レオナの憤り
まずは――。
純白の論理空間の中で、エディタは小さく前置きした。
「この集まりは、意思決定を行う場ではあるが、その結果については強要しない」
「あのっ、エディタ先輩」
「なんだ、レオナ」
律義に規律した新人ヴォーカリストを見る。レオノールは少し早口で言った。
「今後の指揮官というのは、規定に従えば最もセイレネス適性の高いあの二人になるのではないですか?」
「そうだ」
「で、あれば」
「違うんだよ、レオナ。そういう問題ではないんだ」
エディタはめいめいに座っているV級たちをゆっくりと見回す。
「知っていると思うが、私たちのセイレネス活性は環境要因、つまり、精神的な問題に大きな影響を受ける。だから、納得できないままでは前に進められないんだ」
「ですが」
「君はアルマとマリオンと同期で仲が良い。そのくらいは理解している。だから肩を持ちたくなる気持ちもわかる。だが、私たちはそうもいかないんだ。わかって欲しい」
「わかっている、つもりですが」
レオノールは呻くように応じた。そして近くに出現させていた小さなブロックに腰を下ろす。
「先輩たちは、あの二人の何が不満なんですか」
「不満ではないの」
答えたのはレオノールの二つ上のハンナだった。レオノールは眉根を寄せる。
「不満ではない?」
「ええ、不満ではなくて、不安なのよ」
「不安?」
「そうだ。不安なんだ」
言葉を引き継いだのは、一つ上のロラだった。情熱的な焦げ茶色の瞳が、煌々と揺らめいてレオノールを見ていた。
「あたしたちは誰もが未知を恐れるようにできている。不安になるってこと。あんたも気付いてるんだろ、レオナ。あの二人は、ただのソリストなんかじゃぁないってことをさ」
「……最新鋭の駆逐艦が与えられたこと?」
「そうじゃなく」
ロラは苛々と指を噛む。
「あの二人の監視役がレニーなんだぞ、レオナ。ただのソリスト相手に、貴重な実働戦力を割いてまで監視なんてつけるか、普通」
「監視……?」
わけがわからないと言った様子でレオノールはロラをエディタを順に見る。ロラは肩を竦めた。
「まぁ、知らなくても仕方ないか」
「先輩たちはみんな知っていたってことですか?」
「まぁね」
ロラはあっさりと肯定する。エディタも頷いた。
「証拠はなかったけど、いろいろ状況証拠が揃っていたんでね。もっとも、あたしたちに口出しできる問題でもなかったから、話題にはしなかっただけで」
「そう、ですか」
レオノールは釈然としない。
「でもそれだけでああだこうだにはなりませんよね。何か感じてらっしゃるのでは」
「感じた」
エディタが即答した。
「マリーの初陣で嫌というほどな。タワー・オブ・バベルだったか。あんなものは誰も知らないモジュールだし、あの破壊力は尋常なものではなかった。レニーが可愛く見えたくらいだ」
「そうさね、エディタ。でも、ハッキリ言ったらどうなんだい」
ロラが腕と足を組んだ。
「マリーの力は、アーメリング提督すら凌ぐだろって」
「いや、しかし」
「煮え切らないね、エディタも。あたしはたかだかV級だから何とも言えやしないけど、それでもマリーがただのソリストじゃない事はわかってる。ディーヴァにより近いか、あるいは、ディーヴァそのものだ」
「えっ……」
ディーヴァ……!?
レオノールは困惑を隠せない。見回したV級の先輩方はめいめいに頷いている。
「そこでだ」
エディタがレオナの肩に手を置いた。
「君に頼みたい」
「な、何をでしょうか」
露骨に警戒心を見せながら、レオノールはエディタを見つめ返した。エディタは氷の仮面を被ってでもいるかのように、青白く冷たい表情をしていた。
「あの二人の覚悟のほどを確かめて欲しい。私たちも同行する。その次第によっては、私たちもまた反乱者とならざるを得ないのかもしれない」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ、先輩!」
レオノールは激昂した。
「そんなこと、意味がわかりません。ネーミア提督の志も、アーメリング提督の想いも、何もかも踏みにじるつもりですか、先輩方は。そんなこと、誰が望むんですか」
「私たちだって、私たちの想いがある」
「待ちな、エディタ」
ロラが立ち上がった。
「言っとくけど、あたしはあんたと心中するつもりなんてないよ。勝手にあたしたちの総意を決めるのはよしてくれないか」
「私もロラの言葉に賛同します」
ロラと同期のパトリシアも立ち上がる。
「私たちはまだ、何をどうするかなんて決めていません。私たちが決めたのは、ネーミア提督にはついていかないということだけですから」
「え?」
レオノールはきつく腕を組み、小さく首を傾げた。
「どういうことです、先輩」
レオノールには意味がわからない。彼女だけがあのイザベラの反乱宣言の場に呼ばれていなかったし、その話を誰からも共有されていなかったからだ。
エディタは険しい表情を見せ、絞り出すような声で応える。
「私たちがこうしているのは、クララとテレサも含めて、私たちの総意なんだということだ」
「そんな……」
レオノールは状況を理解する。つまり、居並ぶ先輩方は、あのタイミングでイザベラ・ネーミアが反乱を起こすことを知っていたのだ、と。
「――そういうことだ」
エディタが短く肯定した。レオノールの頭の温度がまた急上昇する。
「なんで! なんで止めなかったんですか!」
「ネーミア提督をか? それともアーメリング提督をか?」
「ネーミア提督に決まっています!」
レオノールの怒声が白い空間を揺らす。エディタは達観したような諦観したような、そんな微笑を見せて首を振った。
「志を強く持っていたのは、ネーミア提督だった。私たちには、ネーミア提督に付いて行くという選択肢も持っていた。勿論、私たちは止めた。だが、提督の意志は固かったんだ。無念の思いはそれだけ強かった。誰にも曲げられないほどに、提督の想いは
「止められず、ついても行かず! 見殺しじゃないですか!」
「だったらどうしたら良かったって言うのさ」
ロラがレオノールに一歩近付く。
「ネーミア提督と心中しろっていうのかい。冗談じゃない。そんなのは御免さ。あたしたちはあたしたちの意志でここに今こうしているんだ」
「そうよ、レオナ」
ハンナが口を開く。
「私は怖かった。ただそれだけの理由だけど、ネーミア提督についていかないことを選んだわ。でもね、怖いのよ、今でも」
「怖い?」
「そう」
ハンナは深呼吸を一つした。
「だから、そんな臆病な私でも納得ができるように、あの二人の想いを聞いておきたいの。それはあなたにしかできないのよ」
「そんな都合の良い……ッ!」
レオノールは言葉を嚙み潰した。悔しかったのだ。最初は仲間外れ同然の扱いを受けたのに、今はこうして一方的に頼られている。レオノール個人の気持ちなんてまるで無視したこの関係性と立場に、レオノールは激怒した。
「先輩たちのしていること、ネーミア提督がされてきたことと同じですよ!」
「……すまない」
エディタが頭を下げる。だが、レオノールの心はさらに燃え上がった。
「そうやって頭下げて! それで済むんですか! 私の怒りはどこへ向かえばいいんですか! 私の気持ちはどうなるんですか!」
「……そこを理解した上で、こうして言っている」
「そんなこと繰り返して! そういうこと言って!」
レオノールはエディタに掴みかからんばかりに前に出た。エディタはまっすぐにレオナの目を見て、じっと立っている。レオナは右手を大きく振り、息を吸った。
「私、
「ならばレオナ。君は私たちがあいまいな気持ちのまま、ネーミア提督と向き合えば良いとでも言うのか」
「そうなるようにしたのは先輩方の総意だったんじゃないですか!? アーメリング提督が敗れることが想定外だった、なんて言いませんよね!?」
エディタはその大音声に圧倒される。息を飲むしかできないでいた。
「繰り返しますけど! 先輩たちのしていることは、ネーミア提督やアーメリング提督が強要されてきたことと、何一つ違いませんから!」
「そう、だな」
エディタは俯いた。そこでハンナが立ち上がり、背後からレオノールの肩に触れた。レオノールは振り返りもしない。
「レオナ、あなたの言うことは正しい。絶対的に正しい。でも、私たちだって完璧じゃないの。想定したくないことだってあった。迷っていることだってある。でも、その結果の積み重ねで、今ここにこうしていることが間違えているとは思えない」
「しかしハンナ先輩!」
「けれどね、私たちが今、不安になってしまっているのは事実なのよ。だからこうして、あなたに今、頭を下げているの」
ハンナはレオノールの手を取って頭を下げた。レオノールは忌々し気にその手を振り払い、腕をきつく組んだ。
「頭下げたら勝ちって、そういうやり方、汚いですよ、ハンナ先輩」
そうは言ったが、レオノールとて理解はしているのだ。この状況では、自分が何を言ったところで結末が変わることはないということを。だが、それでもレオノールには、承服しかねる要求だった。
「直接訊きに行けばどうなんですか。やってみなくちゃわからないんじゃないですか」
「それじゃダメなんだ」
ロラが首を振る。
「あたしたちが直接乗り込んで問い詰めるのは、そりゃ可能さ。でもね、それであいつらの本音が聞けるとは思えない。意味がないんだ」
「ロラ先輩の言うこともわかります。でもそれ、私が踏み台になるってことですよね。踏み台に。その件についてはどう釈明されるんですか」
「釈明か。言うもんだね」
ロラは腕を組んだ。長い指先が神経質そうに二の腕を叩いている。
「そうだね、確かに踏み台だ。だけどさ、もしこれをやってくれるなら、あたしたちはあんたの指揮下に入る。生きるも死ぬも、あんたが握ってくれて結構。良いよね、みんな」
「えっ……?」
パトリシアとハンナが絶句した。それを見て、ロラは大袈裟に溜息を吐いた。
「覚悟しな、二人とも。エディタ先輩はいいんだね」
「私は最初から覚悟を決めている。レオナにこんなことを要求するからには、レオナに全てを預ける気持ちは固まっている」
「じゃないと、政府の奴らと同じだからね。パトリシア、ハンナ先輩、その辺理解してる?」
ロラのストレートな正論に、二人は黙り込んだ。エディタが悠然と二人を見下ろし、そして宣言した。
「レオナに命を預ける覚悟ができないのであれば、港からは出さん」
「それは……」
「ハンナ、今は保留なんて選択肢はない。レオナにそれだけのことをさせるんだ。覚悟を決めて共に行くか、それとも何もせずに見ているか。どちらを選ぶのも自由だ」
エディタはその藍色の瞳でハンナをじっと見た。
「私は……共に行きたいです。待っているのは嫌だから」
「なるほど。じゃぁ、パトリシアは」
「私も共に。卑怯者ではありたくないから。共に行けるのであれば指揮下にでも何にでも入ります」
パトリシアの声は少し震えていた。だが、エディタはそれでも良しとした。
「ということだが、レオナ、どうだろうか」
「私は――」
レオノールは唇を噛み下を向いた。そして
「納得しません。納得できません。しかし、理解はしました」
そして真っ先にその空間から姿を消した。レオノールがいた場所を見つめながら、エディタは言う。
「私たちのしていることは、確かにネーミア提督を追い詰めたのと同じ手法だ。いつの間にやら、私たちもここまで落ちぶれていたのだな」
「染まっちまったのかねぇ」
ロラは真っ白な天井を見上げて吐き出した。
「あたしたちは提督たちから何を学んだんだろうねぇ」
その問い掛けに、エディタは「そうだな」と言って数秒の間を置いた。
「戦い方、だけかもな」
それは自分自身への痛烈な皮肉だった。
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