#26:リザルト

#26-1:ペルソナ

芥子の仮面

 しん、と、海が静まり返った。暗い海、星の消えた空、焼けた空気。しかしそこには風の音も波の音もない。漂うのはというにはあまりにも微細な、まるで囁きウィスパーヴォイス


 マリオンたちはセイレーンEM-AZの有効射程の彼方に向けて全速力で避退していった。イザベラの能力を以てすれば追撃することもできただろう。だが、それはなかった。


 ウラニアとセイレーンEM-AZ。そして軽巡ウェズンとクー・シー。五十隻にも迫る駆逐艦、コルベット、フリゲートたち。


 一対五十という戦いであり、レベッカにしてみればまさに捨て身の戦術に他ならなかった。しかし、レベッカにはこの状況こそが必要だった。未だ迷ってしまう自身の気持ちに整理をつけるため、逃げ場のない状況に自身を追い込むため、そして全力でヴェーラと向き合うために。


「イズー。私には、あなたの暴走を止める義務がある。国家国民を守る義務が」

『ベッキー。わたしにも義務がある。国家国民の目を覚まさせる義務がね」


 同じような言葉でイザベラは返す。その裏にあるのは、お互いの主張は決して相容れないものだという意志表示だった。


『これはね、わたしにしかできない事なんだ。だから、わたしが行動する義務があるんだ。きみはまだ迷っているようだけど』

「あたりまえよ! あなただって本当はっ」

『はは、本音を言えばね。でも、わたしは遠からず死ぬ。その点については、これっぽっちも迷いはない』


 その言葉にレベッカは絶句する。知っていたとはいえ、理解していたとはいえ、イザベラのその覚悟の強さに、レベッカは完全に圧倒された。


『ベッキー、きみは死ぬのが怖いのかい?』

「怖くないと言えば嘘よ」

『はははは、それはそうか。わたしだって怖かった』


 イザベラはあっけらかんと応じた。レベッカは首を振る。


「私はあなたほどには強くない。だから、死ぬのも、死なせるのも、怖い」

『今になってそんなことを告白されてもね』


 イザベラは明るい声で笑った。笑ってはいたが、その裏にある深く昏い何かに気付かないレベッカではない。


『わたしはね、ベッキー。きみを倒さなくちゃならないんだ。そうでなければ、わたしはこれ以上飛べなくなる』


 イザベラの低い声には、一分の隙もなかった。レベッカは唾を飲み込み、そして苦労しながら深呼吸をした。


「私もあなたに倒されるわけにはいかないの。あなたの反乱は多くの人々に冷や水を浴びせた。もう十分だと思う」

『いいや、まだだよ』


 イザベラの冷たい否定が、レベッカを黙らせる。


『彼らはね、自分たちの頭上に抜かれた剣があって。それがいつだって落ちかかってくる可能性があるってことを、知る必要がある。彼らは自ら知ろうとはしないし、認めようともしない。だから、わたしはそれを思い知らせる必要があるんだ、完全に抜け目なくね』

「でも多くの人の――」

『市民に被害は出させやしない。わたしはテロリズムなんていう下衆なものは認めない。わたしの目的は、愉悦に慣れ切り思考を放棄した人々への、危機意識の啓蒙なんだから』

「でも……!」

『きみはさ』


 イザベラは静かに、ゆっくりとした口調で言った。


『きみの言うことは、することは、綺麗事なんだ。綺麗であることは素直に賞賛するよ。でもね、きみの綺麗さなんてのは、わたしのような汚穢おわいがあって、初めて成立するものなんだ』


 静かな、澆薄ぎょうはくとさえ言えるような言葉をまともに受けて、レベッカは言葉が紡げない。イザベラはなお追い打ちをかけてくる。


『さぁ、きみはどうするんだい? わたしという汚穢をこそぎ取り、自らの綺麗さをも失うかい? それとも、わたしという汚穢に飲み込まれ、わたしの目的をより完璧に完遂するための糧となるかい?』

「選ぶ権利なんてないわ。戦うほかには」


 レベッカは生き残った主砲を全て、セイレーンEM-AZの方に向けなおした。


「……始めましょう」


 レベッカはウラニアの全コントロールを掌握すると、総員退艦の命令を下した。艦橋からは反対の声が殺到したが、レベッカは「命令です」の一言で全てを突っぱねた。


 脱出艇が離艦したのを見届けて、レベッカはウラニアを加速させた。闇の海原を蹴立てて薄緑色に輝く白銀の巨艦が進んでいく。セイレーンEM-AZもまた単艦突出してきた。全長六百五十メートルの巨艦が、僅か二キロの距離にまで接近する。


 ――あなたの正義と、私の臆病な心を賭けましょう。

 ――わたしの狂気と、きみの正義をか。

 ――私たちはもうとっくに、どっちも正気じゃないわ。

 ――ならさ、お互いの狂気を賭けようじゃないか。わたしはきみを全力で迎え撃つ。きみはわたしを全力で叩きに来るんだ。


 ……セイレネスに賭けましょう。


 かつてのやりとり。


 気付けば二人は真っ白な論理空間の中で正対していた。その背景には、『セルフィッシュ・スタンド』が静かに流れている。イザベラはそれを小さな声で歌い、その一方でレベッカは唇を噛み締めている。


「それでさ、ベッキー。わたしは本気なんだけれど」

「私も本気よ」

「嘘だ」


 イザベラは一言で切り捨てた。


「こんな八百長はやめよう」

「八百長だなんて……」

「本音を言おうよ、ここはセイレネスなんだから」

「本音……?」


 レベッカは眉根を寄せながら首を傾げる。イザベラはサレットから覗く口元に微笑を見せる。


「きみの本当の望みは何なの? 今、ここに至って、きみは何を望むの?」

「私は……」

「ほんとうはさ、きみはわたしに殺して欲しいと思ってるんじゃない? わたしに全てを押し付けて終わりにしたいって」

「そんなこと!」


 ない――そう言おうとしてレベッカは口を噤む。冷静になってみれば、その可能性がなくもないという事に思い至ったからだ。


「わたしはそれでも構わないんだ。それがきみの意志なんだって言うのなら」

「私は、でも、死にたいなんて思ってない。けれど、あなたを殺したいとも思っているはずがないじゃない」

「それが傲慢なんだっていうことが、わからないの?」


 イザベラは語気強く問いかける。


「わたし、いつだったかきみに言ったよね。きみは傲慢だって。きみの予測なんて、きみの見ている未来なんて、ものすごく主観的なんだって」

「私の主張のために、私が主観的になって何が悪いの!」


 レベッカは前に出る。その拳は握りしめられている。二人の間にある距離は、ほんの数歩。踏み出して手を思い切り伸ばせば届いてしまう位置関係だった。


「それで良いんだよ」


 イザベラは腕を組みかけ、途中でやめる。レベッカはきつく腕を組み締め、目を閉じた。その様子を見て、イザベラは腰に手を当てて、朗々と読み上げる。


「そこへ至って僕はどうするかというと、口がきけず耳も聞こえない人間でいようと考えた」

「……ライ麦畑で捕まえて?」

「正解」


 イザベラは満足げに頷いた。レベッカは目を開けない。


「山賊どもは彼をとどめおいた。ただし、の花びらで作った薄紅色の薄い仮面で包むという条件を付けてだが」

「……笑い男」

「そうだね」


 イザベラは哂う。


「さしずめ、わたしはだよ。芥子の仮面は、わたしの居所をたちまち知らせてしまう。なぜなら、芥子の仮面は阿片アヘンの香りを振りまくからなんだ」

「そしてその飼い殺そうとした山賊を敢えて殺すようなことはしない」

「そうさ」

「でも――」

「山賊の頭領の母親は、笑い男、もとい笑い女の謀略によって殺されてしまうんだ」

「その母親が、私……?」


 レベッカは背筋が凍ったのを知覚する。


「まぁ、わたしの演説をもう少し聞いてよ」


 イザベラは小さく笑う。


「笑い男はね、手に入れた莫大な富を寄付してしまうんだ。残ったお金もすべてダイヤにしてしまって、その挙句に海に棄ててしまう。わたしの欲望もね、こんな程度の些細なモノなんだ」

「でも、寄付しようが棄てようが、笑い男がそれまでにしてきた犯罪行為が赦されるわけじゃないわ」

「笑い女も同じかい?」

「あなたはまだ戻ってこられるもの」

「しつこいな」


 イザベラは口元を歪める。それ以外の表情はサレットに隠されていて見えなかったが、恐らく眉間には縦皺が寄っていることだろう。


「わたしはもう、戻らないんだ。きみがこうしているのは、そうだな、笑い男を篭絡しようとしたデュファルジュの手腕だとでも言った方がいいのかな」

「それは……叶わぬことだと言っている?」

「さっきからさ、そう言ってるよ」


 イザベラは大きな動作で肩を竦めた。レベッカはその所作に無性に苛ついた。


「セイレネスに賭けましょう」

「そうだね」


 イザベラは頷いた。


「そうしよう、それが一番いい」


 ――そして結論は最初に戻る。

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