#29-2:恍惚に酔う

断罪

 二〇九九年一月一日未明――。凍てつく風の吹きすさぶ北方海域で、歌姫たちの艦隊はわずか二十五キロの距離を取って向かい合った。イザベラはセイレネスを起動するなり意識の目を上空へと飛ばした。


「私が仮面を被る者グリームニル、レベッカを黄金の力グルヴェイグとするのならば、君たちの艦隊はさしずめ輝く者スキールニルとでも言うべきか」


 溜息交じりのその言葉だったが、そこにはわずかながら期待のようなものも含まれていた。それはとなり、アルマとマリオンにも届いたはずだった。


「いずれにせよ、邪魔が入らない状況というのはありがたいな。カティは本当に昔から容赦がないからなぁ」


 カティたちは今、統合首都を急襲したアーシュオン艦隊の迎撃に当たっているはずだった。邪魔は……されないはずだった。


 それからしばらく、イザベラは雄弁な沈黙を広げて、アルマたちの出方を探った。イザベラたちの背後から太陽が昇り始める。影がイザベラの前に伸び、灰色の海がかすかに色付いた。


『ヴェーラ・グリエール!』


 アルマの声が響いた。


 ヴェーラ、か。そう来るか。イザベラはニヤリと笑った。


『あなたの怒りは私にも分かる気がするんだ! ほんのわずかなのかもしれない。でも、でも! 理解はできる! できていると思うんだ!』


 二隻の制海掃討駆逐艦が前に出てくる。黄金色の陽光を受けて、二隻は鋭利に輝いていた。その二隻の間にはPTC完全調律コーラスが発生していた。そして後ろに控えている重巡五隻もまた、完全な同調シンゼシスを果たしていた。


 こいつは手強い――イザベラは苦笑する。


『だから、私たちは、あなたのその想いに対して戦うことはできない。でも』

「でも?」

『レニーを殺したこと。アーメリング提督を殺したこと。あなたの怒りのために、クワイアたちをも巻き込んだこと。私にはそれが赦せない!』

「そうか」


 そうだな。イザベラは首を振る。


「私は自分の、この我が侭な戦いセルフィッシュ・スタンドのために、多くを犠牲にした。きみたちだって被害者だ」


 両陣営の緊張が高まっていく。一触即発の状態である。


 そんな空気の中にあっても、イザベラには微塵も慌てる様子はない。一つ大きく息を吸い、そして「しかし!」と張り詰めた鋼の糸のように鋭い声を放つ。


「わたしには他に手段がなかった。わたしたち歌姫セイレーンと名づけられて利用される消耗品たちの未来のために、我々もまた、自らの身体を持ち自らの言葉を持つ――そんな簡単な事実を証明してみせねばならなかった」


 海はまるで凍り付いたような明鏡の様相を見せ、風は完全に止んだ。


「言葉で伝えたところで、彼らは己らに都合よくしか理解しようとはしない。力を見せつけても、それが自分自身に落ちかかってくることには思い至れない。そうである限り、わたしたちは彼らにとって都合の良い道具、否、快楽を得るための玩具に過ぎないのだ」


 その口調は、まるで断罪だった。


『しかし!』


 アルマは黙らなかった。


『だからと言って、ヤーグベルテをこんな方法で脅迫するなんて。どうして私たちが戦わなければならないとわかっていながら、こんなことを!』

「きみたちだ」


 原因はな。イザベラは目を閉じて首を振る。金色の朝焼けが、イザベラの意識の目を背後から焼いていく。陽光の暖かさも、冬の海の凍えるような寒さも感じない。


「きみたちのおかげで、わたしはこれをする決意を固めることができた」


 新たなるディーヴァの登場による世代交代。自らを生贄に差し出せるだけの政治的背景の確立。条件は揃ったのだ。


『あなたはまさか……』

「そのまさか、だよ」


 イザベラは静かに肯定する。


「わたしもベッキーも、こういう日が来るのを待っていたんだ、何年もね」


 溜息が漏れる。そう、待っていたのだ。ずっと。望んでいたのだ。


「わたしはかつて一度死んだ。それによって顔は失った。でも、それによってわたしは本当の自分というものを手に入れた。偽らなくても良い自分というものをね」


 顔という呪縛を捨てたのだ。その代償として、イザベラは死ぬ権利を奪われたようなものだった。


「しかしね、ベッキーは違った。わたしほど無責任でもなければ、逃避も望まなかった。だけど、あいつは知っていたんだ。全てを。その上であいつはセイレネスに賭けたんだ」

『そんな……じゃぁ、私の艦が故障したのも……』

「もちろん、ベッキーは承知していたさ。この反乱自体、わたしとベッキーが仕組んだ、命を賭けた茶番みたいなものなんだ」


 若いディーヴァたちは絶句する。イザベラは満足げに笑う。そこにアルマが半ば悲鳴のような声を上げる。


『でも、でも! レニーは!』

「あの子を沈めたのはわたしではない」

『でも、だって、ニュースで!』

「ニュース? おいおい、この期に及んであんなものを信じるのか? リテラシーを疑うレベルだよ」


 失望を隠さず、イザベラは言う。


「今ここに至って、わたしがあれを否定したって誰も聞かない。マスコミお得意の捏造報道だってことに、思い至らなかったのか? ニュースや彼らの嘯く世論のようなものなんて、所詮は彼らの主張に合致するように練り上げられた創作物に過ぎない。彼らはわたしを完全なる悪とし、わたしの退路を断つことに血道を上げたんだ」

『そ、そんな……』


 アルマとマリオンは揃ってそう言い、そしてそれきり沈黙した。イザベラは藍色から白金へと移り変わる空のグラデーションをややしばらく眺めていたが、やがて重々しく宣言した。


「さて、始めるとしようか」

『待って! ヴェーラ、どうしても。どうしてもやらなくちゃならないの?』


 マリオンだった。


『もうみんな理解したよ。理解してくれる人、理解しようとしてくれる人は、確実に増えたはずなんだ。もう十分だと思う!』

「ははは、きみは純粋だ。実に、純粋だ」


 イザベラは駆逐艦たちを睥睨しながら言う。


「だがね、それこそ妄想だ。妄言だ。わたしたち歌姫セイレーンがその名と顔で生きられるようになるためには、今ここで見せつけるしかないんだ。わたしたちの化け物モンスターとしての顔をね」

『化け物だなんて!』


 マリオンの声がひっくり返る。イザベラはった。


「わたしのこの姿を見ても、国民たちはディーヴァだなどと思い続けられるのかな? 伝説ともなってしまったが、そんなヴェーラ・グリエールがこんな醜い姿で、こんなエゴだらけの戦を引き起こしたと知った時、彼らの中の歌姫という名の幻想、その偶像はどうなると思う? あの自称崇拝者アイドレイターたちは何を思うかな?」


 イザベラはサレットを脱ぎ捨てた。その姿はセイレネスを経由して、テレビ中継用の通信回線に送り込まれた。そこには、ヴェーラ・グリエールの真の姿が映し出されていた。二目と見られぬ焼けただれた肌をした怖気おぞけを覚えるようなその姿。数秒後にはマスメディアらはこぞってその写真を使い始めるだろう。


「はは、これで視聴者たちの記憶には永遠に残り続ける事となっただろう。もっとも醜い歌姫、ヴェーラ・グリエールの真の姿と共にな」


 この時のために、イザベラはイザベラで在り続けたのだ。


「さぁ、行くぞ! きみたちでこのどうにもならない、この今を変えられるのか。愚昧な連中どもに見せつける何かを創り出せるのか! 這い寄る混沌たちを薙ぎ払えるのか!」


 わたしにできることと言えば、このくらいだ――イザベラはまた自嘲の笑みを漏らす。


「アルマ、マリー、わたしの期待に応えてみせろ! きみたちのセイレネスの歌を、聞かせてみせろ!」


 セイレーンEM-AZの艦首PPCが展開を始める。主砲塔も動き始め、二隻の駆逐艦を捉えきる。


『あたしは!』


 マリオンが食い下がってくる。


『あたしは、あなたを連れ帰る!』


 その強い決意は、イザベラには眩しすぎた。その目映まばゆさに、イザベラは確かに希望を感じた。少なくとも自分と同じ道を歩むことはないだろう、と。


「ならば、行くぞ」


 イザベラは頷き、そして自分についてきてくれた歌姫たちに最後の号令を下す。


「第一艦隊グリームニル! 恍惚に酔えゲット・イントゥ・ア・トランス!」


 もはや全てが手遅れだった。


 きみの懺悔はわたしには重すぎたよ、マリア。


 イザベラはサレットを被り直し、零れかけた涙を隠した。

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