不自然な存在

 自然の中に住んでいるな、と実感することがある。たとえば、迎えを待つために玄関から出たところでエゾシカと目が合ったとき。あるいは、外の人感センサーライトが夜半に点灯し、カーテンを手でよけてみるとキタキツネだったとき。夜空に隙間なく星が輝いているとき。キッチンの窓から雪のうえをひた走るエゾリスを見かけたとき。風が木々をゆらす音しか聞こえないとき。そんなとき、私は世界の一員になったような気になる。住処としているこの家と私とみゃーことが、森の営みのなかにおじゃましている。ちっぽけで壮大な気分になる。

 オジロワシやオオワシとカラスが不自然なほど集まっているところには、必ずといっていいくらいに獣の死骸がある。このあいだはタヌキだった。私はすぐ横を車で通り過ぎた。以前、湖の反対側から出勤してくる人たちが、ヒトに食べ物をもらってしまったのだろうキタキツネがいると話していた。車を見ると道路の脇から出てきてうろうろしているという。「かわいそうに」「いつか轢かれるんじゃないかとヒヤヒヤする」ヒトが食べ物をくれる存在だと覚えてしまったがさいご、だ。ひとつきほど経ったころ、いつもいた場所で死んでいたと教えられた。きっとそのキツネだ、と彼女は渋い顔をしていた。

 六年目の流氷に会いに行ったときもキタキツネが雪原に横たわっていた。赤い色に染まった雪のうえにいて、遠目でも何某かについばまれたあとであることはわかった。死が、次の生へと繋がったのかもしれなかった。

 死を目撃するときもまた、自然の中に住んでいるということを思い出させる。普通人が想像するような都会に住んでいたころには思い至らなかったことだ。今の私は自然の中に住んでいるけれど、所詮は森の営みのなかにおじゃましているだけの存在だ。自然の中に不自然が混ざっているとも言える。いつか私がここで死を迎えたとしても、次の生へと繋がることはない。仲間には、なりきれない。

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