夏  求婚

 真っ暗な部屋の中でベッドに仰向けになり、アメリアは天蓋を見つめた。それは確かにそこにある筈だが、どんなに見つめても暗い部屋の中では何も見えない。窓は分厚いカーテンに覆われているし、燭台の蝋燭はアメリアが寝ている間に燃え尽きてしまったらしい。

 アメリアは溜息を吐いて目を閉じた。もっと目が慣れれば何か見えるに違いないが、アメリアが見たいものは今ここには無い。アメリアは腕を滑らせて冷たいシーツを撫でた。


 求愛を受けて以来クイルが当たり前のように抱き締めて眠ってくれていたので、こんな風に時々独りのベッドで目覚めると心許ない気分になる。公爵が言ってくれた通りにクイルと結婚すれば、こんな思いをしなくてよくなるのだろうか? その誘惑はアメリアを甘く魅了した。しかしやはり両親のことを思うと踏み切れない。


「クイル……」


 寝返りを打ちながら呟いた。


 私はどうしたらいいのだろうか。


 眠りの縁で公爵が微笑みながら頷いていた。


 公爵様、あなたはいつも唐突で、少し強引過ぎるのですわ。


 アメリアが顔を顰めて見せても、公爵はただ嬉しそうに微笑むばかりだった。



     *



 ベッドの軋む気配にアメリアは重い瞼を上げた。いつの間にか部屋は再び淡い橙色の灯かりに包まれている。


「すみません。起こしてしまいましたね」


 片肘を突いて少し困ったように笑うクイルにアメリアは手を伸ばした。頬に触れるとその手を取って引き寄せられる。アメリアの唇から吐息が零れた。


「もう帰ってしまったのだと思ったわ」


 寄り添った胸板に接吻けるように囁く。


「ジェイキンスと少し話をしていたのです。それから使いを遣ってジャックに届け物をさせました。こんな時間に呼び出されて不機嫌そうでしたが」


 クイルが低く笑うとアメリアの頬にその振動が伝わった。


「アメリア、目が覚めていますか?」


「ええ、覚めているわ」


 アメリアが答えるとクイルは彼女の頭のてっぺんに接吻けて微笑んだ。


「では、少しの間起きて私に付き合ってください」


 クイルはアメリアを寝台の上に引き起こした。

 その時初めて、自分がくしゃくしゃのキャミソールしか身に付けていないことに気が付いて、アメリアは慌てて胸元までシーツを引き上げた。

 それを見てクイルがくすりと笑う。もっと大胆な姿をもう何度も見ているのに、アメリアは未だにこういう場面で恥じらいを見せる。


「貴女のそういうところも大好きですよ」


 軽く接吻けて寝台から降りたクイルは、アメリアとは対照的に何も着ていないことを気にも留めない。それを見て顔を赤らめたのはアメリアの方だった。

 椅子の背に掛けた上着から小さな箱を取り出して、クイルは再びアメリアの隣に腰掛ける。箱はヘアピンが入っていたのと同じ深いブルーで、しかしそれよりもうんと小さい。アメリアの鼓動が跳ねた。

 クイルが蓋を開けると、白いベルベットのなかに薔薇が一輪咲いていた。金色と珊瑚色の花びらの中心に真珠が埋まっている。


「アメリア」


 クイルが口を開くとアメリアの鼓動はますます高まった。


「どうか私と結婚してください」


 真摯な瞳で見つめられてアメリアは言葉に詰まる。クイルは指輪の箱を枕の上に置いてアメリアの手を取った。


「確かに、貴女がイエスと言えばご両親は公爵家との繋がりを失います。ですが、言わなければモーリスはいつまで経っても公爵になれません。それにご両親のプライドは多少傷付くかもしれませんが、私は公爵家と同等の援助をお約束します。ねぇアメリア、モーリスはきっとしつこいですよ」


 クイルが鼻の頭に皺を寄せたのでアメリアは思わずくすりと笑みを溢した。

 毎年しつこく遺言状の開封を迫った彼のことだ。きっとアメリアが頷くまで四六時中ついて回るだろう。何しろ今回は、どうすれば欲しいものが手に入るのか明確に示されているのだから。


「いつか彼に根負けして頷くよりも、今ここでイエスと言ってください」


 クイルは小さな箱から指輪を取り上げた。


「アメリア、貴女を愛しています。この指輪を嵌めて、貴女も私を愛していると言ってください」


 あんなに激しく打っていた鼓動が音を止めた。

 アメリアの脳裏に、春の夜の噎せ返るような薔薇の香が蘇る。


 朝露に濡れた花びらが。

 青空を背に腕のなかに落ちた白いブーケが。

 幾つもの笑顔と涙が。

 懐かしい公爵の声が。


 アメリアはクイルを見つめた。その腕に抱かれて眠った夜と、一人目覚める闇を思った。



「はい」



 アメリアは頷いた。

 湧きあがってくると思っていた罪悪感が襲ってこないことに驚いたが、今は気にしないことにした。クイルがアメリアの左手を取って薬指に指輪を滑らせる。

 泣き腫らして赤いアメリアの目に再び涙が溢れた。欲しくて堪らなかったものが本当に手に入るなんて信じられない。


「愛してるわ」


 アメリアは囁くように言った。息を潜めていないとこの幸せが消えてしまいそうな気がして。


「愛しています」


 抱き締められて溜息が漏れる。


「きっと大切にします。これからの人生を共に歩んでください」


「誓うわ」


 背に回した腕に力を込めてクイルを抱き締める。薄いキャミソールの生地がもどかしい。肌と肌で触れ合って、いっそ溶けて混ざり合いたいくらいなのに。


 不満気に漏れた溜息は、クイルの唇に掬い取られて甘い吐息のなかに消えた。

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