初夏 混ざり合う夜

「あなたの服の方が邪魔だと思うわ」


 溜息とともにアメリアは言った。クイルは上着を脱いだだけで、弛めたネクタイすら外していない。アメリアはそのネクタイに指を絡めてそっと抜き取った。


「クラヴァットはしないのね」


 再会して何度か会ったクイルはいつもネクタイをしていた。


絹のクラヴァットあれは貴族の召し物ですよ」


 そんなことはない。成り上がりの実業家たちは挙ってその取り澄ました恰好をしている。


「あなたにはこちらの方が似合っているわ。とても素敵……」


 アメリアの手からネクタイをそっと取り上げてクイルはそれをベッドの足元に放った。


「皆が噂しているの」


 クイルがシャツを脱ぐのを見守りながらアメリアは言った。


「あなたがとても素敵だって」


 クイルはシャツもネクタイの上に放った。その上に放ったズボンは勢い余ってベッドの向こう側に落ちて消えた。


「これでいいですか?」


 一糸纏わぬ姿でクイルが言った。


「まだ邪魔なものがありますか?」


「ええ……いいえ。ないわ」


 暖炉に置かれた燭台の灯かりがクイルの肌の輪郭を照らす。アメリアは目が離せなかった。

 なんて美しいのだろう。

 クイルの噂話をしている娘たちは実際の半分もその素晴らしさを解っていない。


「次は貴女の番ですよ」


 クイルはアメリアの手を引いて立ち上がらせた。胡坐を掻いたクイルの前に膝立ちになったアメリアの鼓動が苦しいくらいに騒ぐ。


「これは邪魔です」


 クイルにナイトドレスを摘まれてアメリアはごくりと唾を呑み込んだ。震える手で胸元のリボンを解くと、襟刳りが弛んで滑らかな生地はすとんと膝の周りに落ちた。

 クイルにじっくりと愛された胸の頂が紅く尖ってつんと上を向いている。クイルの視線がその頂を通って金色の茂みに落ちると、アメリアのなかの蝶がまたざわざわと騒ぎだした。


 優しく引き寄せられて素肌が合わさる。ぴったりと合ったクイルの胸もやはり酷く打っていて、アメリアは少し安堵した。胡坐を掻いたクイルを跨ぐ恰好になり、脚を大きく開かなければならなかったが気にならなかった。


「アメリア……」


 クイルの吐息がアメリアの首筋を擽る。アメリアは腕を伸ばしてクイルを抱き締めた。今や蝶はアメリアの全身を飛び回っていて、どこもかしこもを震わせていた。おずおずと顔を向けると頬を優しく包まれた。


「愛しています」


 クイルがそっと囁く。アメリアは頬を染めて溜息を吐いた。


「どうか私のものになってください」


「ええ」


 アメリアは自分でも抗いようがなく無意識のうちに頷いた。発した言葉の意味にはすぐに気が付いたが、取り消そうとは思わなかった。


「なるわ。あなたのものになるわ、クイル。わたくしの総てをあなたに捧げるわ」


 溜息とともに囁くと深い喜びに包まれた。

 誓いの言葉は温かく甘美だった。


「私も総てを貴女に捧げます」


 クイルの誓いはさらに甘くアメリアを包んだ。優しく接吻けられて目を閉じる。忍ぶように始まった接吻けはあっという間に火が点いた。


 キスだけで身体中の力が奪われるなんてことがあるだろうか。クイルの指が、まるで羽毛のように軽くアメリアの背筋を這い上がり仰け反らせる。その拍子にふたりの唇が離れてアメリアの口から甘い喘ぎがこぼれた。


 甘い愛撫にアメリアは身を捩った。膝に力が入らない。とうとうアメリアは何とか体を支えようと努力することを諦めた。クイルに体を預けると、まるでそれが正解だとでも言うようにしっかりと抱き留められる。身体を摺り寄せると脚の間にクイルの屹まりを感じた。そうするとますます官能が高まってアメリアは堪らず腰を揺らした。


「慌てないでアメリア。時間はまだたっぷりあるのですから」


 クイルが低く笑ってアメリアを抱き上げた。再び膝立ちになったアメリアをぎゅっと抱き締める。鎖骨の辺りに鼻を擦り付けられてアメリアも小さく笑った。


「愛してるわ」


 クイルの頭を掻き抱くように腕を回す。髪に指を差し入れるとしっとりと汗ばんでいた。


「私も愛しています」


 クイルの囁きが胸の谷間に落ちる。アメリアは吐息を漏らしてクイルの髪に接吻けた。アメリアを抱き締めていた腕がつい、と動き滑らかな肌を探り始める。シーツのうえに横たえられて薄く開いた瞼の隙間から見上げると、クイルの瞳にも焦燥と劣情が色濃く映っていて、ゆったりとした言葉ほどには彼も落ち着いてはいないのだと分かった。

 その頬に触れたくて腕を伸ばす。両手で包むとクイルの瞳が近付いてきて唇を奪われた。


「ん……」


 舌も吐息も絡め取ってしまいそうなクイルの接吻けにアメリアの思考は霧散する。肌を這う指のことしか。標を刻む唇のことしか。混じり合う吐息のことしか。考えられない。

 虚ろな目で虚空を見つめながらアメリアはクイルにしがみついた。お腹の奥の一点に向かって身体が収縮していくような、深い闇に沈み込んでいくような、心許ない心地になる。

 だからクイルにしがみついた。クイルは決してアメリアを離さないと知っていたから。そして、この闇の向こうに眩い光が隠れていると知っていたから。


 細い悲鳴を上げたアメリアの唇をクイルが優しい接吻けで塞ぐ。逞しい腕にしっかりと包まれて、アメリアは遂に光の先に辿り着いた。全身が痙攣する。震える身体を優しく撫でられてアメリアは吐息を漏らした。


「アメリア……」


 呟くように名を呼びながらクイルが羽のような接吻けを繰り返す。それは唇から頬を辿って首筋に落ち、再び唇に辿り着いた。お互いに浅い呼吸をしながら唇を重ねる。アメリアは腕を伸ばしてクイルを抱き寄せた。この上なく幸せだった。


「愛しています」


 クイルが耳元で囁くのを聞きながら、アメリアは深い眠りの淵に落ちていった。

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