誤算からの喪失

 イザベラは動けない。指先に至るまでが凍り付いてしまったかのように、冷たく痛む。その生首はハッキリと目を開けた。濁った緑色の瞳がイザベラを真っすぐに捉えている。


「あなたは……」


 その口がを紡ぐ。そのはあまりに流麗で、イザベラの歌い手としての本能が研ぎ澄まされる。そのの静かな暴力性の前に、否応なしに、イザベラの周囲を取り巻く音が変調させられていく。


「あなたは、誰」

「答える理由はない。きみはいったい何なんだ。どうしてそんなことになっている」

「私は……? どうして……?」


 仄暗く狭い空間の温度が下がったかのような錯覚を覚える。イザベラは意識の手で、その生首少女の頬に触れた。冷え切った体温が、イザベラの意識を鋭くえぐる。


「こんなことが許されるのか、マリア!」

『アーマイアは必要だと感じました。その理由は――女神の怒り』

「何を言っているんだ!」


 イザベラの激昂とは反対に、生首の少女は心底不思議そうな顔でイザベラを見つめていた。その自然な表情と不自然な造形のギャップに、イザベラはますます寒気を覚える。


『姉様も理解しているはずです。そして、共感しているはずです』

「なにをだ! わたしはこんなことを赦すことはない。赦そうとも思わない!」

『姉様が何を怒ろうが、現前為ったこの事象は変えられない。現在を変えることはできない。変えられるのは、未来――』


 マリアの言葉の意味に、イザベラは気付く。


「まさか、マリア。君も……か」

『……ごめんなさい』


 マリアはあっさりとその予感を肯定した。イザベラの憤怒は頂点を通り越して、どこかへと行ってしまい、むしろ可笑しくなってくる。


「わたしはきみの掌の上で踊らされていたということか」

『いいえ……いえ、そうなります、ね……』

「あはははは、そりゃぁいい」


 イザベラはじっと見つめてくる生首を見つめ返しながら、両手を打った。


「まぁ、きみに踊らされていたというのなら、それもまた仕方ない。いいだろう」

『姉様、ごめんなさ――』

「決めた」


 イザベラはマリアの言葉に被せるようにして強い語気で言った。そして、意識をセイレーンEM-AZのコア連結室に引き戻す。そして物理実体の目を開けた。


「第一艦隊全艦、戦闘中止!」

『て、提督!?』


 クララの驚愕した声がすぐに返ってくる。


『中止と言われても、目の前の敵はどうするんですか!』

「とんでもないものを見せつけられたんだよ、今。それをヤーグベルテに持ち帰り、その実態をあいつらにも見せてやろうと思ってな」


 その時だ。レネが鋭い声で割り込んできた。


『敵新型駆逐艦八隻より魚雷多数! 前に出ます!』

「なんだと!」


 イザベラは慌てて状況を確認した。およそ魚雷とは思えない速度で衝撃波を振りまきながら、何十という数の魚雷が第一艦隊に向かってきていた。


「レニー、無茶をするな! クララ、テレサ、支援に回れ!」

『何ですか、これ! セイレネス!?』


 動揺を隠しきれないテレサの声が響く。そこには絶望感のようなものがあった。ヒュペルノルがおよそ戦艦とは思えない動きで、第一艦隊と敵の魚雷の間に巨体を割り込ませる。


『魚雷、引き受けます! そっちに行かせるわけにはいかない!』

「無茶だ、レニー!」


 イザベラは強引に魚雷の数本を弾き飛ばした。レネもまた数本を消滅させる。共鳴を起こしているその魚雷のようなものは、イザベラの力を以てしても食い止めるのは難しかった。海域封鎖も間に合わない。


『敵艦、V級……!』


 レネの焦る声が聞こえる。イザベラはセイレーンEM-AZの巨体を進ませる。


『ダメです、提督! 下がってください!』

「誰に指図をしているか!」


 言いながら、さらに数本を消し飛ばす。


『提督! 敵魚雷群、これ、核です!』

「なんだと!」


 イザベラの脳裏に、アーシュオン本土への直接打撃の光景が蘇る。ヴァリーの大切な人を殺したあの攻撃――セイレネスの力の乗った核攻撃だ。


「させるわけには……ッ!」

『第二射! 目標、ウェズン、クー・シー……いえ、全艦! 止めます、私が!』

「無茶はやめろ、レニー!」

『それ以外手段はありません!』


 こんな所でレネをうしなうわけにはいかない。イザベラはセイレーンEM-AZの全コントロールを握って、艦体を前に進ませる。だが、ヒュペルノルとは一キロ近く離れている上に、ヒュペルノルも激しく動き回っている。到底間に合う間合いではない。


『セイレネス発動アトラクト! モジュール・エ・ウ・ニル・コラプション!』

「やめろ、レニー! きみの力ではそいつら全部は止められない!」

『すみません、提督。あとはお任せします』


 ぞっとするほど平坦な音がイザベラの心に届く。


 海域を薄緑色の光が覆う。第一艦隊の艦艇をそっくり隠すようにして、ヒュペルノルから光が放たれていた。


 その光の半球を滑るように、熾烈な衝撃波がほとばしり抜けていく。熱も放射線も、光りに守られた第一艦隊を傷付けることはなかった。だが、ヒュペルノルは、燃えていた。半ば溶け落ち、赤熱した艦体はもはや原型を留めておらず、ただの溶融した鉄の塊と化していた。


「レニー! 生きてるか、返事をしろ!」

『提……督……無理、でした……』

「助けに行く、頑張るんだ」

『あとを……歌姫セイレーンたちの……を……頼み……ます』


 薄緑色の光が一際強まったその瞬間、遅れて着弾した核魚雷が炸裂した。防御能力を喪失していた戦艦には、もはや為す術もなかった。戦艦ヒュペルノルは、文字通りに消し飛んだ。


「くそっ!」


 セイレネスからログアウトするなり、イザベラは立ち上がって壁を殴った。人差し指のつけねがグキリと音を立てたが、激しい感情の昂ぶりが、痛みを完全に打ち消していた。


 こんな所でレネを喪う必要はなかった。イザベラはレネの能力を見誤った――あの生首歌姫をそれとなくでも感知するだけの能力があった事に気が付かなかったのだ。レネは異変を感じ、旗艦であるセイレーンEM-AZを守ろうとした。イザベラはそこでレネを止めるべきだったのだ。或いは、レネにも今回の計画を話しておけば、もしかしたらレネはそんなことをしなかったかもしれない。


「ちくしょう!」


 イザベラは再びセイレネスにログオンし、接近してきていた魚雷群を掃討した。


「こんなものでわたしをどうにかできると思っていたのか!」


 イザベラは激怒していた。誰あろう自分にだ。さらに撃ち込まれてきた魚雷と砲弾も、その全てを粉砕した。空海域が暴風に包まるが、イザベラはその嵐すら手懐てなずけた。空間の熱量を凝縮し、アーシュオンの艦隊の方へとベクトルを設定する。逃げ場を得た圧縮エネルギーは、たちどころにアーシュオンの艦隊を薙ぎ払った。先頭に並んでいた駆逐艦たちが一瞬で粉砕されていく。


「ちっ……」


 しかし、例のを搭載した新型艦は、それを耐え凌いだ。そこでイザベラはふと冷静になり、アーシュオン艦隊の通信ラインへのアクセスを試みる。


「アーシュオンの艦隊に告ぐ」


 自分でも驚くほど冷徹な声が出た。イザベラはそんな自分に可笑しくなって、思わず唇を歪める。


「我々第一艦隊は、これより貴艦隊に付く。ヤーグベルテ統合首都へと我々と共に進め。よろしいな」

『何を言っているかわからんな。寝返るとでも言うのか』

「その通りだ。貴艦隊に拒絶はない。それでもなお、わたしの提案を聞き入れぬというのであれば、貴艦隊はここで全滅する。よろしいか」

『我々には新兵器が――』

「生首歌姫なぞ、ディーヴァたるわたしの前には無力。あんなものが百体いようが、わたしには傷をつけることはできない」


 イザベラは主砲を一度撃った。それは水平線の先にいるアーシュオンの新型駆逐艦を撃ち貫いて爆散させた。セイレネスによる頑迷な抵抗は感じられたが、その衝突コリジョン状態も一秒と持たなかった。


「これでも新兵器とやらの方が有利だと思うのか」

『……厳しそうだな』


 アーシュオンの連合艦隊司令官はあっさりとその事実を認めた。


『良かろう。第二艦隊グルヴェイグが出てきた際には、貴艦隊グリームニルの活躍を期待して良いのだろうな』

「無論だ。貴艦隊ごときでは、レベッカ・アーメリング一人を傷付けることもできない」


 ベッキーを傷付けて良いのはわたしだけだ――。イザベラはそんなことも思う。そんなイザベラの感傷をよそに、アーシュオンの司令官が尋ねてきた。


『突然の謀反とは、いったい何があったのか』


 ふふ、と、イザベラは哂う。そして答える。


 何も――と。


 そう、何もないのさ。


 イザベラはが来たことを、改めて認識する。


「さて、始めようじゃないか。茶番劇を」


 イザベラは闇の中で静かに宣言した。

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