春  朝

 アメリアは甘い微睡のなかで目覚めた。

 クイルの逞しい腕に抱かれた感触が今も残っている。

 満足と落胆の混ざった溜息を吐いてアメリアは目を開けた。一瞬見開き、慌てて固く瞼を閉じる。

 心臓が物凄い速さで打ち始めた。薄く片目を開けて窺うと、やはり厚い胸板が視界を覆っていた。

 パニックが全身を廻る。まるで心臓がこめかみまで上がってきたかのように頭ががんがんした。


「わ、わたくし……」


 慌てて両手で胸板を押したがしっかりと回された腕はびくともしない。昨夜の夢が雪崩のように押し寄せてきてアメリアは小さく呻いた。


 そろそろと顔を上げる。

 クイルは規則正しい寝息を立てていて目覚めた気配はなかった。そっと揺すってみても軽く身動ぎするだけで起きる様子はない。

 アメリアは息を詰めてクイルを見つめた。カーテンの隙間から差し込む朝の光が伸びかけた髭をきらきらと輝かせている。クイルの金髪はアメリアのそれよりずっと淡い。光の当たり方によっては白金にも見えるくらいだ。

 アメリアは手を伸ばしてクイルの顎に触れてみた。指先をちくちくと擽る髭をそっと撫でてもクイルは起きなかった。


 愛しい気持ちが込み上げてくる。

 抑え難い幸福感が胸に溢れる。


 夢ではなかった。

 わたくしは確かにこの胸に抱かれた。

 二度と得られないと思っていたものを抱き締めることが出来た。



『私の総てを貴女に捧げます』


 なんて幸せなのだろう。


『わたくしの総てをあなたに捧げるわ』


 そう出来たらどんなにいいだろう。



 アメリアは鼻の奥を刺す涙をぐっと呑み込んだ。クイルの胸をそっと押すと、今度はその胸のなかからするりと脱け出せた。

 身を起こすと、裸の胸に乱れた髪がするりと落ちかかる。白い肌に紅く咲く接吻けの跡を見てアメリアは哀しげに微笑んだ。


 この標が永遠に消えなければいいのに。


 アメリアは思った。そうすれば、独りの夜にもクイルを近くに感じられるかもしれない。

 自嘲の溜息が漏れる。首を振って唇を噛んだ。


 そんなことは許されない。


 望んではいけない。

 求めてはいけない。

 想ってもいけない。


 涙が込み上げてきたが瞬きをして遣り過ごした。今、何時だろうか。ケイトが起こしに来るまでもう少しだけ、クイルを見つめていてもいいだろうか。

 クイルが目を覚ますまで。

 総てを夢の所為にして無かったことにする前に。


 何もかもが輝きに満ちていたあの頃を思い出す。あの頃も、クイルは私のものではなかったし、私もクイルのものではなかったけれど、好きだと言って抱き合うことに躊躇いはなかった。

 それはアメリアが公爵に守られていたからだ。だから、今度はアメリアが守らなくてはならない。公爵の名誉を。

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