#26-2:Let it be.

セイレネスに、賭けましょう。

 セイレネスに賭けましょう――レベッカのその声が、十重とえ二十重はたえに響いた。イザベラは「そうだね」とそれに同意する。


「最後に、イズー。いえ、ヴェーラ」

「うん?」

「あなたの……顔が見たい」

「わたしの?」


 イザベラは声を上げて笑った。


「きみって、ゲテモノ好きだったっけ?」


 冗談めかして言いながら、イザベラはサレットの縁に手を掛ける。


「ゲテモノなんかじゃないわ。私は、あなたの本当の姿を見ておきたい。それだけ」

「はて、見えるかな?」


 イザベラは微笑みながら、サレットをゆっくりと脱いだ。レベッカは唾を飲み下しながら、その動きを凝視した。


「ふぅ……」


 イザベラがサレットを外すと、流れるような白金プラチナの髪がこぼれ出た。揺蕩う輝きの中に、昔の、死を選ぶ以前のヴェーラが立っていた。


「ヴェーラ……やっぱり、あなたは」

「ふふふ、この空間では嘘がつけないね、参ったことだよ」


 ヴェーラは微笑んでいた。途轍もなく優しい微笑を見て、レベッカは言葉に詰まる。胸が痛いくらいに満たされて、呼吸すらも苦しい。


「あなたは、昔から嘘が下手だったわ」

「きみほどじゃないよ、ベッキー」


 ヴェーラは寂しげに言う。


うだけなら、お気に召すまま」


 歌うようにヴェーラは言った。レベッカは一度唇を引き結びその後を追った。


「声をあげたら、叫んでしまうよ」


 それは『セルフィッシュ・スタンド』の一節だった。レベッカは喉にせり上がってくる何かを押しやりながら、声を出し続ける。


「だから今――だから、今は」


 ヴェーラは目を閉じた。そしてぽつりと続ける。


「笑いながら手を振るよりも――」

「みっともないほど、泣き喚きたい!」


 レベッカはたまらずヴェーラの所へと走った。ヴェーラはその身体をしっかりと受け止め、その頭を抱き、髪を何度も撫でた。レベッカはその胸に縋りついて、子どものようにしゃくりあげる。ヴェーラもまた、下唇を噛み締めて、険しい表情を浮かべていた。


「ヴェーラ、本当に、お別れ……なのね」

「うん、本当に、お別れなんだ。どっちかが、今、死ぬ」


 二人はまた強く抱き締めあった。二人はずっと共に在り、これからも共に歩き続けるはずだったのだ。誰かが、何かが、歯車を狂わせた。或いは、最初からそうであったのかもしれない。それは二人には知るよしもない。


「たとえ今、わたしがきみを殺したとしても、わたしはすぐに後を追うことになるだろう。そしてきみがわたしを殺したとしても、それを悔いる必要はないんだ。わたしはもう、一度自分を殺した身なんだから」

「いえ、あなたはヴェーラよ。イザベラなんかじゃない。ヴェーラなのよ、

「はは」


 イザベラは「確かにね」と、右手で自分の長く美しい髪をかきあげた。


「わたしは、結局はヴェーラ・グリエールだったんだ」

「そうよ。あなたはヴェーラだった。私はずっと知っていた。分かっていた」

「そうだよね。きみにはなんだってお見通しだったはずなんだ。だから、感謝してる」

「……つらいわ」

「うん」


 二人はまた抱き合った。まるで恋人同士のように、深く、強く、抱き締めあった。


「さぁ、ベッキー。もう、いいかい?」

「まだ」


 レベッカはそう言いながらも、ゆっくりと身体を離した。


「でも、もういい。きっと永遠に満足なんてできやしないから」

「詩的だね」


 ヴェーラは微笑んだ。レベッカも同じような表情を見せる。二人の頬を、涙の滴が伝い落ちる。


「さぁ、始めましょう。セイレネスに賭けて」

「物理空間での戦いになるよ。に見せてやらなきゃ、意味がないから」

「わかっているわ。私たち、顔を見るのはこれで最後なのね」

「うん」


 ヴェーラはゆっくりと頷いた。時間は静かに過ぎて行く。


「これで、最後だ」


 二人は互いの右手を握りあった。ヴェーラはもう一度レベッカの肩を抱き、掠れた声で囁いた。


「それじゃ」

「ええ、またね」


 一面の白の中に、二人の姿は、もう無かった。

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