#29-2:闇からの睥睨

フィンブルの冬は終わりぬ

 バルムンクの中より、その戦いの一部始終を見下ろしている姿がある。銀髪に赤く輝く左目の持ち主、ジョルジュ・ベルリオーズである。


「レメゲトンは?」

「順調ですわ」


 傍らに現れる銀の揺らぎ。ベルリオーズは冷たく微笑む。


「やはりレメゲトンを刺激するには、あのくらいのエネルギーが必要だったということか」

「ナイアーラトテップ程度では、力不足だった」

「そうなるね」


 ベルリオーズは熾烈に燃え盛る薄緑色の輝きを眩しそうに見遣る。


「もっとも、時間はいくらかかってもよかったんだけど。でも、こっちの方が手っ取り早い分、僕の好みではある。それにしても、、良い触媒カタリストじゃないか」

「マリアに聞かせてあげては?」

「まったく悪趣味だね、君は」


 ベルリオーズは影の濃い能面のような微笑を見せる。銀の揺らぎ――アトラク=ナクア――は変わらず蝋燭の炎のように揺らいでいる。


「だって、悪魔ですもの」

「そうだった。メフィストフェレスという配役だったね」


 忘れていたと言わんばかりにベルリオーズは言う。銀の揺らぎは大きく揺れる。哂ったのだろうか。ベルリオーズは意にも介さず、自分の言葉をつむいでいく。


「それはそうと、マリアはどうするつもりなんだろうね」

「新たなディーヴァたちを守るつもりでしょう。私たちを含むあらゆるから」

「はは、見世物だね」

「見世物、ですわね」


 二人は声を立てずに、だが確かに哂った。


「できると思うかい、マリアに」

「できないとは思いませんけれど、ARMIA自身がどう決断するのか次第、でしょうね」

「アーマイアは?」

「あの子は淡々とレメゲトンの素材を作り続けるでしょう。あの子はそもそもが自動人形オートマタのようなもの」

「そう」


 関心なさそうに、ベルリオーズが相槌を打つ。そして「ああ、そうだ」と手を打った。


は?」

「この戦いの影響で、確実に」

「ふふふ、そうか」


 ベルリオーズは哂いながら腕を組む。その眼下では、第二艦隊が撤退を始めていた。今回は痛み分けと言ったところだろう。実証実験のためには、実に都合よい戦いだった。


「データは十分に採れたね」

「ならば、はどうするの? セイレーンEM-AZにぶつけるのが最良に思えるけれど」

「いや」


 ベルリオーズは首を振る。


「エキドナは、もう少し温存っておこう。アレはしばらくは替えが効かないからね。カティにはもうしばらくこの世の苦行を味わってもらうことになるね」

「そうですか」


 フラットな声で応じ、銀の揺らぎはふわりと消えた。ベルリオーズは眼下に展開されていた映像を消し、再びバルムンクの闇の中に降りる。


「これで僕の仮説はようやく証明されたわけだ」


 満足げにそう呟き、闇の中に無数の数式を顕現させる。


 強力なセイレネスによる衝突コリジョンによって、多くのセラフの卵がかえる。そして地に満ちたセイレネスは対消滅を繰り返す――甚大なエネルギーを生み出しながら。その動きは指数関数的に拡がり、やがて、論理層と物理層の境界ゲートウェイはその存在意義を失うことになる。


「それはあたしたちの思う壺でもあるのよ」

「ふふ、そうかな?」


 現れた金の揺らぎに、ベルリオーズは冷笑を向ける。


「上位レイヤの概念さえ失われることになる。論理層の君たちと、物理層の僕たち。どっちが支配権を取ったっておかしいことはないだろう?」

「愚かな仮説よ、それは」

「そうかな」


 おどけてそう応じたベルリオーズに、金の揺らぎは明らかに侮蔑の籠った息を漏らす。


「そもそも、セラフの卵を持たない者たちをどうするつもり。万人にあるものでもないでしょうに。上位層へのアクセスを持たない者たちは、あなたの言うところの二層の合一の妨げにしかならないわよ?」

「ははは、そのためのレメゲトンだし、そのためのセイレネスだよ、ツァトゥグァ」

「まさか――」


 ツァトゥグァの金の揺らぎが大きくかしいだ。ベルリオーズの左目が真っ赤に燃え上がる。


「そのまさか、さ」

「あなたは人類史上最悪の――」

「そう、悪魔なのさ」


 何でもない事のように、ベルリオーズは言い放つ。


「同時に、神とも言える」

「まさか、本当に」

「今はそう、フィンブルの冬とでも呼ぶべき頃合いなのさ」


 フィンブルの冬――神々の戦争の前に訪れると言われる、三度の冬。


「あなたはアトラク=ナクアの囁きに惑わされているだけなのよ。人間風情がそんな尊大な」

「僕はバルムンクを手にした。君たちが僕にを与えたその帰結としてね。その時点で、僕は君たちの頸木くびきから解き放たれた。僕がアトラク=ナクアと同調しているのは、別に強制されたものなんかじゃない。むしろ、彼女の方が僕に同調しているに過ぎないのさ」

「不遜な!」

「ははは」


 ベルリオーズは乾いた声で哂う。


「僕はジークフリートと一体と化したその時から、この物理層の全ての事象を。あらゆる可能性を認識している。だから、僕はセイレネスによるゲートウェイの破壊をしなくてはならないという結論に至ったんだ」

「それは……」


 物理層と論理層の合一のみが、ベルリオーズにとっての未知、だから……?


「そうさ」


 その思考を読んで、ベルリオーズは肯いた。


「僕にジークフリートを与えてくれた君には、この上なく感謝しているよ、ツァトゥグァ。でもね、君という存在は、合一の刻に至るまで、まったくもって不要だという事を知っている。だから君はそろそろ奈落の底へと還るが良い」

「なにを馬鹿な事を」

「君には深淵ギンヌンガの奈落の底こそがお似合いさ、ツァトゥグァ」

「あなた風情にそんなことができると思っているの?」

「気付かないかい」


 ベルリオーズは闇の中の数式を止める。金の揺らぎが動きを止める。


「このバルムンクは、僕の創り上げた魂の牢獄のようなものさ。無限に続く円環の理に、君も囚われると良い」


 バルムンク、発動アトラクト――。


 ベルリオーズが無慈悲な声で呟いた。


 金の揺らぎが、消えた。

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