこでアンジェは少しバツが悪そうに借りていた剣をカウンターに置いた。
剣を鞘から抜くと、途中からポッキリと折れており無残な姿になっている。
少しおどけた様にアンジェが口を開いた。
「借りていた剣折れちゃった」
「お、おお、まぁ仕方ねぇな。でも折れちゃったって、半月で折れるような剣じゃないはずなんだが……」
「勿論、折れた剣の代金も支払うわ。全部で幾らになるのかしら?」
「なら金貨30枚だ」
「金貨30枚?いいの?オリハルコンの相場を考えれば安すぎない?」
「安心しろ。僅かだが俺にも利益はある」
「ならいいけど……」
アンジェは腰に下げた革袋から金貨を30枚を出してカウンターの上に置いた。
余程アンジェを信用しているのか、店主はそれを数えることもなく引き出しの中にしまい込む。
それを見ていたレンは、支払いが終わるのを見計らい一歩前に出た。
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