春  企み

 顔色が悪い。


 壁際で若いエリザベスを相手に微笑むアメリアを見てクイルは思った。今日は一度も視線を合わせていない。自分に向けられたとき瞳が僅かに揺らぐのを見たくなかった。アメリアがこちらに首を廻らせたのでクイルは慌てて視線を逸らせた。

 もしももう少し視線をとどめていたなら、アメリアの瞳が翳るのを見たかもしれない。しかしクイルは愚かにもアメリアの心を垣間見ることを怖れた。跪いて赦しを請う代わりに舞踏室から逃げ出した。

 部屋を出るときにアメリアたちの脇を通らなければならなかったが、なるべくそちらを見ないようにして通り過ぎた。

 開け放された扉を潜った辺りでエリザベスが小さく息を呑むのが聞こえた。

 反射的に振り返ったクイルの目に傾いだアメリアの背中が映る。


 総てがスローモーションのようだった。

 駆け出したクイルのなかから一切の思慮が消えた。


 これまで公の場でのアメリアとの接触には細心の注意を払ってきたのに。領主の妻と領民以外のなにものにも見えないように。それなのに、今のクイルにはただアメリアを抱き止めることしか考えられなかった。

 腕に落ちてきたアメリアの身体は驚くほど軽く、顔には血の気がない。


「アメリア?」


 蒼白い顔に唇ばかりが紅く、まるでリージェンツパークの側にあるマダム・タッソーの館の蝋人形のようで、クイルは怖ろしくなった。


「アメリア」


 小声で呼びかけるとアメリアの睫毛が僅かに震えた。安堵と共に後悔と怒りが湧いてくる。自分が赦せなかった。

 視線を感じて顔を上げるとエリザベスが訝しげな顔でこちらを見つめていた。動揺していたとはいえ、アメリアを名前で呼んでしまった。迂闊だった。クイルは内心舌打ちしながらエリザベスの瞳を見つめ返した。


「レディ・セントネービスはお一人で来られたのですか?」


 エリザベスは一瞬目を細めてこちらを窺ったが、すぐに美しい表情の下にそれを隠した。


 賢い娘だ。


 クイルは思った。

 甘やかされた伯爵令嬢だと思っていたが、なかなかどうして。


「ええ、レディ・セントネービスに付き添いはいらっしゃいませんわ。わたくしと二人で参りましたの。お目付け役シャペロンをしてくださってますので」


「馬車は?」


 クイルの言葉にエリザベスが微笑む。


「わたくしの家の一台だけ」


 エリザベスの真意が量れずクイルは眉を顰めながら訊いた。


「この方を送り届けてくださいますか?」


「ええもちろん」


 エリザベスが答える。


「でもわたくし、気を失ったレディ・セントネービスを支えきれませんわ」


 一体どういうつもりなのか。

 クイルはエリザベスを見た。


「あなたが送ってくださらないかしら? もしお宅が分からなければ道案内いたしますわ」


 クイルは不信感を隠しもせずにエリザベスを見つめた。聡い娘のようだから、クイルが向けた敵意にも気付いただろう。


「大丈夫」


 しかしエリザベスは気にした風もなく微笑んだ。


「執事に彼女を預けたら、さっさと帰れば宜しいのです。たった五分しか留まらなければ噂のしようもありませんわ」




 伯爵令嬢に唆された訳ではないが、クイルは結局アメリアを屋敷まで送り届けた。あのままアメリアを誰かに預けて悶々と夜を過ごすなど、とても考えられなかったからだ。

 エリザベスは五分と言ったが、ローウッドの馬車が屋敷から出てくるまでに三分もかからなかった。


 こっそり後を追った噂好きな貴婦人たちはがっかりして自分の屋敷に帰るしかなかった。そして翌日には、やはりレディ・セントネービスは身持ちが固い。公爵に仕えていた執事も隙を作らせない。まったくつまらないことだ。という噂話が囁かれた。


 ただ一人エリザベスだけが、扇の陰で満足気に口角を上げていた。

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