救い無き、狂哭

 この一方的な力が――セイレネス!?


 カティの一撃で焼け焦げた空域を見たその瞬間に、カティは寒気すら覚えた。その空間には、セイレネスの残滓ざんしがあった。薄緑色の光が、まるで蛍の群れのように揺蕩い、粉砕された戦闘機の残骸が、ゆっくりと落下していく。物理法則を無視したその動きは、まるでその空域が粘度の高い液体に満たされているかのようにすら錯覚させる。


 その間にも、カティの中に響き続けるは音圧を上げ、BPMスピードを高めていく。の群れに急き立てられるかのようにエキドナのオーグメンタを最大出力にまで高め、ジギタリス隊との合流を二の次にして戦場へと飛ぶ。それはまるで無意識的、いや、自動的だった。


 なんなんだよ、これは――その時、突如湧いてきたノイズに、カティは思わず吐き気を覚える。


 呪詛である。

 

 断末魔である。


 気が狂いそうなほどの圧力のある叫びである。


 何百枚もの静止画がカティの中に流れ込んでくる。見知らぬ男、或いは女の日常風景。家族や恋人と思われる人との時間。子どももいた。喜怒哀楽、あらゆるものがそこにあった。


 それが今しがた殺したベオリアスの飛行士たちのものであると理解するのに、数秒とかからなかった。からだ。


「ええい、くそっ!」


 こんなものだったのか、セイレネスってやつは!


 カティは歯軋りする。ヴェーラは、レベッカは……他の歌姫たちも……! こんなものを体験し続けているっていうのか!?


 カティの視界が歪む。泣いているのだと分かった時には、すでに敵の艦隊が視界の奥に見えていた。


「マリア! セイレネスを切れ!」

『できません』

「チクショウめ! こんなモノなくたって! アタシは……!」


 ナイトゴーントたちがカティに向かって飛んでくる。だが、カティはまるで反射的に、それら全てを撃墜した。機首のパルスレーザー砲の威力は圧巻だった。光速で飛来するエネルギーの群れの前に、回避の暇があるはずもない。ナイトゴーントたちのオルペウスの障壁をいとも容易く打ち破り、文字通りの蜂の巣にして叩き墜とした。ナイトゴーントを撃墜した時には、さっきのような不快感はなかった。そのことにホッとするカティだったが、即座に海面からの何かを感じて意識を引き戻す。


「なんだ?」


 誰かが見ていた気がする。それも執念深い、沼のような瞳でだ。


『ジギタリス隊、現着しました』

「あ、ああ。制空権は奪い返しておいた」

『お、おひとりでですか』


 ジギタリス1こと、マクラレン中佐が珍しく驚いている。カティはそれには答えず。機体を一度雲上へと避退させた。対空砲火が凄まじかったからだ。暴風のような対空砲火は、明らかに尋常ではなかった。何隻かの艦艇がカティのエキドナだけを狙って、あらん限りの砲火を打ち上げてきた……そんな感じだ。それも驚異的な精度を持っていて、カティでなければ粉砕されていてもおかしくはなかった。


『カティ、だいじょうぶですか』


 マリアの張り詰めた声が意識に届く。カティは「問題ない」と冷静に返し、戦闘空域を一周しながら高度を下げた。その間も対空ミサイルからPPC粒子ビーム砲の類までがエキドナに向かって打ち上げられてきたが、カティは危なげなく回避する。たとえ電磁誘導砲レールキャノンであったとしても、砲門が見えている以上、回避するのは――あくまでカティにとっては――難しいことではなかった。


『駆逐艦をマークしました。それを最優先で撃破してください。カティ以外は当該艦との交戦を避けてください』

「危険なのか?」

『ええ』


 カティは即座にジギタリス隊に避退を命じ、単機で敵の艦隊に突っ込んでいく。


 駆逐艦を護っている……?」


 輪形陣は輪形陣なのだが、本来外側にいるはずの駆逐艦が中央に庇われている。しかし、カティは海面を掠めることで敵の艦を盾にし、すり抜け様に五十七ミリ速射砲を打ち込んで少なくないダメージを与えていく。セイレネスの力の乗ったその砲弾の前では、駆逐艦や巡洋艦の装甲など紙にも等しかった。それどころか三十ミリ機関砲でも、小型の艦船などはあっさりと沈んでいく。


 ありえん――その破壊の当事者がそんな呟きを漏らすほどだ。


 その時、カティの視界の中に何か黒いものがいっぱいに広がった。


「っ!?」


 それがふわりと遠ざかり、カティはその黒いものが少女の髪の毛だったことを知る。赤い目をした黒髪の少女が、エキドナのすぐ前に浮かんでいた。


「なんだ!?」

『その子が駆逐艦の歌姫セイレーンです。アーシュオンではショゴスと呼ばれているようですが』


 視界がクリアになる。前方三千メートルの位置に駆逐艦が浮かんでいる。針路を阻むものは何もない。立ちはだかる軽巡洋艦の艦橋を破壊しつつ掠め飛び、再び高度を下げる。駆逐艦から百二十ミリの砲弾が雨霰と撃ち込まれてくる。CIWS近接防御火器システムが作動し、二十ミリガトリングの砲口がぐるりと回転する。そしてコンマ数秒の内に、秒間百発にも上る数の弾丸を撃ち出し始める。四機のガトリングが一斉に火を噴くのだ。さすがのカティも全てを避け切ることは不可能だ。


「こりゃ無茶だ。防御が分厚すぎる」


 カティは機首を跳ね上げる。上に逃げようとする。しかし、すぐにマリアが「いえ」と強い口調で止めてくる。

 

『そのまま進めます、大丈夫、行けます』

「んな、無責任なこと!」


 何発かが機体を掠める。その時、薄緑色の光が弾けたのを見る。


「これは」

『相手はセイレネスを使った攻撃をしてきています。カティの乗っているエキドナなら、十分に対抗できます』

「やってみなくちゃわからないだろ」

『いけます』


 その強い言葉に、カティは思わず「あー」と気の無い声を発する。そうこうしている間に、エキドナは宙返りを決め、再び駆逐艦への突撃コースに入る。猛然と火を噴く対空火器に、さすがのカティも血の気が引いた。


「まるで特攻じゃないか!」

『あなたは死にません』


 その言葉が終わらぬうちに、カティは声を聞いた。


 沈め――。


 それは自分の声だった。ゾッとするほど低い声だ。


 機首のパルスレーザーにエネルギーが注ぎ込まれ、立て続けに光の矢を放つ。それは駆逐艦に突き刺さる直前に霧となって消えた。


 オルペウスか……!


 相互にセイレネスとオルペウスを備えている以上、通常の応酬では埒が明かない。ナイトゴーントのオルペウスなど、この駆逐艦に比べれば雑魚にも等しい――カティはそう悟る。


 距離は八百。激突コース。


 カティは自動的に機体を真横に滑らせる。対空砲弾がエキドナを何度も掠め、揺らす。


 どうする、カティ。どうする、アタシ。一秒の何十分の一かの時間、自問する。


 対艦ミサイル残り二発。これでくしかない――決断するや否や、目にも留まらぬ速さで、カティはミサイルを撃ち放った。


 それは一瞬で駆逐艦に叩き付けられる。


 時間が止まった。


 カティは空中に浮き、黒髪の少女は海面に立っていた。少女の前にミサイルが二発。少女は右手を上げる。ミサイルが爆ぜる。カティは舌打ちする。


 破片が吹き飛ばされたその瞬間、カティの視界が赤熱する。


 戻れ――カティのあの冷たく低い声が響く。


 飛び散った破片、拡がったエネルギーが、再び凝縮されていく。まるで逆回しのように。黒髪の少女は無表情にカティを見た。粘る赤い視線がカティに纏わりつく。


「ようこそ――」


 少女は言った。


へ」


 微笑が浮かぶ。憐憫を滲ませた微笑みは、カティの心を凍り付かせた。


 再生したミサイル――のように見えるエネルギー体が、少女に突き刺さる。少女はたちまち引き裂かれ、血飛沫となって消滅した。


 が響く。脳の中から爪先まで、全てにそれが沁み込み、掻き回していく。激痛と言っても良い。全身の神経に直接針を突き立てられているような、そんな激痛だった。


 指先に至るまで、あらゆる関節が硬化してしまい、機体の制御も何もあったものではない。しかし、エキドナは動いていた。カティは自分が操縦しているのか否か、判別がつけられなくなっていた。それほどまでに、カティの意識とエキドナはリンクしていたからだ。


『今のが、セイレネス越しに聞くです。姉様やエディタたちは、常にこの断末魔に曝されながら戦っています』

「くそっ、とんでもないな」


 ようやく震えが止まり、カティはエキドナのコントロールを掌握する。


「こんなものをありがたがる連中がいるなんて、信じられない」

『断末魔特集――ですか』

「そうだ」


 カティはジギタリス隊に撤退命令を出しつつ、肯定した。あの駆逐艦を撃沈し、制空権も完全に掌握した今、エウロスが留まる理由もない。ついでに大型艦も数隻血祭りに上げている。文句を言われる筋合いもないはずだった。


「確か麻薬的な何かって書かれてた気がするんだが、今アタシが味わったのはそんなもんじゃなかった。今も全身が強張っているくらいだ」

『あの特集の分析は、合ってるんです。セイレネス経由で聞かなければ、という前提がありますが』


 カティはミサイル駆逐艦を粉砕しつつ「ふむ」と頷いた。マリアもその様子を見ているのだろうが、特にその件については何らのリアクションもしない。


歌姫セイレーンには、確かに脳に作用する要素が多分に含まれています』

「それが麻薬的な効果ということか。あんなものを常用する奴らがいるってのか。文字通りの断末魔なんだぞ?」

中毒アディクションになれば、そんなこと気にしもしませんよ。そんなところも麻薬と同じです。需要があるのは事実ですし、軍本部とて容認しています』

「クソッタレだな」

『ええ』

「セイレネスを通すだけで、あんなものが中毒を起こすほど、になるってのか」

『そのようですね』


 周囲に敵影なし。カティは暗い空と海を見回してから、そう判断した。前方に先に避退したジギタリス隊の姿が見えた。


「アタシがさっき聞いたのが生音源で、一般に行き渡っているのが加工済み音源ってことか」

『そういう解釈で良いかと』

「そんな加工をする意味なんてあるのか? あんなものをありがたがってる連中に、さっきの音を聞かせてやりたいよ」


 そう言いつつ、カティは思う。誰がそんな仕組みを作ったのかと。何の目的で、そんなエフェクタを噛ませているのかと。


 なんにしても、カティには到底受け入れ難いシステムであることは、確かだった。

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