春は僕らに出会いを運ぶ

 1月。朝8時。風が肌を刺すほど冷たく、コートのポケットに手を突っ込んで歩く。立ち並ぶ木々に葉は一枚もない。まだ辺りが暗い中、凍った雪道の上を転ばないように歩幅を縮めて歩く。コーヒーと肉まんの入ったコンビニの袋に触れる。そのわずかな時間で感じる温かさに喜びを覚える。僕は最後の課題提出のために建築棟で徹夜をしていたため、眠気覚ましに近くのコンビニで朝ご飯を買い、大学へと向かっていた。


 課題提出は無事済み、講評会も終了した。

 僕の考えた設計案はいつも通りに可もなく不可もない無難なものだった。発表の際には教授からの指摘にたじろぎ、論理的な回答を頭の中から引き出すのに精一杯であった。

 彼女はというと、いつも通りに教授からの指摘に一歩も引かずに説明していた。


 講評会が終わると、彼女はすぐに製図室から出て行った。僕はその後ろ姿を追いかけ、外に出たところで声をかけた。

 彼女が振り向く。

 一瞬だけ、厚い雲の隙間に太陽が見えた。もうすぐ地平線に接しようとしていた。


 何をすればいいかは、もう、わかっている。

 彼女は何も言わず俯いていた。

 僕は深呼吸をする。吐き出された息が白くなり、そして広がる。

 雪が静かに僕らの間を通り過ぎる。


「あの時は、ごめん。何も言えなくて。」

 僕は謝った。まずそれが僕のすべきことだと考えたから。僕に答えを求めてきた彼女に救いの手を伸ばしてやれなかったこと、そのことを後悔していた。

「でも、今日はちゃんと伝える。だから、聞いてくれないか。」

 彼女は顔を上げたが、その目は僕から視線を外すように横を向いていた。これほどまでに弱々しい彼女を僕は今まで見たことがない。

「もう、私に構わなくていいよ。私に、合わせてくれなくていいよ……。」

 もうこれ以上、彼女との距離が開いてしまうことに僕は耐えられない。だから伝えるんだ。

「ああ、その通りだ。合わせる必要なんて全くない。そもそも、合わせることが間違いなんだ。」


 雪を降らせていた灰色の雲が、後ろに隠れている日の光でわずかに明るくなっている。僕は彼女に聞こえるようにはっきりとした口調で話しかける。

「合うっていうのは、平面と平面が合わさるような、表面的にしか重なっていないことなんだ。2次元的にしかその関係を捉えていないんだ。」

 僕は僕自身に驚いている。これほど明確に意思を持って自分の考えを伝えることはしてこなかった。でも、彼女を納得させるには一歩も引くことは許されない。僕は続ける。

「そしてその面は、その人の性格とか考え方を表す表札みたいなもので、だからこそ人によって大きさは違う。もし僕らが、合わせる合わせない、合う合わないということをこれからもずっと考えたとしても、全部他人とぴったり合わせることなんてできない。それは、僕たちの手の大きさがまったく違うことと一緒なんだ。合わなくていいんだ、違っていいんだ。」

 彼女は僕の方をようやく向いたが、目からはいつも僕を見透かしているような強い意志を感じない。手はやはりギュッと固く握られている。

「……じゃあ結局、どうしらたいいの?」

 彼女の言葉に力がこもる。

 彼女は欲している、この問いへの答えを。そして、僕の言葉を。


 さっきまで降っていた雪はいつの間にか止んでいた。

 僕は真っ直ぐに彼女の目を見つめて、彼女の問いに答えた。伝えるべき言葉、伝えたい言葉。

「それは、包み込むんだよ。」

 僕が導き出した答え。それは捉えようによっては単純なことかもしれない。でも、僕が彼女と過ごした時間の中で確かに感じ取り、そして唯一見つけ出した答えだった。

「ぴったり合わせることができないから、包み込むんだ。僕らはお互いのことも周りのことも、ちゃんと見ているようで、実のところそれはその人の一側面しか見ていなかったんじゃないかな。よく人には良い面もあれば悪い面もあるって言うよね。でもさ、それだけじゃなくて、可もなく不可もないような普通の面もあれば、人にもっと知ってほしい面、人から見られたくないような面、理解されない面もある。そういう色んな面があって、それらがつながりあうことで、そこから別の空間が生まれる。そうやって自分が形作られていく。立体的に、人はできているんだ。そうすれば、今まで合わせることしかできなかったのに、包み込むことができるようになる。宮沢、僕らはまだ自分自身のことを2次元的にしか見れていないんだ。だから、これから色んな面を知っていこうよ。色んな宮沢で僕のことを包み込んでよ。そして、宮沢も僕の色んな面を知ってよ。僕が宮沢を包み込むから。」


 僕は宮沢に思いを伝え終えると、手を差し出した。

 今まで宮沢から差し出されていた手。

 今度は自分からと決めていた。

 宮沢の目からは涙が一筋流れた。太陽がすべて隠れる直前の、最も美しい瞬間の光を受けて、その涙は輝いている。

 僕もまた、涙を流していた。まるでそれは今まで胸の奥底に積もっていた何かが解けていくようだった。


 そして、差し出された20センチの手にゆっくりと15センチの手が重なり、優しく包み込まれた。



 僕らの春は、すぐそこだ。

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