こんな道を。

 レベッカは統合首都にあって、静かにを待っていた。窓ガラスの向こう側に並ぶ巨大な黒い棺のようなセイレネス・シミュレータの筐体の中で、マリオンやレオノールたち、新人歌姫たちが訓練を行っている。


「姉様」


 レベッカの背後にじっと立っていたマリアが、しばらくぶりに口を開いた。レベッカは目を閉じ、そしてゆっくりと腕を組んで、背もたれに身体を預ける。


「イズーと政治屋が、動いたのね?」

「肯定です」


 マリアは静かに頷いた。窓ガラスにその様子が映っている。


「私は」

「良いのよ、マリア。あなたが何か重大な事をあの子に伝えたことも、私は知っています」

「……どうやって」

「いま、こうやって」


 レベッカは少し寂しそうにう。


「でも、それはもう、どうでも良いことなのよ」


 レベッカは訓練の中止を宣言する。いつもより幾分厳しい表情をしたブルクハルトが、システムを停止させていく。


「ブルクハルト教官」

「わかってるよ。僕は何も聞いてない」

「……助かります」


 レベッカは小さく頭を下げる。その間に、マリアは参謀部第六課から状況報告の連絡を受けていた。


「さっそく情報が工作されています」


 通話を終えたマリアは、静かな声で言った。


「イザベラ・ネーミア提督は最初からアーシュオンの艦隊と通じていた。味方艦隊への砲撃を行って粉砕。味方艦隊は殲滅されたということです」

「映像もある、と」

「ええ」


 マリアは携帯端末から、モニタルームの端末へと情報を転送した。空中投影ディスプレイに、その時の様子とやらが映し出される。確かに、セイレーンEM-AZが撃ち放った主砲弾が、脆弱な哨戒艦隊を文字通り撃滅していた。


「続きが」


 マリアは受けた報告の内容を告げる。それは、反乱を止めようとしたレネ・グリーグの戦艦ヒュペルノルが、セイレーンEM-AZによって轟沈させられたというものだった。実際に、その映像でもヒュペルノルは見るも無残に打ち砕かれて沈んで行っていた。


「実に高いクオリティです」


 マリアは険しい表情を隠そうともせずに言った。レベッカも頷く。


「やはり、漏れていたのね」

「……はい」


 あの日だ。V級たちを呼んだあの日の事が、情報部か保安部に漏れていたのだ。誰が漏らしたという事も無いだろう。彼らの方が上手だったというだけだ。だが、そんなことはイザベラもレベッカも、想定の範囲内だった。最初からその可能性は常にあったわけだし、もっともらしい映像がつくことも、説得力のある脚本がつくことも、織り込み済みだった。だから、これはこれでいいのだ。一見して正しいように見える情報でも、それが根底からひっくり返されれば、メディアも軍も、そして政府も、信頼性を喪失することになる。


「ニュースでも流れ始めたね」


 ブルクハルトがテレビを点ける。マリアが見せた映像とそっくり同じ映像が、杜撰ずさんなテロップと共に映し出されていた。これからまた、いつものように陳腐な議論が始まるのだ。それはまるで当事者意識のない、エンターテインメントだ。ただのショーだ。


「マリア、第二艦隊の歌姫セイレーン全員をここへ」

「第六課に手配させています」

「良いでしょう」


 テレビの中から、イザベラの肉声が響いてきた。


『わたしは現時刻を以て、ヤーグベルテより離反する。アーシュオン連合艦隊と共に、わたしは今から統合首都を目指す』

「イズー……」


 それは捏造ではない。紛れもなくイザベラ本人の言葉だった。覚悟していたとはいえ、その衝撃は覚悟のほどを軽々と飛び越えるだけの威力を持っていた。


『わたしはヤーグベルテの在り方に抗議する。歌姫セイレーンを使い捨てにし、あまつさえその断末魔さえ利用するその不遜不逞なやり方に、わたしは強く抗議する。その外道なる振る舞いを平然と行うことのできるそのモラルの低さに、わたしはいい加減うんざりした。そんなものを受け取るだけ受け取り、そして日々血を流すこともなく享楽に耽る者たちに、わたしは本心より怒る。恐怖し後悔し、摩耗していくわたしたちに思いを馳せることもなく、ただまるでゲームのように戦争を眺め愉しみ好き勝手な御託を並べる愚劣な思考に使われることに、わたしの我慢は限界だ』


 イザベラの怒りは留まるところを知らない。字面そのもの以上に、そこには激しい感情が乗せられていた。


『戦争はエンターテインメントではない。今からわたしが、このくだらない世界を終わらせてくれよう。我々使い捨ての玩具の想いを、身を以て知るが良い!』


 イザベラによる宣戦布告。他に解釈のしようのないその言葉の群れに、レベッカはいよいよ戻れなくなったことを知る。


 その時、マリアの携帯端末が不愛想な電子音を奏でた。


「ハーディ中佐からですね」

「出て」


 興味がないと言わんばかりに、レベッカは短く言った。マリアは頷いて通話を開始する。


『ハーディです、カワセ大佐。アーメリング提督はそばに?』

「ええ。一緒にいます」

『代わってください』

「お断りします」


 マリアは毅然と応じた。ハーディは溜息を吐いたようだった。


『ならばお伝えください。準備が出来次第、第一艦隊を邀撃するようにと』

「了解しました」


 機械的に応じ、素早く通話を切るマリア。横で聞いていたレベッカは、唇を大きく歪ませた。それはレベッカらしからぬ表情だった。


「準備が出来次第、ね」


 そこにはの準備時間は含まれているのか。


「一休みしてから行きましょう。私はそんなに強くはないから」

「ええ」


 マリアは短く言い、そっとレベッカの肩に手を乗せた。


 わかってはいた。知っていた。こんな未来が来ることを。


 だが――レベッカは考える。


 こんなこと、私たちがしなければならなかったのだろうか。私とイザベラ、いや、ヴェーラは、どうして楽しく過ごすことが許されなくなってしまったのだろうか。ずっと一緒に助け合いながら、ただ生きて行ければよかったのに。初めからそうだったのだとしたら。そのために生み出されたのだとしたら。


 ……私は恨むだろう。


 ……この世界を恨むだろう。


 レベッカの顔は青白く、唇は紫色になっていた。まるで凍えてでもいるかのように両肩を抱き、小さく震えている。戦慄く唇を必死に押さえつけ、レベッカは奥歯を噛み締める。


「ねえ、マリア」


 震える声が放たれる。


「私たち、どこで間違えたのかしら」

「間違えてなんて――」

「じゃあ、どうしてこんな残酷なことになるの?」


 矢継ぎ早の問いに、マリアは沈黙する。


「私とヴェーラは、ずっと二人で同じ道を歩んできたつもりだった。これからもずっと一緒に歩いて行けると思っていた。それなのに、どうして」


 思わず涙がこぼれる。マリアは手を肩から背中に移動させ、ゆっくりとさする。


「ヴェーラ姉様は、優しすぎたのです」

「私は……冷酷過ぎた」

「いいえ」


 マリアの強い否定に、思わずレベッカは視線を上げた。


「姉様は冷酷ではありませんよ。在るべき立場を良く理解されていたのです」

「その在るべきとかいう立場が、ヴェーラと敵対するってことだと言うなら」

「その立場を棄てられなかったから、今があるのでは」

「マリア……」

「ですが」


 マリアは首を振る。


「私は姉様方の判断は、いずれも正しいと信じています」

「これが正しいの? ヴェーラを肯定し、自分をもまた肯定しろと。どうしてそんなに厳しいものを、私に突き付けるの?」


 血を吐くようなその言葉に、マリアはたまらず目を逸らす。


「マリア、教えて。こうなったのは、私たちの責任なの?」

「いいえ」


 マリアは沈鬱に首を振る。


「姉様方には責任なんて。こうなってしまったのは……」


 言うならば、運命。あの悪魔たちが関わっているのだとしても、それはやはりなのだ。マリアは下唇を強く噛んだ。レベッカはその様子を静かに見つめ、溜息と共に吐き出す。


「私たちの存在そのものが、責任なのかもしれないわね」


 兵器としての自分。兵器としての価値。兵器としての、自由。


 責任――それは、ヴェーラをあそこまで追い詰めてしまった自分にあるのかもしれない。そして、ヴェーラをその奈落から救い出せなかったことの不甲斐なさだ。考えれば考えるほど、この事態の原因は自分にあるのではないかとさえ思えてくる。


 だったら。


 苦しみから解き放ってやるのが、自分のできる唯一の……。


「マリア、手を貸して」

「はい、姉様」


 レベッカはマリアの手を握る。


「これからあの子たちに説明をしに行きます。C級クワイアたちには艦船待機を命令して」

「了解しました」


 マリアは厳しい表情を見せながら頷いた。レベッカの顔は青白かったが、表情は毅然たるものだった。

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