補う言葉

 まったく、きみって奴はさ――イザベラはレベッカを座らせてから、自分も手近な椅子に腰を下ろした。


「ベッキー、きみはどうしてそうやって相手にもカラがあると思い込むんだ」


 イザベラがそう言い終わるや否や、再びドアが開いて、レネとアルマが入ってきた。親友たちの思わぬ登場に、マリオンは少しだけ腰を浮かせた。


「わたしが呼んだんだ。レニーもそのままいてよ」

「イズー、これは」

「まぁまぁ。頃合いだと思ってね」


 イザベラはレネとアルマにも座るように促すと、優雅な動作で足を組んだ。


「さて、ベッキーがマリーに何を言ったかは、わたしは全て把握している。セイレネスで聞こえていたからね」

「えっ……?」


 それはマリアの能力だったはずだ、と、レベッカは息を飲む。


「わたしにもワケがわからないけど、まぁ、セイレネスだし。何があってもおかしくはないよね」


 さて、とイザベラは右肘を長机に乗せて頬杖をつき、レベッカに正対した。その向こうにはマリオンが座って、硝子玉のような瞳でイザベラを見つめている。そのマリオンの隣には、アルマが腰を下ろしている。レネはイザベラの隣にいた。


「そこのは、マリーの帰りをずっと待っていたんだよ」


 イザベラは派手な髪の色をした部下を見遣りながら言った。アルマはイザベラにしばしば「三色頭」と呼ばれている。というのは、本来のストロベリーブロンドの髪色に、黒と青のメッシュを入れているからだ。黒一色のマリオンとはいい感じに対立する色合いだった。マリオンもアルマも、双子とまではいかないが姉妹くらいにはよく似た雰囲気を持っていた。小さな顔に大きな瞳、どちらもやや童顔ではあったが、それでも確実に「可愛い」よりは「美人」にカテゴライズされる。歌姫、つまり軍隊アイドルであったから、スタイルの良さも折り紙付きだった。


「さて、ベッキーの言葉足らずっぷりを補うのはわたしの仕事だね」


 イザベラはサレットのこめかみあたりをコツコツと叩いた。


「これはきみたちには大切な話になるかもしれない。だから眠たいのを我慢して聞いてほしい」


 イザベラは背もたれに体重を預け、天井を見た。


「わたしも、ヴェーラ・グリエールも。なにひとつ、変えられなかったのさ」


 その言葉に、レベッカは露骨に肩を強張らせた。イザベラは唇を歪める。


「ヴェーラは、文字通り死ぬほど絶望した。自分の願いが何一つ叶えられないという現実にね。そして自分の力が、世界を変えるために使われている現実にね」


 望まない力。誰かを殺せる力。それは呪いだ。殺した人の呪詛を一身に受ける呪いだ。歌声で沈めた船乗りたちの魂を、一生背負い続ける業なのだ。望む望まざるとに関わらず、受ける報い。


「ヴェーラは、あれだけの力を持ちながら、初めて愛した人のことを救うことができなかった。何十万人を一夜で殺せる力を持ちながら、たった一人を助けることさえできなかったんだ」


 その言葉の裏にあるものは、この場の全員が知っていた。レネやマリオンたちだって、アーシュオンの飛行士とヴェーラ・グリエールの関係の噂くらいは知っているのだ。


「それにね、わたしたちには、この愚劣な戦争状態をどうこうする力なんてものはないんだよ、マリー。空母を一撃で沈める能力を持っていたって、弾道ミサイルでの狙撃を成功させる技術を持っていたって、そんなものはただの外交カードでしかないんだ、わたしたちの歌は」


 イザベラのその低い女声が、狭い会議室を満たしていく。


「わたしたちの歌はね、かちどきの前座でしかないんだ。何を訴えようが、歌おうが、語ろうが、わたしたちは国民やメディアにとってしてみれば、に過ぎないんだ。安寧パン娯楽サーカスを無条件に提供してくれる、ただそれだけの兵器でしかないのさ」

「イズー……」


 レベッカは何かを言おうとしたが、イザベラは左手を上げてそれを止めた。


「ヴェーラ・グリエールもね、それに怒り、悲しみ、絶望した。殺戮の手段としての自分に。自分が戦えば戦うほど戦線は拡大されていく。守るための力はやがて反攻カウンター能力になった。殺さなければならない敵は、雪ダルマ式に増えていく。わたしは何百と歌ってきたけど、讃えられるのは、求められるのは、勝利の歌以外の何物でもない。一人の女の、人間の、想い――誰もそれを理解しようとしなかった。あまつさえ、耳を塞いだ。弾丸、魚雷、爆弾。わたしたちの歌はね、想いはね、結局はセイレネスのための命令文コマンドラインとしてしか認知されなかった」

「そして


 レベッカは呟いた。イザベラは頷き、主導権イニシアティヴをレベッカに渡した。


「セイレネスの発する特殊な音波は、とりわけに発されるそれは、人々に大きな影響を与えます。大半は快楽物質の分泌過剰状態に陥ります。私たちがセイレネス経由で放つ音全てにその効果はありますが、の効果は圧倒的です」


 無表情に語るレベッカの頬は、しかし、少し震えていた。イザベラが足を組み替えて、口を挟んだ。


「気付きもするよね」


 何にですか――と、マリオンは口に出しかけて飲み込んだ。理解したからだ。


「人々がわたしたちに求めているもの。それはね、なんだ。それも継続的な、ね」

「そんな……!」


 マリオンとアルマが同時に声を上げた。


「世界は求めているんだ。わたしたちの最期の慟哭をね。わたしたちの呪詛の叫びをね」


 イザベラは「ふふ……」と小さく笑う。


「あの頃から、ヴェーラにはわかっていたんだ。そして、色んな要素がぜになって、ヴェーラ・グリエールの心は壊れてしまったんだ。セルフィッシュ・スタンドを遺作としてね」


 セルフィッシュ・スタンドのことはヤーグベルテの殆ど全国民が知っていた。直後のヴェーラの自殺もあって、話題性には事欠かなかったからだ。


「でもね、軍は何も変わらなかった。ヴェーラの命もその程度だったってこと。どころか、歌姫の素養のある子たちをごっそり集めてきては、立派な兵器に仕立て上げた。セイレネスを使った戦闘はより大規模になり、必然、死ぬ子も多く出た。その責任の一端はわたしたちにもある――そのそしりは受けるよ。でも、わたしたちがいつまでも前線にいられるわけではない以上、仕方のない過程であるとわたしは考えている」


 イザベラの言葉には物理的な圧力さえあった。レベッカさえ口を開けないくらいの質量が、そこにはあった。


「でもね、それもこれも含めて、全部だったんだ。アーシュオンとは永遠に戦争を続ける。ヤーグベルテとアーシュオンは戦力拮抗のまま、永遠に戦い続ける。セイレネスを使い続けてさえいれば、政府は戦争と同時に娯楽を国民に供与し続ける事ができるし、国民はこの何十年と続いている戦争状態に慣れ切ってしまっている。隣町が消し飛んだとしても、そんなものは彼らにとっては他人事でしかない。わたしたちは最強の矛にして、最強の盾なんだ。国民を守り、パンとサーカスを与え、そして最後に大きなプレゼントを遺して去る――実に都合の良い存在なんだよ、は」


 イザベラはサレットの奥からマリオンとアルマを凝視していた。その視線に気付いているのか、マリオンもアルマも指一本と動かさない。


「わたしは死に損ないなんだ。わたしは、かつてはヴェーラ・グリエールと呼ばれていた。全てに絶望して全てを燃やし尽くした――はずだった」


 イザベラは立ち上がり、アルマとマリオンの前に移動した。


「でもね、世界への憎しみは、今も私の内側にくすぶっている。わたしは顔以外、全てを人工物に置き換えた。この手も、首も、唇も、何もかもが代替品だ。顔は、口の周り以外は、全て加工済みのだけれどね」


 自虐的なその言葉に、この場の全員が息を飲む。イザベラは腕を緩く組み、サレットの奥からマリオンを見た。


「毎朝毎晩の懺悔に使うのさ、この醜くただれたこの顔をね」

「懺悔……?」

「そうだよ、マリー。懺悔だ。世界をこんなふうにしてごめんなさい、わたしだけ逃げようとしてごめんなさい、救えなくてごめんなさい。わたしの重ねてきた罪は、私の顔くらいじゃ到底釣り合わないけど」


 それを罪と言うのか――マリオンは唇を噛んだ。無意識に隣のアルマの手を握りしめている。アルマも強く握り返してきた。


「マリー、アルマ、レニー。きみたちの世代に負債を遺すことになるわたしたちを赦して欲しい」


 イザベラはそう言うと、レベッカの手を取って立ち上がらせた。


「わたしたちの罪は、わたしが背負う。きみたちの背負う呪詛も、苦悩も、わたしが全て引き受けよう」

「私たち、と言ってもらえる?」


 レベッカが硬い声で言った。イザベラは「うーん」とサレットを人差し指で叩く。コツコツと音がした。


「そうだね」


 イザベラは頷いた。


「わたしたち、だ」

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