現在

現在  春  再会

「やっぱり具合が悪そうですわ」


 エリザベスに顔を覗き込まれてアメリアは物思いから引き戻された。


「レディ・セントネービス、少しお休みになった方がよろしいわ」


 一瞬だけ、アメリアはそうしたいと思った。同じ部屋にクイルの存在を感じるだけでこめかみの辺りはずきずきするし、胸が必要以上に打って苦しい。

 しかし。

「あなたを独りには出来ないわ、エリザベス。わたくしはあなたのお目付け役シャペロンですもの」


 お目付け役が世話をしている娘の側を離れる訳にはいかない。シャペロンの目を盗んで恋人に逢いに行く娘は沢山いるが、シャペロン自らが娘を置き去りにするなんて論外だ。


「でもレディ・セントネービス。わたくし、まだ帰りたくないわ」


 エリザベスが心配と懇願の入り混じった目でアメリアを見上げる。


「ダンスカードにまだお名前が残っているの。お願い。決して軽はずみなことはしないとお約束するわ」


「もちろん、踊ってきて構わないわ」


 アメリアは微笑んだ。


「わたくしはここにいるから」


「駄目よ」


 エリザベスの瞳が歪む。


「あなたがお休みにならないなら今夜はもう帰るわ。ダンスよりあなたのお体の方が大事ですもの。本当にお顔の色が好くないわ」


 優しい子。


 アメリアは思った。伯爵家で甘やかされて育った割りにエリザベスは考え方がしっかりしているし、気遣いも出来る。しかもそれは、体裁を考えて、という風ではなく自然なものなのだ。

 アメリアは迷った。エリザベスに踊らせてやりたいが、アメリアが休まなければこの娘は本当に帰ってしまうだろう。


「分かったわ」


 アメリアは扇を閉じて言った。


「わたくしは休んでくることにするわ。だからあなたはダンスを楽しんで。でも決してこの部屋から出ては駄目。バルコニーもよ?」


「もちろん心得てるわ、レディ・セントネービス。あなたを失望させたりしないからご安心なさって。我儘を聞いてくださってありがとう」


 にっこり笑うエリザベスを残してアメリアは舞踏室を出た。人気のない廊下を静々と歩く。蝋燭がちりちりと燃える音とアメリアのスカートの衣擦れの音だけが密やかに響いた。


 婦人用の控室に行こうとは思わなかった。煩い雀の巣のようなあの場所にいてはますます気が滅入ってしまう。図書室だ。静かに物思いに耽るのに丁度好い。もし先客が居なければ鍵をかけて閉じこもってしまおう。



 クイルがホテル業で成功を収めているということをアメリアは以前から知っていた。

 まったく以て情けない話だが、アメリアは疾うに終わった恋を忘れることが出来ないでいた。もう七年になる。公爵が亡くなったことで儚く終わったアメリアの初恋だった。終わらせたのはアメリアで、クイルは置き去りにされたようなものだったから、さぞかし恨まれていることだろう。


 アメリアはカーライル伯爵の図書室でオーク材の肘掛椅子に深く腰掛けて目を閉じた。瞼の裏に今よりも若いクイルの笑顔を映す。


 何の蟠りもなく好意を寄せてくれたクイル。一方のアメリアはいつも後ろめたさを感じていた。二人の関係は世間的には許されないものだし、いくら公爵が許してもアメリア自身が己を赦せなかった。それなのにクイルを求める気持ちを抑えきれなかった。

 そして結局、公爵の優しさに甘えた。


 公爵に守られた二年間は幸せと輝きに満ちていた。そして急な事故で公爵が亡くなったとき、罰が当たったのだと思った。私は報いを受けなければならない。

 もうクイルに逢ってはいけないと思った。

 そして、クイルに別れを告げるだけの勇気を持ち合わせていなかったアメリアは、逃げるようにバイブリーを後にした。


 逃げ出したという事実について、アメリアは弁解することが出来ない。

 理由は幾つもあったし、アメリアなりに考えた結果だった。けれどそのうちのどれひとつとして裏切りを正当化するものではない。



 アメリアは震える息を吐いて目を開けた。


 あの頃、まさかこんな日が来るとは思わなかった。

 幾つか眠れぬ夜を過ごせば忘れられると思っていた。

 日毎夜毎に想いが募るとは思ってもみなかった。

 何より、クイルと再び出逢う日が来るなんて考えもしなかった。


 クイルが成功を収めていることは知っていた。公爵から与えられた名前を使っていると知って胸が熱くなった。新しく自分でつけることも出来るのにクイルはそうしなかった。僅かにでも繋がりが残っている。少なくとも公爵の好意を無にしない程度にはクイルに赦されている。


 アメリアは当時の自分の選択が間違っていたとは思っていない。今、同じ選択を迫られても、同じ決断をするだろう。しかし、だからといって後悔しない訳ではない。


 もし、ということを何度も考えた。

 今でも考える。


 アメリアは再び目を閉じた。



 それでもやはり、クイルと共に歩む明日はないと思いながら。

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