夏 公爵の思惑

 脚の間に座らせて後ろから抱き締めていたアメリアの嗚咽が次第に治まってゆく。最後に鼻をすんと啜ってアメリアはクイルに振り向いた。


「ごめんなさい」


 赤い目で見上げられてクイルは微笑んだ。


「何故謝るのです?」


 汗で額に張り付いた前髪を払い、そのまま涙に濡れた頬を拭う。


「公爵には敵いませんね」


 クイルが笑うとアメリアの瞳にまた涙が盛り上がった。クイルの優しい手がアメリアの髪を撫でる。

 泣きたいだけ泣けばいいとクイルは思った。そして泣き疲れて眠るのがアメリアの為だ。きっと、目が覚めていたらいろいろ思い悩むに決まっているのだから。


 嗚咽が啜り泣きに変わり、吐息が規則正しい寝息に変わっても、クイルは静かにアメリアを抱き締めていた。緊張を失った身体が心地好い重みをクイルにかける。

 頽れるアメリアを抱き止めたとき折れそうに軽かった身体は、今は柔らかな曲線を取り戻した。濃い隈の浮いていた顔には薔薇色の輝きが戻った。こっそりと逢瀬を重ねる蜜月は幸せに満ちていた。

 それでも、足りなかったもの。

 どうしてもクイルがアメリアに与えてやれなかったものを、公爵は何年も前から用意していた。


 まったく、あの人には敵わない。


 アメリアが寝入ったのを確かめて、ドレスとコルセットを脱がせベッドに寝かせる。



 扉を開けて窺うと邸内は静まり返っていた。どのくらい時間が経ったのか分からないが、客人たちは皆帰ったらしい。クイルはそっと部屋を出て階下に下りた。

 思った通りジェイキンスは階下に控えていた。クイルを認めると頷いて図書室へ入って行ったので、その後に従って中へ入る。


「皆様お帰りになりました」


 グラスにブランデーを注ぎながらジェイキンスが言った。


「奥様方は貴方やアメリア様にお話をお聞きになりたいご様子でしたが」


 微笑みながらクイルにグラスを渡す。いつもは鋭いまなじりが下がって瞳が輝いていた。


「嬉しそうだな」


 グラスを受け取りながらクイルが笑う。


「ええ、嬉しゅうございますよ」


 ジェイキンスが笑みを溢した。

 クイルがキャビネットに歩いて行きグラスを満たして差し出すと、ジェイキンスは一瞬躊躇ってから受け取った。


何時いつから知ってた?」


「遺言のことでございますか?」


 ジェイキンスはブランデーを少し嘗めて笑った。


「初めて貴方にお会いした晩に」


 驚くクイルを見てジェイキンスは微笑みながらもう一口啜った。


「旦那様は少々型破りなところがございました。その所為か浅薄であると誤解されることもありましたが、決して確信なしに行動される方ではございませんでした。もちろん、貴方を招き入れた時点であらゆる検証をし、結果を考慮しておいででした」


 そこで執事はグラスを置いて悪戯っぽくクイルを見た。


「そして旦那様は過信も致しません」


 言いながら上着のポケットから白い封筒を二通取り出す。


「思惑通りに事が運ばなかった場合にはこちらをと」


 ジェイキンスがその封筒を燭台に翳すと乾いた紙は炎に包まれた。


「こちらを開ける日が来なかったことを大変嬉しく思います。旦那様も私も、今日の一通が開封されることを願っておりましたので」


 ジェイキンスは空の暖炉に火の点いた封筒を放った。あっという間に燃え上がったそれは見る間に灰になる。


「ローウッド様」


 振り返った執事が深々と頭を下げる。


「私などが申し上げるべきことではございませんが、どうかアメリア様を宜しくお願いします」


 顔を上げた彼の瞳には涙が輝いていた。


「本当に宜しゅうございました」


 ジェイキンスに微笑まれてクイルは頷いた。グラスを掲げて琥珀色の酒を嘗める。お互いに黙ったまま、ちびちびと杯を干した。

 穏やかなジェイキンスの表情を見て、同じように穏やかだった公爵の微笑みを偲ぶ。喰えない二人の年寄りに見込まれて、クイルは誇らしく思った。

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