第31話 剣の道 14

    ◆



「……ぜえ……ぜえ……はあ……はあ……」


 一時間後。

 アカネは息切れしていた。

 彼女は道場の外をぐるぐると走っていた。

 といっても、敷地内である。

 敷地外に走りに行くのでもなく、ひたすらぐるぐる回っていた。


「い、いつまで走らせるのよ……」

「ほら! 無駄口叩かない!」


 手を叩いて叱咤する声。

 ムサシだった。

 彼は道場の入り口に立ってアカネの走りを見ている。一緒に並走はしていない。

 彼の指導を受けると告げた直後から、ひたすらにアカネは走らされていた。

 最初は準備運動程度かな、と思っていたアカネであったが、一時間もずっと走りっぱなしである。


「お嬢ちゃん! あとどれくらい走れる?」

「……ぜえ……ぜえ……ぜえ……」

「この後に体力を残そうと思わないことだねえ。その分だけ指導する時間が短くなるよお」

「……ぜえ……ぜえ……ぜえ……」


 もう答える気力も湧かなかった。

 足元もふらついてきた。

 前へ進むのも気力だけだ。


「あっ……」


 つまづいた。

 もう駄目だ。

 立て直す気力もない。

 どんどん近づいていく地面。

 だけど何も出来なかった。

 そのまま倒れ――


「よ、っと」


 しかしながら地面にぶつかることはなかった。

 その前に誰かの足が彼女の身体を支えたからだ。

 誰か。

 足で支えるなんて一人しかいない。


「よし。いい所までいったね。走るの止めていいよ」


 ムサシが水を手渡してくる。アカネは膝に手を付きながらそれを受け取り、彼を見やる。


「……こ、これの何が……」

「その意味が分かるのはここからだよ。さあ、水を飲んだら道場に向かうよ」

「ええ……」


 不満が口からちょっと出るが、決して否定はしない。

 先に決めたのだ。

 何があっても食らいつく、と。


「わ、分かったわ……お、おっちゃんの言うことに何でも従うわよ……」

「……本当に言い方が危ない子だねえ」


 ムサシが足を離し、道場へと戻る。

 アカネはその後に続く。


「さてさて、ここからが剣術の修練だよ」


 道場に入るなり、ムサシはぽいっと竹刀を投げてくる。

 それを受け取り、アカネは肩で息をしながらも真正面に構える。


「まずはお嬢ちゃん、おっちゃんに対して何でもいいから攻撃してみな」

「……え?」

「ほらほら。どうぞ」


 両手を広げてくるムサシ。

 一見して無防備に見えるその姿だが、実は臨戦態勢であるということは知っていた。

 足元。

 彼の足元は変わっていなかった。

 つまりあの足から攻撃は繰り出されるということだ。


(……だったらそれを気を付ければいい)


 彼女はそう理解し、そして攻撃を繰り出すべく強く踏み込んだ。

 だが――


「えっ……?」


 彼女は動揺した。

 よく考えれば分かったのだ。

 彼女の足は先程の走り込みで既に疲労困憊だったのだ。

 当然、想像していたよりも踏み出しの力が弱くなる。


「――そういうことだよ」


 カン、と。

 彼女が持っていた竹刀が弾き飛ばされる。

 見ると彼の右足が上がっていた。

 本当だったら下げてもいいはずだが、分かるようにわざと右足を上げたままにしてくれているのだろう。

 その弾き飛ばした竹刀を両手で抱えるように捕まえ、アカネに向かって投げ渡しながら説明をする。


「走り込みをした理由はこれね。お嬢ちゃんは――自分の考えと身体がちぐはぐなんだよ」


「考えと身体がちぐはぐ……?」


 彼女は呆然とした。


「そう。お嬢ちゃんの脳内で描いていた攻撃だけど、自分の身体がそれに付いていっていない。今のやつは分かりやすく『疲れによって動けない』状態を作り出して試してみたけど、やっぱりお嬢ちゃんは同じことだった。想像通りの結果だよ」


 人差し指で自分の頭を指差し、ムサシは言う。


「これと同じことが起こっているんだ。それは疲労じゃなくて、今まで指導を受けた『ユズリハとしての足の使い方』が『自分の脳内の剣士としての攻撃方法』と微妙に噛みあっていない。まずそれを修正する所から始めないと駄目なんだよ」


 だからね、とムサシは頭に何やら付ける。

 それは手のひらくらいの大きさの小さな風船であった。


「この頭の風船をさわること。それが今日最初の剣術指導に対しての課題だ」

「さわるだけ……?」

「そう。さわるだけ。だけどね……」


 首を横に振る。


「これは今日だけだ。しかもお昼休み前までにしないと駄目。休憩もなし。水は飲んでいいけどね。――だから完全な腰を付けての休憩は無し、ってことにしようか」

「駄目だったら……?」

「簡単な話だ。素質なしとみなす」


 つまり、


「指導しても強くなる見込みなしとみなして、これ以上の指導はしない」

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