半年前 秋 無花果

「やっぱりわかるのね」


 一口、口に含んだまま、それを飲み込むことも吐き出すことも出来ずにいるクイルをじっと見つめてソニアが言った。


「何が?」


 クイルは口中のものを半ば強引に飲み下して妹を静かに見つめ返した。頭の中は酷く混乱していた。


「分かっているくせに」


 頬杖を突いたソニアは落ち着き払っている。クイルは内心溜息を吐いた。


 一体この妹はどの程度事情を理解して(或は理解したつもりになって)いるのか。どうして自分は七年も前の無花果の味を忘れられないのか。


「確か、新しいパンの試食をして欲しいという話じゃなかったかな?」


 こういう騙し討ちのようなことではなくて。


 クイルはソニアを軽く睨んだ。


「そうよ」


 ソニアは悪びれた風もなく皿に盛られたパンを一切れ取り上げた。


「新作なの。もし気に入ってもらえたらお兄ちゃんのホテルに置いてもらおうかと思って」


 小さく千切って口に運ぶ。甘い無花果の香りがうっとりとした気分にさせてくれる自信作だ。この香りと食感を飛ばさない為にかなり苦労した。

 ソニアはクイルから目を逸らさずにゆっくりとパンを飲み込んだ。


「自信作なの」


 じっと兄の目を見つめる。その瞳からは何も読み取れない。


「合作なのよ」


 クイルの瞳が揺らいだ。


「無花果は……無花果のジャムは口にしない」


 クイルは憮然と言い放った。


「知っている筈だ」


「もちろん、知っています」


 ソニアは澄まして答えた。


「だけどこのパンは、お兄ちゃんの為ではなくてお客様の為に作ったの」


 嘘吐け、と思ったがクイルは口には出さなかった。お節介め。


「それに」


 とソニアは続けた。


「お兄ちゃんが無花果のジャムを食べないのは、食べられないからではないもの。味はちゃんと判るでしょう?子供の遊びではないのだから、私情を挟まずに評価をして欲しいの」


 痛いところを衝く。忌々しいがソニアの主張は正しい。

 ソニアが作り上げてくるパンはどれもこれも素晴らしかった。クイルが経営する幾つかのホテルで朝食用に出しているのだが、味に煩い上流階級の人々の評価も高い。なかには自分の屋敷に届けて欲しいという者もいるくらいだ。クイルは本気でロンドンにパン屋を開こうかと迷っていた。


「このジャムを量産出来るのか?」


 クイルは訊いた。ソニアがどの程度踏み込んでいるのか見極めておきたかった。


「そうなのよねえ」


 ソニアが溜息を吐く。


「やっぱりこのジャムじゃなきゃ駄目だと思う?」


「当たり前だ」


 急に自信なさ気になったソニアにクイルは言った。


「味も香りも食感も、そこらのものとはまるで違う。この味を保つ自信があるのか?」


「ないわ」


 溜息と共にソニアは言った。


「毎年、一瓶だけ戴くの。真似をして自分で作ろうと思ったけど駄目だった。今年の分はもうこれでお終い。もっと沢山なんて、私からはとてもお願い出来ない方なの」


「だろうな」


 ソニアの唇の端が僅かに上がったのを見てクイルは己の失言を悟った。このジャムがどういうものなのか承知していると認めてしまった。


 それにしても、毎年一瓶? そんな繋がりがあるのか?


「お兄ちゃんからお願いしてもらえないかしら?」


 上目遣いに見つめてくる妹にクイルは曖昧な視線を向けた。そんなことは出来ないと言えばいいのに言えなかった。

 欲しいものに近付くチャンスをみすみす見過ごせる程、クイルは大人ではなかった。

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