第26話 竜王国11

 レンの姿が完全に見えなくなるとオーガストは立ち上がる。その顔からは大量の汗が滴り落ち憔悴しきっていた。重い体を動かすように、のそりと食堂に戻る姿は外見以上に老けて見える。

 食堂で待ち構えるフェブたちが目にしたのは、疲れ果てたオーガストの姿だ。

 オーガストは倒れ込む様に椅子に座り飲み物を口に含むと、ゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。

 溜息を吐き、ほっと一息つくオーガストの姿をみて、フェブが心配そうに側に寄る。


「大丈夫かよ。何があったんだ?」

「レン様を呼び止めて、お三方の怒りに触れたのだ。あれ程の殺気を受けたのはいつ以来だろうか……」


 オーガストは「ふう」と項垂れた。


「まぁ、呼び止めただけで? 以後、気をつけないといけないわね」

「うわぁ、お三方はちょっと厳し過ぎるんじゃないっすか?」

「迂闊にレン様をお呼び止めしたのです。不敬と判断されても仕方ないと思うのですが……」


 ジュンが神妙な面持ちで注意を促し、エイプリルがそれはないだろうと言うと、ジュライが当然だと肯定する。


「くっくくっ……」


 突如、俯いたままのオーガストが笑い出す。


「げっ! 何すか? 気味悪いっすね」

「殺気に殺られて頭が可笑しくなったんじゃねぇか?」


 エイプリルとフェブが思わず後ずさりする。

 オーガストは変な笑い声を上げると、顔をガバッと上げて喜々として話し出した。


「レン様は仰しゃたのだ。上位竜スペリオルドラゴンは大切な配下だと。意思疎通を図るためにも、直接話すことや触れることを許すと。そして配下と親しくなりたいとな」


 他の上位竜スペリオルドラゴンが瞳を輝かせる。


「それ本当なの? つまりレン様と挨拶を交わしたり、日常会話をしても許されるということ?」

「まさか、そこまで仰るなんて」

「やっぱ其処らへんの王とは違うぜ」

「惚れ直したっすよ」

「流石は偉大なる主です」

「う、器の大きさが、ちち、違います」

「すごいの」


 ジュン、ジュライ、フェブ、エイプリル、ジャニー、マーチが素晴らしい主と褒め称える。メイは流れに乗ってなんとなく言っているだけだ。


「本当に素晴らしい御方だ。これ程偉大で慈悲深い主は、レン様以外この世に存在しないだろう」


 オーガストは歓喜に震えながら偉大な王の存在を褒め称える。

 全員がその言葉に頷き、偉大な王に仕える喜びを噛み締めた。暫く余韻に浸り、落ち着きを取り戻してきた頃、ジュンが本題を投げかける。


「それで? レン様は誰をお選びになったのか教えていただけるかしら?」


 再びオーガストに注目が集まる。全員固唾を飲みオーガストの言葉に耳を傾けた。


「レン様のご指名は、エイプリル、ジュン、ノーヴェの三人だ」


 指名されなかったフェブが肩を落とし項垂れる。対照的なのはエイプリルとジュンだ。満面の笑みを隠そうともしない。


「いやぁ、流石レン様。見る目があるっすね。レン様のためにも頑張るっすよ」

「私が選ばれるのは当然ね。ご期待に添える働きをしますわ」


 そんなエイプリルとジュンを羨ましそうに眺めるフェブ。オーガストはフェブの肩に手を乗せると優しく慰める。


「今回の任務で相手を殺すことは許されない。だからエイプリルたちが選ばれたにすぎん。次の機会がきっとあるはずだ。そんなに落ち込んでいたら、その機会を見失うことになるぞ?」


 選んだのはオーガストであってレンは了承したに過ぎないが、それでも承諾したのだからレンが選んだも同じだ。嘘は言っていない。

 オーガストの言葉にフェブは僅かに笑みを見せた。


「そうだよな。これっきりじゃないんだ」


 フェブは気持ちを新たにすると、調子に乗るエイプリルとジュンをからかうために、意気揚々と歩み寄る。


「お前ら浮かれて任務に失敗するんじゃねぇのか?」

「失礼すっね。失敗なんかしないっすよ」

「どうして貴女はそんな言い方しか出来ないんですか? ここは私たちを素直に応援すべきでしょう? そんなことだから――」


 騒がしい女性たちに、ノーヴェは呆れて肩を竦める仕草をした。


「やれやれ、騒がしいことこの上ないですね」


 テーブルの上にはエイプリルとメイが乗り、それを他の女性が取り囲んではやし立てていた。


「レン様に大切な配下と言われたのだ。浮かれる気持ちも分かるがな。お前は嬉しくないのか?」


 オーガストは微笑ましく女性たちを眺めていた。その一方で、ノーヴェには鋭い視線を向ける。大切な配下と言われても、何も感じないのであれば、その忠誠心は疑う余地があると感じたからだ。


「もちろん嬉しいにきまっています。ですが、そのお言葉は直接レン様からお聞きしたかったですね。貴女を介して聞いたのでは嬉しさは半減です」


 オーガストは顔をしかめてノーヴェの様子を窺う。


(直接お言葉を聞いた私とでは感じ方は違うのかもしれないが、それでもレン様から大切な配下と言われたのだぞ? しかも今回の件について任命もされている。普通は嬉しくて仕方ないはずだ。だがノーヴェからは喜びのような感情が伝わってこない。忠誠心に問題があると見るべきか……)


 オーガストは真意を確かめるようにノーヴェの瞳を凝視する。ノーヴェはオーガストの態度に呆れ果てるも、仕方ないかと弁解の言葉を口にした。


「まったく、何ですかその目は。私のレン様に対する忠誠心は揺るぎませんよ。疑うのはやめていただけませんかね?」

「ノーヴェ、お前もエイプリルやジュンと同様、レン様からご命令を受けている。なのに嬉しくないとはどう言うことだ?」

「嬉しいですとも。だからこそ浮かれてばかりもいられません。先程フェブがからかって言っていましたが、本当に失敗など許されないのですからね」


 何で疑われているんだと、ノーヴェは溜息を吐きたくなる。

 実際、ノーヴェはレンに絶対の忠誠を誓っている。それは生涯変わることのない永遠のものだ。直接言葉を聞けなかったのは残念だが、今回選ばれたことも小躍りしたくなるほど喜んでいる。

 それだけに失敗はできないのだ。何故それが分からいのかと、ノーヴェは心を苛立たせた。


「まぁ、お前の言うことは最もだ。疑って済まなかったな」

「ではレン様のお言葉を詳しく教えていただけますか? 選ばれた人選から想像はつきますが、万が一があってはなりませんからね」


 オーガストは頷くと、騒いでいるエイプリルたちに視線を移した。


「エイプリルとジュンにも伝える必要があるな」

「この馬鹿騒ぎをいい加減やめさせたらどうです? 我々スペリオルドラゴンを束ねるのは貴女なのですから。今のこの状況は、レン様のお言葉を伝えるのに相応しとは思えません」

「分かっている」


 オーガストは大きく息を吸い込んだ。


「静まれ! 今からレン様のお言葉を伝える!」


 レンの言葉と聞いて全員ぴたりと動きを止める。自分の椅子へと即座に戻り静かに耳を傾けた。今までの騒ぎが嘘のように静まり返り、自然とオーガストに注目が集まる。

 静まり返った食堂にオーガストの声が響き渡った。


「エイプリル、ジュン、ノーヴェの三名は、ドレイク王国の北部国境で待機せよ! 国境の警戒に当たり、もしノイスバイン帝国が接触した時には、こちらに食糧支援の用意があるむねを伝えるのだ! それでも侵攻を止めない時には、相手の命を奪うことなく無力化することを命じる! 移動には居城を守護する下位竜レッサードラゴンの使用が許可された! これはレン様の勅命である! よいか! 絶対に失敗は許さん! 失敗した時には全員の首が飛ぶと思え!」


 オーガストは上位竜スペリオルドラゴンを束ねる者として強く命じる。以前は不落浮遊城の王だったこともあり、命じる様は堂に入った姿だ。

 そして……。


「勅命、確かに拝命いたしました」


 エイプリル、ジュン、ノーヴェの三人が神妙な面持ちで口を開いた。そこには先程までの巫山戯ふざけていた姿は何処にもない。

 三人はオーガストから発せられた言葉の意味を噛み締める。レンの勅命を何度も頭の中で反芻はんすうすると、決意を新たにするのであった。

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