ヴァラスキャルヴの蒔いた種

 イザベラの怒りに、レベッカもマリオンもすっかり打ちのめされてしまっていた。アーシュオンはイザベラやレベッカの想像を超えた非道であり、外道だった。だがしかし、だからと言ってヤーグベルテのありようがそのままであって良いとは到底思えない。ゆえに、イザベラとレベッカは、確実に時計の針を進めていくのだ。


 イザベラは諦観したかのような口調で続けた。


『わたしたちもこの子たちも、ヴァラスキャルヴの蒔いた種なんだ。そして――』


 そして――イザベラは一呼吸分の時間を置いた。


『こうして戦っているのもね、奴らとわたしたちのにすっかり依存症になってしまってる連中のせいなんだ』


 その苦々しい言葉を聞き終えるや否や、レベッカは口を開く。


「イズー。今なら、まだ――」

『間に合いやしないさ』


 後戻りなんて、とっくにできないところに来てしまった。イザベラは思う。生首歌姫というとんでもない土産物は持参できたものの、一度明白に反旗を翻した以上、もはや戻ることはできるはずもない。もはや、完遂かんすいするしかないのだ。


『それにね、わたしは貴重なソリストを殺したことになっているんだ』


 あの捏造映像はイザベラも見た。精巧すぎて、イザベラですら疑いの余地を持てないほどに完璧な。


『わたしにはもう戻るところなんてないし、あったとしたって、戻るつもりはない。わたしはかつて絶望し、それでもまだこうしてみじめにも希望とやらにすがりつくことを選んだ。しかしね、あれから何年経った? 三年だ。三年だよ? それだけの時間を経たにも関わらず、やっぱり何一つ、変わることはなかったんだ。ましてや、アーシュオンのこの傑作だ』


 イザベラはセイレネスを全開で発動アトラクトさせた。がイザベラの中で急速に膨れ上がり、休止ブレイク、そして、爆発バーストした。


 アーシュオンの大艦隊の擁していた航空母艦たちが、一斉に爆炎を上げて沈んで行く。


 そこからはイザベラの独り舞台だった。クララやテレサが何をする暇もなく、アーシュオンの大艦隊が一瞬ごとに数を減らしていく。海域は瞬く間に炎に焼かれ、夜空は完全にすすの闇に沈んだ。その不可視の一撃が振るわれる度に、レベッカたち歌姫セイレーンの脳内にはいびつな絶叫が響き、跳ね回り、神経を侵していく。その中に時々混じる、先鋭すぎる叫び声に、レベッカは思わず物理的に耳を塞いだ。


「イズー、これは……っ!」

『はは、これは強烈だ。これがね、生首歌姫のさ……!』


 その叫声きょうせいは、まるで頭蓋骨の中を切り裂いて回っているかのようだった。吐き気がするほど目が回り、意識の視界が極彩色に染め上げられる。だが、その不愉快極まりない感触と共に、レベッカは一種の昂揚感のようなものを覚えていた。限度を超えた苦痛の末に見える何か――そんなものが見えたような気がしたのだ。


「これは……こわい!」


 こわい――その一言に尽きた。得体の知れない、知りたくもない感覚。それを言い換えるなら、だ。脳が思考を放棄し、理性をかなぐり捨てた後にしか味わえないのようなものだ。その快楽の槍は、レベッカの精神を何度も何度も貫いた。自我が吹き飛びそうになるほどに、心の奥深くまでじ込まれる


『オルペウスを立てないと、そのまま廃人直行だよ、ベッキー』

「あ、そ、そうだ。オルペウス……」


 息も絶え絶えになりながら、レベッカはオルペウスを発動アトラクトさせた。その途端、レベッカを貫いていた何かが嘘のように消え去った。ようやく精神と肉体の自由を取り戻したレベッカは、息を切らしながらセイレネスからログアウトする。額に浮かんだ汗を乱暴に拭って深呼吸を一つ、そして、無駄のない動きでリ・ログインを実行する。


 そのほんのわずかな時間に、アーシュオンの大艦隊は文字通り殲滅されていた。明らかな殺意、明らかな決意――レベッカはそう感じた。そこにいる第一艦隊の歌姫たちは、イザベラの思想の下に統一され、明確な衝動でもって、一部の隙もなく行動していた。


 よくもまぁ、そこまで人の心を掴む。レベッカは驚嘆すら覚える。自分にはついにできなかった芸当だと。


 レベッカはいつだって、マリアやV級の少女たちに支えられてきた。もちろん、イザベラ、否、ヴェーラにも。そしてようやく、やっとのことでここまで歩いてこられたのだ。


 その一方で、ヴェーラは、まるで翼でもあるかのように自由に飛び回り、この場所に辿り着いた。そしてここは、ヴェーラにとってはただの通過地点に過ぎないのだ。ヴェーラの見ている未来は、もっと遠くにある。思えば自分はたどたどしくも、先をくヴェーラの姿を見上げ、追いかけてきただけだったのではないか。


 力の差は歴然としていた。力への意志が、レベッカのそれを凌駕していた。


『この戦闘も中継されているのだろうね』

「……でしょうね」

 

 溜息交じりの言葉を交わす。


『しかし』


 イザベラは微笑した。レベッカにはそれがわかる。


『なれば好都合だよ、ベッキー。彼らもこれで理解するだろうから』


 セイレーンEM-AZの長大な主砲が、ずらりとウラニアの方に向けられた。レベッカは奥歯を噛み締め、そして、唇を噛んだ。ウラニアの主砲も一斉にセイレーンEM-AZへと向けられる。


「マリー! クワイアたちを守りなさい!」

『は、はいっ』


 その直後。第一艦隊グリームニルに所属する約五十隻の艦艇が、一斉に砲撃を行ってきた。セイレネスの力が最大限に乗せられた一斉射。全く容赦のない、冷徹で熾烈なる一撃。


「全艦後退! マリー、あなたはまだ耐えて!」

『了解です!』


 マリオンは善戦していると言って良かった。まだほとんど初陣のようなものではあるにしても、さすがはディーヴァ級である。クララやテレサの攻撃すら、物ともしていない。


「マリー、単艦で反撃を!」

『わ……わかりました』


 黒い駆逐艦アキレウスが夜を照らすほどに光り輝き、すすけた空を薄緑色に着彩していく。艦首装甲が展開し、内蔵されていたPPC粒子ビーム砲が海域を薙ぐ。それは死の矢となって、前面に展開していた小型艦艇を撃ち払った。戦艦主砲に匹敵する圧巻の破壊力の前に、さしもの第一艦隊も一瞬は怯んだ。


『さすがはマリオン! だけど、わたしの艦隊は簡単には崩せない』


 イザベラの指揮の下、第二射、第三射と送り込まれる。その攻撃はほとんどアキレウスに集中した。マリオンの悲鳴が響く。レベッカは「しかたない」と呟きながら、ウラニアを守っている力の一部をアキレウスに振り分けた。第一艦隊からの攻撃は、全てをプラズマ化するような熱量を持っていたが、レベッカの袖の一振りで全てが無効化された。その隙にマリオンのアキレウスは、ウラニアの背後に回るように退避していく。なるほど、確かにマリオンではもはや厳しい――レベッカは意を決してウラニアを前に進ませた。全長六百メートルを超える巨大戦艦が、僅か十キロの距離で正対する。


『来るかい、ベッキー』

「ええ、行くわ」


 数では第二艦隊が有利だった。だが、第一艦隊とは覚悟の差があった。現に今、第二艦隊はほとんど手も足も出ない状況に追い込まれている。迷いのない第一艦隊グリームニル、未だ友を討つ事に躊躇のある第二艦隊グルヴェイグ――それらがぶつかればどうなるか。そんなものは火を見るよりも明らかだった。


「でも私は、負けないわ」


 勝つとは、言えなかった。それがまさに覚悟の差だった。


 それに対する返答のように、セイレーンEM-AZがウラニアを撃った。矢継ぎ早に放たれてくる主砲や電磁投射砲レールキャノンでの攻撃は、ウラニアの防御力を確実に削り取っていく。レベッカの精神にも過負荷がかかり始める。防戦一方だった。


『守るだけで何かが変わるとでも思っているの、いまだに』


 イザベラの静かな問いかけがある。


『わたしたちの賭け。どうやらわたしの勝ちのようだね。わたしの狂気がきみの正義を倒す』

「待って! 私たちはどうしても殺し合わなきゃならないの!? そこまでしなくたって!」

『ベッキー』


 それはぞっとするほど静かな呼びかけだった。


『わたしはもう、狂っているんだよ』


 その言葉は、つまり、だった。レベッカは唇を噛み、眉間に力を入れた。


「私も、はいそうですかと殺されてあげるわけにはいかないの。あの子たちのためにも」

『ははは、部下想いだね、良いことだ』

「マリー!」


 イザベラの揶揄を無視し、レベッカは声を張り上げた。


「今すぐ、第二艦隊を率いて撤退!」

『て、提督!?』

「急いで。命令です!」


 その時、ウラニアの艦体が大きく揺れた。セイレーンEM-AZの放った一撃が、ついにウラニアを物理的に傷付けたのだ。意識の目を飛ばしてみれば、第一主砲が根こそぎ吹き飛ばされてしまっていた。白銀の艦体が、血色に燃えている。


「ダメコン急いで! 残り主砲、一斉射! 艦長、火器管制ファイアコントロール戻します!」

『イエス・マム、アイハヴ』


 私は……。


 レベッカはまた唇を噛んだ。血が滲むほどに強く。


「私が全てを引き受けます。マリー、急いで。エディタ、サポートを!」

『提督!』

「もう一人のソリストも無事なのです。何とでもなります」


 有無を言わせぬその口調に、第二艦隊の面々は完全に沈黙する。もはやマリオンには言葉はなかった。事情を事前に知っていたエディタたちですら、何の言葉も思い浮かばない。できることと言えば、ただ粛々と艦首を返して逃げるのみだった。


「よし」


 一斉に距離を離していく第二艦隊の艦影を見送り、レベッカはセイレーンEM-AZの方を見た。


「さぁ、イズー!」

『そうだよ、賭けはまだ終わってないんだ』

「そうね」


 レベッカは微笑を浮かべ、頷いた。

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