第12話 報酬

「……二人とも、森を目指して走って! そこまではこの真竜も追って来られない!」


 ユナは剣を抜き、戦う構えだ。


「無茶だ、また一人で戦うつもりか!」


「昨日と違って、この雑木林には障害物がある! 森までならなんとか、私も撤退できると思うから、早くっ!」


 ……いや、そうではない。


 昨日は『洞窟』という格好の避難場所があった。

 それに対して、生い茂る木々の密度が高くなる森までは、約一キロもの距離がある。

 長時間、狭い洞窟をくぐり抜けてきた疲労もある、ユナ一人では持たない。

 かといって、俺も、そしてジルさんも、竜相手に戦力とはならないだろう。


「……竜は夜目があまり利かないの、早く逃げて!」


 ユナは電撃や光弾の魔法を使っているが、大した牽制にはなっていない。

 鬱陶しい、程度にしか感じていないのか、竜は俺達三人に向かって、大きく口を開けた。


「来る、ドラゴン吐息ブレス!」


 灼熱の火炎が放出される……そう覚悟したとき、竜は突然、苦しそうに顔を左右に振った。


「……まだ、俺の投げたダガー、のどに残っているんじゃないのか?」


「かもしれない! だったらチャンスだわ!」


 ユナは竜の後方に回り込んで、尾の付け根辺りに長剣を突き刺した。


 グオォルラァー、という咆吼と共に、竜は体制を反転させようとする……が、首が高さ十五メルほどの木に引っかかってしまう。

 さらに追い打ちを掛けようとしたユナだが、竜が反動をつけてもう一度その木に首を打ち付けると、メキメキッという不気味な音がして、その木は勢いよく倒れてしまった。


 その下敷きになりそうだったユナ、なんとか飛び退いて躱すも、その場所に竜の顎が迫る。

 ユナは懸命に転がるように脱出、竜はなおも口を開けたまま追撃してくる。

 彼女にとってはピンチ、しかし、これは俺にとっては、チャンスでもあった。


 ジルさんから、食べると激しい炎症を起こす、毒キノコと魔鉱石入りの瓶を預かっており、それを竜の口に向かって投げつけようと構えた。


 ……と、竜はそれに気付いたのか……口を閉じて、こちらを睨み付けてきた。


 思わぬ展開に、俺の判断は一瞬遅れた。竜、夜目が利かないんじゃあないのか?


「……本能的に理解し、気付いたんです……口を開けていると、また何か放り込まれて酷い目にあうと。タクヤさん、竜は知能が高いです、おそらくもう通用しない!」


 ジルさんの、叫びにも似た警告だった。

 ……マジか!?


 とりあえず、一旦森の方に向かって逃亡を開始する。

 ユナもこちらに向かって走って来て、すぐに追いついた。


「ユナ、竜は本当に夜目が利かないのか?」


「全く何にも見えないっていうことはないと思うけど、視力が落ちるのは確か。でも、嗅覚や聴覚、カンの良さは人間の比じゃないから、気を付けて……っていうか、私は私でうまくやるから、早く逃げて!」


 竜がこちらに向かって走り出したのを見て、彼女は体を反転させ、またその巨体に向かっていく。

 いくら炎を吐かないからといって、絶対にそうだという保証はないし、あの巨体や首、手足に触れただけで大ダメージのはずだ。鋭い爪が当たれば、致命傷となるだろう。


 にもかかわらず、単身突っ込んでいくユナ。

 上級冒険者は、全員あんな感じなのだろうか……。


 まだ、森までは九百メル以上残っていそうだ。

 確かに、竜は昼間ほど動きにキレはないようだ。


 ユナは時々剣で竜に傷をつけてはいるようだが、ほんのわずか出血する程度で、大したダメージは与えられていない。

 竜はユナの姿を時々見失っているように見えるし、夜目があまり利かないっていうのは本当らしい。


 ……夜目……目!?


 ここで、俺はある閃きが浮かんだ。


「……ユナ、ほんの一秒でいい、竜の動きを止められるか?」


「……何をするつもり?」


「実際に見せた方が早い。でも、今のままじゃ、竜の動きが速すぎるんだ!」


「……分かった」


 ユナは、何か呪文を唱えながら、所々に生えている広葉樹を盾にして竜からの攻撃を巧みにかわし続ける。

 とはいえ、彼女は集中力の多くを魔法構築に使っているためなのか、若干動きが鈍い。


 竜はここぞとばかりに動きを速め、邪魔になる樹木を手当たり次第になぎ倒しながら、俺達の方に迫ってきた。


「……できたわ! 疾空雷破ク・レイン!」


 ユナの右手から雷撃がほとばしる。

 昨日の初撃のものよりは威力が劣るが、それでも、スパークに包まれた真竜は、ビクンと体を硬直させた。


「今だっ!」


 クイックモーションで、液体の入った瓶を、竜の額めがけて投げつけた。

 竜は、迫り来る『何か』に対し、硬直していた体をほんのわずか、ずらした。

 そしてそれは、頭部に命中した。

 瓶は割れ、中の液体が飛び散る。


 ……約、三秒後。


 グボルルッ!……グルルラァ! というおぞましい大咆吼を上げて、真竜はのたうち回って苦しみだした。


「……何? 何が起きたの!?」


「毒キノコの水溶液をぶつけた……多分、目に入った」


「目に? それであんなに……」


 頭部を地面にこすりつけたかと思うと、勢いよく首を跳ね上げて、メチャクチャに振り回す。 周囲の樹木が次々になぎ倒されるが、こちらに向かってきてはいない。


「両目ともやったの? だったら、倒せるかも……」


「……いや……」


 と、俺達の声が聞こえたわけではないだろうが、竜は一瞬動きを止め、こちらに顔を向けた。

 顔の半分が見た目でも分かるほど腫れ上がり、片方の目は瞼が完全に塞がっていた。

 しかし、もう片方の目は、俺達を呪い殺すかのような、怨念を込めた、狂気じみた禍々しさで睨み付けてくる。


 ぞっとした。


 キサマ等、絶対に食い殺す――。


 まるで、そう宣言されているようだった。


 その後も、再び頭を振り回し、苦しんでいる。


「だめだ、片目は生きている! どのみち、あの暴れ方じゃ近寄れない!」


「分かったわ、逃げ……」


 そこまで話したところで、カクン、とユナの膝が折れた。

 慌てて彼女を抱え込む……と、俺の手に、ぬるっとした、生暖かい感触が伝わってきた。

 掌をみて、背筋に冷たいものが走った。

 鮮血で、真っ赤に染まっている……。


「背中……竜の爪、かすったみたいなの……そんなに、傷は深くないはずだけど……」


 そう呟くユナの顔は、青ざめている。


「ユナ、ユナッ!」


 うろたえてしまう、情けない俺。


「……私の出番のようですね……」


 と、ジルさんが進み出た。

 そうだ、彼は医者だった。

 ジルさんは、しゃがみこむ彼女の背中に手を当てて、呪文を唱える。

 二、三回、わずかに光が漏れた。

 ジルさん、こんなこともできるんだ……。


「止血、増血、鎮痛の魔法を使いました。どれも応急処置です。村にもどったら、きちんと手当をしましょう、とにかく今は……」


「はい、森まで逃げましょう!」


 俺はユナを背負って、ジルさんは俺達の分まで荷物を抱えて、急いで走り出した。

 背後からは、相変わらず真竜の、苦しそうな咆吼が聞こえて来た。


 その後、森に入った段階で、ジルさんの指示でユナをうつぶせに寝かせ、革鎧を脱がせて、その下のシャツをまくり上げる。

 その行為に少しどきっとしたが、今は非常事態だ、気にしている場合ではない。

 白い肌は、鮮血で真っ赤に染まっていた。


 しかし、幸いな事に本人も言っていた通り、出血の割にはそれほど深い傷ではなく、命に別状はないし、傷跡も残らないだろう、とのことだった。


 ジルさんはさらに増血の治癒魔法を施した。

 その結果、ユナは、数十分後には自分の足で歩けるほどにまで回復していた。


 さすがに、竜はもう追ってこない。

 そのまま歩き続け、朝になってようやく、アーテムの村に辿り着いた。


 入り口では、村人が何十人も集まっていて……そして俺達が、格好をボロボロにしながらも、無事帰って来たことに、皆、安堵の表情を浮かべてくれた。


 ジルさんは、この村でも有名な医者だった。


 その彼が、二人の護衛と共に竜の住む洞窟まで、ホシクズダケを取りに行って、彼等の馬だけが村に帰ってきた。


 本人達は、夜になっても帰って来ない――。

 一時は、あきらめの声も出ていたという。


 とりあえず、ジルさんは、リュック一つにいっぱいに入ったホシクズダケを見せた。

 村人達の間から、歓声が溢れる。


「……今はこれだけしか取ってこられませんでした。アーテム病の症状の出ている人から、優先的に使ってください!」


 彼の言葉に、皆、俺達を英雄扱いしてくれた。


「いや……いい話ばかりではありません。洞窟に住み着いた竜は、空を飛ぶ真竜でした! この村にすら、飛来するかもしれません! 大変危険です、すぐに対策を! それに、この娘さんが怪我をしています、診療所に連れて行ってあげてください!」


 空を飛ぶ真竜、と聞いて、村人達は騒然となった。

 ジルさんも疲れているはずなのに、てきぱきと指示を出す。さすがだ。


 皆、ユナのことを心配していたが、


「いえ、大丈夫です。ジルさんに応急処置、受けましたから……」


 と、安心させていた。

 ちょうどその頃、ジルさんの元に駆け寄ってくる女性の姿があった。


「ジル先生……よかった、無事だったんですね……」


 アーテム病の初期症状と、彼が帰ってこないショックで寝込んでいたアイシスさんが、知らせを聞いて駆けつけてきたのだ。


「……ああ、アイシスさん……ほら、こんなにホシクズダケ、取って来られましたよ……あのお二人のおかげです」


 こんなときまで俺達に気を使うジルさん。アイシスさんも、何度も、こちらが恐縮するほど頭を下げてくれた。


「……でも、ジル先生、無茶しすぎです……竜の住む洞窟に入るなんて……」


「……どうしても、君に元気になって欲しかった。君はもう、私にとって、かけがえのない存在なんです」


「えっ……」


 アイシスさん、真っ赤になっている。

 ……それって、昨日、俺がユナに言った言葉だ。

 俺、こんな恥ずかしいセリフ、言ってしまったんだな……。


 でも、ジルさんも相当、舞い上がっているようだ。

 だって、周りに何十人も村人がいるのに、こんな告白するなんて……。


「……ダージルさんの喪が明けたら……私と結婚、してもらえませんか?」


 い、いや、ジルさん! いくらなんでも早すぎだ!

 俺もユナも驚いて、顔を見合わせる。


 周囲の村人も同じ反応だ。

 アイシスさんも戸惑っているじゃないか!

 しばらく、場が凍り付いたようになったが……。


「あ、あの……私で良ければ……」


 おおー、と歓声があがり、拍手が沸き起こる。

 俺とユナは、ぽかんと口を開けてしまった。


「……ああ、申し訳ない、二人には話していませんでしたが、一昨日の夜、貴方達と別れた後、ちょっと二人で会って、いろいろ話、していたんです……」


 という、彼の照れたような言葉を聞いて、ようやく納得できた。


 そして俺の目には、二人の間の『運命フォーチューンライン』が、くっきりと直結している様子が見えていた。


「……ねえ、タク……今回の報酬って、いくらになるんだっけ?」


「えっと……基本料金が一万ウェン、それに、今日帰るとしたら、日当で、二日の予定が三日になったから、九万ウェンで……計、十万ウェンだな……」


「……結婚相談所って、割に合わないのね……」


「ああ……そうだな……」


 普通はこんな命がけの冒険なんてしない、と説明しようとしたのだが、本当にヘトヘトに疲れており、もう適当に相づちを打つことしかできなかった。

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