春  罰

 カチリという金属音がしたような気がして、アメリアは微睡まどろみから醒めた。

 扉が開いて閉まる音。そしてまたカチリと金属の鳴る音がして、今度こそしっかりと目が覚める。首を回すと扉のこちら側にクイルが立っていてアメリアの鼓動を跳ね上げた。


「クイル……」


 アメリアの呟きがクイルに伝わったかどうかは判らない。クイルがレディ・セントネービスと呼び掛けたからだ。

 他人行儀な呼び方はアメリアの自業自得。それでも心がちくりと痛んだ。


「鍵を掛けていたと思ったのだけれど?」


 立ち上がって滑らかなデスクの表面を撫でながらアメリアは言った。視線はその手の動きを追う。クイルを正面から見つめる勇気がなかった。


「鍵開けなど悪戯小僧の嗜みですよ、レディ・セントネービス」


 声に笑いが含まれているものの、アメリアをセントネービスと呼ぶクイルの態度は冷たい。アメリアは唇を噛みたくなるのをぐっと堪えた。


「わたくしが言いたいのはそういうことではないわ」


「もちろん」


 話しながらクイルが近付いてくる音がする。アメリアはやはりそちらに目を向ける勇気がなかった。


「マナーに反すると仰るなら」


 クイルがアメリアのすぐ前に立った。


「しかし貴女がマナーを気になさるとは思わなかったので」


 黙って去ったことを当て擦られているのだとすぐに分かった。アメリアは今度こそ唇を噛んだ。そうしないと涙が溢れてしまいそうだった。みっともなく人前で泣くなんて出来ない。


「もちろんマナーは気にするわ」


 自分で思っていたより冷たい声が出てアメリアは驚いた。


「そして評判も気になさる?」


 クイルの声も冷たい。その手がすっと伸びて硬いボディスの上からアメリアの脇のラインをなぞる。


「な……っ」


 何をなさるの、と窘めるつもりの声は言葉にならなかった。不躾に触れられた怒りよりもクイルに触れられた悦びの方が遥かに大きい。

 その事実にアメリアは狼狽えた。


「貞淑な貴女が愛人を囲っていたなんて知ったら、皆さん驚かれるでしょうね?」


 襟刳りに沿って指を這わせるクイルがおもねるような声で訊ねる。


「評判の冷たい青い薔薇が私の腕のなかでどれほど熱くなるのか、皆さん聞きたがるでしょうか?」


 クイルの指が背中の釦を見つけてひとつずつ外し始める。止めて、と抗議したアメリアの声はクイルの言葉に掻き消された。


「それとも、年寄りの公爵が若い妻を満足させる為に出入りのパン屋を宛がった話の方が、ご婦人方を悦ばせますか?」


「なんて酷いことを仰るの」


 アメリアは震える声で抗議した。その間にもクイルの指は背中の釦を外しコルセットの紐を弛めてゆく。


「公爵様がそんなおつもりでなかったことはあなたもご存じの筈だわ」


「そうでしょうか?」


 弛んだ胸元から手を差し入れられてアメリアは後退った。


「お願い、止めて」


 しかし退路はどっしりとしたマホガニーのデスクに塞がれ、あっさり捕まってしまう。


「何故そう言い切れるのです?」


 アメリアの腰に腕を回してクイルが頭を下げる。


「公爵はもういないのに」


 クイルの吐息が胸元に落ちた。アメリアの膚が粟立つ。蝶が薄い翅で肌を撫でたように感じた。


「貴女はどうですか?」


 彷徨ったクイルの舌先が紅く艶づいた頂を見つけた。絡め取るように舐め上げられてアメリアのなかの深いところに火が点る。


「手放した玩具を惜しいと思ったことはないですか?」


「玩具だなんて……」


 アメリアはマホガニーの厚い天板を握り締めた。そうしていないと、きっとクイルにしがみついてしまう。


「貴女が棄てた玩具がものを考えるとは思いもしませんでしたか?」


 スカートをたくし上げられてアメリアは息を呑んだ。

 しかし行為そのものよりも、クイルの抑えた怒りの方がよっぽどアメリアを苛んでいる。アメリアは抵抗出来なかった。

 クイルがそうしたいなら、甘んじて復讐を受けなければならないと思う。彼にはその権利があり、自分にはその義務があると思った。


 瞳の奥がつんと痛んだが瞬きをして遣り過した。

 泣いてはいけない。

 多分自分には、泣く権利すらないのだから。

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