マリアによる種明かし
混乱しているイザベラをよそに、モニタの向こう側ではマサリク大統領が演説を続けていた。
『異論があるのならば遠慮は要らない。申し出たまえ。その勇気ある提督を、イザベラ・ネーミア討伐の最先鋒に任じようではないか』
『しかしですな、大統領閣下。イザベラ・ネーミアなる人物をヴェーラ・グリエールの後釜に据えることについては、軍部は反対の立場――』
『嘘はやめたまえ』
大統領は一言の下に切って捨てた。そう、それは嘘だ。イザベラ自身が拍子抜けするほどあっさりと、軍部はイザベラの就任を認めたのだ。根回しをしたマリアにしても驚いていたほどだ。
大統領は仰々しく周囲を見回した。芝居がかった所作ではあったが、がっしりした体躯の俳優然とした男がそれをやると、不思議と様になって見える。これが大統領になる男のカリスマというものなのだろうかなどと、イザベラは感想を持つ。イザベラもといヴェーラ自身、何度か対談を行ったこともあるのだが、その時には今ほどの威厳は感じなかった。おそらくマリアというスーパーブレインのサポートを受けて、自信のようなものが現れているのだろう。
『いずれにせよ、だ。どんな
『しかし大統領、それでは
『黙りたまえ』
大統領は低い声で言う。
『文民統制は曲げてはならない国家の信念である。それは事実だ。だが、だからと言って、誠心誠意の想いを伝えることが間違えていると言えるだろうか。今、命を賭けるのは我々ではない。傷ついた
そして最敬礼をして見せる。明らかに動揺した様子で、アルマとマリオンは顔を見合わせた。
『だ、大統領閣下。顔をお上げください』
アルマがどもりながら言った。大統領はゆっくりと頭を上げる。
『大統領のお気持ちは理解致しました。イザベラ・ネーミアの反乱を鎮圧するため、我々も全力を尽くします』
そう言って敬礼し、マリオンもそれに倣った。
演説劇はそれで終幕となったのだが、イザベラにはやはり大統領の発した一文が気になった。
最初から兵器として――。
イザベラは立ち上がると、すぐ目の前にいる艦長に向かって言った。
「連結室の方へ行ってくる。通常通りよろしく頼むね」
「イエス・マム。異状があればすぐに」
「うん、よろしく」
言いながら艦橋を出て、速足でコア連結室に向かう。そしてセイレネスを起動するなり、マリアを呼び出した。
『姉様、どうしましたか?』
マリアは姿を見せることなく、音声だけで応じてくる。今はそれどころではないのだろう。
「とぼけないでよ、マリア。さっきの大統領の演説だ」
「ああ、私の原稿です」
「だろうね」
あっさりと認めたことに若干の拍子抜けを味わいつつ、イザベラは頷く。
「単刀直入に行くけど、さっき大統領は、最初から兵器としての道云々って言ってたよね。あれはどういう意味なの?」
『引っ掛かりました?』
「あたりまえだよ」
『そう、ですか』
マリアは少し逡巡したようだった。何となくそんな様子がイザベラに伝わってくる。
『わかりました、姉様。秘密にする必要も今やありませんし、私個人としてもお伝えしておきたいことでもあります』
「冥土の土産、という意味かい」
イザベラは笑った。マリアの表情はわからない。
『私や姉様方といった特殊な人材を除き、いえ、正確に言えば、
「ちょっと待って? いきなりわけのわからない話になってるよ?」
『まぁ……そうでしょうね』
マリアは「うん」と一つ頷いたようだ。
『ですが、これは確かなことなんです。セラフの卵はヤーグベルテの遺伝子に潜む虚数情報です。これがセイレネス
「つまり、ヤーグベルテの血が入っている者なら、誰でも?」
『肯定です、姉様』
「まさかと思うけど」
イザベラは唾を飲んだ。
「わたしたちが戦わされてる理由があるとしたら、まさか、そのため?」
『それは……飛躍しすぎかもしれません』
マリアは少し歯切れ悪く言った。
『もしそうだとしたら、誰にもメリットがありません。歌姫で溢れきってしまえば、戦略的優位すら揺らぎますよ』
「でも、ヤーグベルテの遺伝情報なんだよね?」
『そうです。ですが、それは遥か昔に発生した情報です。つまり、世界中に散っているんです、ヤーグベルテの遺伝情報は。ハーフ、クォーター、ワンエイス、或いはそれ以上に薄い血が、世界のどこを見ても存在しています』
「ってことは、世界中の――」
『女性のほぼすべてが歌姫たり得るという事でしょうね』
「まさか」
イザベラは絶句する。
「でも待ってよ、マリア。わたしたちの艦隊には、それ相応の年代の子しか来てないじゃない? 確率的に言ったらそんなことはあり得ないんじゃ」
『ええ、ありえません。ですから、最初から兵器としての道しか与えられなかったと言わせたのです』
「まさか、その孵化とやらを、
『そうです』
即答だった。
『今、歌姫として戦わされているあの子たちは、最初からその孵化を促進された子たちなんです。アーシュオンの
「……なぜ?」
『私の知り得る範囲ですが――』
「それで良いんだ」
食い気味に、イザベラは言った。マリアは頷いたようだ。
『孵化の際に曝されるエネルギー――つまり、セイレネスの波動が強ければ強いほど、強力な歌姫が誕生します。エディタ、レニー、レオナ。この三名は、とりわけ強い力に曝された時に、セイレネスを発現……つまり、孵化した者たちです』
「それってもしかして」
イザベラは純白の空間で一人、腕を組む。
「ナイトゴーントやナイアーラトテップの出現とかと被ってる時期?」
『そうです』
その即答に、イザベラは「読めたぞ」と舌打ちした。
「今回のこれは、全て仕込みってことか」
『……すみません』
その答えに、イザベラは思わず笑った。声を上げて笑った。白しかない空間の中で、狂ったように笑った。イザベラ自身が悩み、苦しんでいたと思っていた事柄全てが、何者かの仕込みだったのだ。
「おおかた、ジョルジュ・ベルリオーズあたりが何かしたってセンになるんだろ?」
『……ええ』
「
笑いが止められない。イザベラは壁を生じさせて、そこに背中を預けた。自力で立っているのもままならないほど、全身から力が抜けてしまっていた。
「でもね、マリア。わたしはきみが何を知っていても、今やもうどうでもいいし。わたしはもう死に逝く者だよ。必要のないことはしゃべらないでいいんだ。迷いを生じるようなことも、どうか言わないで欲しいんだ」
『姉様……』
その呼びかけに、マリアの涙を感じた。イザベラはこみあげるものを抑え込む。
「つらい思いをさせているんだね、セイレネスは」
『姉様、私は――』
「わたしにはね、そんな壮大で尊大な計画、どうだっていいんだ。わたしはほんの些細な人間の些細な願いを、些細な想いを、どうにかして知って欲しいと思っている、それだけなんだよ」
そこまで言い、数秒の間を置き、「でも」とイザベラは吐き出した。
「でもね、わたしにだって迷いはあるんだ。滑稽だよね、今頃になってさ」
『滑稽なんて。そんなわけがありますか。迷うのだって当然です』
マリアの声は泣いていた。震えるその声が、白色の空間を滲ませる。
「きみにも迷いがあるね、マリア」
『……え?』
「セイレネスではね、嘘はつけないんだよ」
『……不便な、ものですね』
「ああ、不便なものなんだよね」
イザベラは壁に背を預けたまま、どこまでも白い天井を見上げた。そこにマリアの意識の目があると直感したからだ。
「ねえ、マリア」
『……なんでしょう?』
「これで、お別れにしよう?」
『姉様!?』
白い空間が一瞬歪み、すぐにマリアの姿が目の前に降り立った。その顔は涙に濡れていて、いつものクールに整ったマリアと同一人物であるとは思えなかった程だった。
「姉様、私は……私は……ッ!」
「気に病まないでよ、マリア」
「私は失いたくないのです! 姉様を二人とも失うのは、イヤなんです!」
マリアは滂沱の涙を流していた。その涙を拭こうとも隠そうともしない。
「ほら、声を上げたら泣いてしまう……だろ?」
「
「でもさ、
そういうイザベラのサレットの隙間から、涙が零れた。二人は歩み寄り、まるで恋人のように抱き合った。
「お姉ちゃんを泣かせるなんて、悪い妹だ」
「悪くてもいい。今からでも、やり直せるから……!」
「ごめんね、マリア。わたしはもう、決めたんだ。誰の思惑でもなく、わたしの意志でそうしたんだ。そう信じていたいんだ」
「姉様……お願いがあります」
マリアはイザベラの手を解き、一歩離れた。
「姉様の顔を、見せてください」
「ベッキーと同じこと、言うんだね」
「レベッカ姉様と……?」
「うん」
イザベラはサレットに手を掛けながら頷いた。そしてもう一度「良いんだね?」と問いかける。マリアはハッキリと頷いた。イザベラは深呼吸を一つして、そのサレットを脱ぎ捨てる。
「姉様!」
マリアはその顔を見て、飛びつくようにしてイザベラの身体を抱き締めた。その姿は以前の、顔を失う前の姿だった。セイレネスでは嘘がつけないのだ。
「嘘が、つけないんですね」
「そうだね、不便なものだよ」
イザベラは、否、ヴェーラは寂しげに微笑した。マリアはその胸に顔を
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