#17-2:the insane
ひずむ音
二〇九八年五月――。
三隻目の戦艦ヒュペルノルが進水した。ヒュペルノルは、唯一の
また、長らくレネとパトリシアが共用していた重巡ポルックスが晴れてパトリシア専用艦となったこともあり、戦略戦術の幅が大きく広がった。
「運用コストは悩ましいところですが」
並走する戦艦ヒュペルノルを見ながら、マリアが言った。提督席に座るイザベラは、のんびりと紅茶を飲んでいた。さすがにブランデーは入っていない。イザベラはすぐ左側に立っているマリアに向かってぼやく。
「訓練航海なんてものに憧れるよ」
「実戦でのコストすら議会で叩かれるじゃないですか。まして訓練のコストなんて、自称国民の代弁者たる方々が認めたりはしないでしょうね」
「うんざりするね」
イザベラは紅茶を飲み干し、小さく溜息を吐く。マリアは肩を竦める。
「研修もなしにOJTを強要されるなんて、会社勤めしたことある人ならどれだけ無茶か分かると思いますけどね」
「違いない」
イザベラは空になったティーカップを眺めながら頷く。マリアは苦笑した。
「彼らの自己中心的で狭い世界観を腐しても仕方ありません。治るものでもありませんから」
「今日はいつになく辛辣だね、マリア」
「そうですか?」
マリアは目を細める。黒褐色の瞳がきらりと光る。
「そんなことよりも、アーシュオンの次の出方が気になりますね」
「次の?」
「ヒュペルノルが配備されたことは、確実にアーシュオンの耳に入っています。となれば、もはや従来の編成では来ないでしょう」
「ああ、そうか。それはわたしも思っていた」
イザベラは顎に手をやった。そしてポットから二杯目の紅茶を注ぐ。
「マイノグーラを超えるような、何か新しい
「――ですね」
マリアは一瞬
超兵器……なんだろう、この違和感。アーマイアが何かしたのか。私の知らない内に。だとしたら、アーマイアは私に対して裏切りを仕掛けたことになるけれど。
「――マリア、マリア?」
「あっ、はい、なんでしょう?」
露骨に取り乱すマリアに、イザベラはサレットの奥で眉を
「何か情報、掴んでない?」
「い、いえ……。ただ、可能性としては十分にあり得るかと」
V級を消耗品として使うような兵器を作るくらいだ。アーマイアが何を作り上げて投入してきたとしても何の不思議もない。マリアは心臓が縮こまるような冷気を胸の内に感じた。
「こ、今回の敵は見た目は通常艦隊ですが、何かあると考えた方が良いかもしれません」
「ああ、そうだよね。どうにも引っかかるものがあるんだ、今回」
イザベラはサレットのこめかみあたりを指でコツコツと叩きながら、そう言った。イザベラの直感はよく当たる。セイレネスのコア連結室を通さずとも、その感覚は鋭敏すぎるほどに鋭敏なのだ。
二人が沈黙して数十秒、索敵班が報告を上げてきた。
「敵艦隊、レネ・グリーグ大尉の最大射程に入りました」
「了解した」
言われるまでもなく、イザベラはそのことを承知していた。だが、ここ何ヶ月かは特に、自分から状況を誰かに伝えるという事はしていない。艦橋要員たちももはや慣れたものだった。
『提督』
エディタからの通信が入る。
『現時刻より、状況を開始します』
「うん、そうしてくれ。任せる」
『承知しました』
メインモニタに映るエディタの顔は、もうすっかり歴戦の将校だった。その判断には根拠と自信があり、その決断は時として非情だ。実戦経験の数から言っても、エディタはもはや提督レベルの運用能力を有している。イザベラはそんな風に評価していた。
「ところでエディタ。そこにいて何か感じないか?」
『感じます』
唐突なその問いかけに、エディタは明確に応える。イザベラは頷き、メインモニタにレネを呼び出した。
「レニー、きみはどうだ」
『
「やはりか」
イザベラは腕を組んで数秒間黙考すると、おもむろにマリアの肩に手を置いた。
「今回はわたしも連結室に入る。嫌な予感が消えない」
「承知しました。行きましょう」
マリアは頷き、イザベラと共に艦橋を出る。
「珍しいね、見送りかい」
「いえ、何となく――」
「気になることがあるのかい?」
エレベータに乗りながら、イザベラは問いかける。サレットの隙間から覗く空色の瞳が、まるで値踏みするかのようにマリアを見ていた。マリアは平静な表情を維持しながら。小さく首を振る。イザベラは「そうか」とあっさりと引き下がる。
「きみの情報と頭脳が頼りなんだ。よろしく頼むよ」
「はい――」
エレベータのドアが開き、イザベラは右手を上げて一人出て行った。そしてすぐにドアが閉まり、マリアは狭い個室に一人になる。再び上り始めるエレベータの中で、マリアは忸怩たる思いを心中に吐露する。
アーマイア、何をしているの。あなたは姉様に何を見せようとしているの?
――
錯覚ではない。明らかに答えがあった。他でもないマリア自身の声が、脳の中に反響していた。
アーマイアなの?
――私はあなただし、あなたは私でしょう?
そうじゃない。あなたはあなた、私は私。
――滑稽ね。でも、あなたがそうと言うのならそうなのでしょうね。
揶揄するようなその物言いに、マリアは無性に苛立つ。だが、拳を握りしめてその怒りをやり過ごす。エレベータの階数表示が中途半端な位置で止まっていた。
アーマイア、あなたは何を創ったの。
――悪趣味なゲテモノよ。きっとイザベラなら気が付くわ。
悪趣味な? そんなもの、いったいなんのために?
――あなたの大切な姉様の目を覚まさせるためよ。
エレベータの階数表示が動き始める。もう数秒で艦橋のフロアに辿り着く。
何をするつもりなの、あなたは!
問いかけても、答えは返ってこない。
「くそっ」
扉が開く直前に、思わずマリアらしからぬ声が出た。その時だった。
『どうしたの、マリア。きみらしくないね』
「えっ……」
不意に聞こえたイザベラの声に、マリアは身を固くした。
『やっぱりだ、マリア。きみはセイレネスを通さなくっても、わたしの声が聞こえるんだね。本当にすごい感度だ』
「え――」
『でも不便だね。嘘がつけない』
その言葉に、マリアは一層身を固くする。開いたばかりの扉が、擦過音を立てて閉じてしまう。マリアは再び狭い個室の中の人となる。
「今の私の……聞いていたのですか、姉様」
『聞こえちゃったんだよ』
気まずそうな肯定の言葉。
『でも、きみが何かをしたわけじゃないってことは理解した。アーマイアって、あのアーマイア・ローゼンストックのことだろう? アイスキュロス重工のさ」
「……肯定です」
マリアは観念して首を振った。
「すみません、姉様」
『謝る必要はないさ。きみもわたしたちと同じってことなんだから。その出自を責めるつもりもなければ、存在意義に異議を唱えるつもりもないよ。今、わたしが関心があるのは、アーマイアがわたしに何を見せたいのかってこと』
「私もです」
マリアは溜息交じりにそう言った。
『何が出てくるかは置いとくとして、でも、ハッキリしたよ。今回の敵は、何か違うんだってことがね』
「はい」
『そういうことなら、しっかり見てやろうじゃないか、ねぇ?』
イザベラは意気軒昂にそう言った。
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