#16:オブジェクトたち

#16-1:ソリスト編入

新人編入

 あの戦いで受けた被害は甚大だった。クロフォードが育てた虎の子部隊である第七艦隊は事実上潰滅し、第八艦隊も文字通り全滅した。ヤーグベルテで実効力のある機動部隊は、もはや第一、第二艦隊のみとなってしまっているという体たらくだった。現在、クロフォードを中心として、第七艦隊の再建を最優先に進めているが、集められた艦艇は各艦隊からの寄せ集めに過ぎず、作業は遅々として進まなかった。


 そんな折、二〇九七年十月のことである。


「アーシュオンもおとなしいから良いけどさ」


 ワインを飲みながら、イザベラが言った。場所はレベッカ邸のリビングである。イザベラは相変わらずサレットをすっぽり被っており、表情は口元でしか見ることはできない。ただ、普段はサレットの中に収められている長い頭髪は、さらりと後ろに流されていた。その色は、栗色だった。


「でもさぁ」


 イザベラはレベッカのグラスにブドウジュースを注ぎながら鼻から息を吐いた。


「なんだかんだ言ってアダムスの野郎の思い通りになったというのが許せないな」

「それはそうね」


 ブドウジュースを手にしたレベッカが立ち上がる。直後、インターフォンが鳴った。マリアが到着したのだ。解錠すると、すぐに秋物コートを着たマリアが入ってきた。


「遅くなってしまって」

「今、飲み始めた所だよ」


 イザベラはさっそくもう一つのグラスにワインを注ぎ、マリアに座るように促した。


「……一本空いてるようですけど」

「あはは」


 笑うイザベラを見て、マリアとレベッカは肩を竦ませた。イザベラはしれっとした様子で、ワインに口を付けるマリアを見た。


「で、最終検査はどうだった?」

「ええ。三名とも想定通りでした。レネ・グリーグはS級でした。全てに於いて優秀ですね。ロラ・ロレンソ、パトリシア・ルクレルクは共にV級。二人は幼馴染という間柄もあって、非常に仲が良く、連携も巧みです。また、能力的にはエディタには劣りますが、ハンナよりは上かもしれません」

「なるほどね」


 イザベラはグラスを空にするなり、またワインを注ぐ。まるで水を飲んでいるかのようにグラスを開けるイザベラを見て、レベッカは少し表情を険しくする。


「ただ、戦艦ヒュペルノルの完成が間に合っておらず、しばらくはレネ・グリーグに関しては、重巡ポルックスを使ってもらうという方針です」

「え? とすると、パトリシアの艦がないじゃない」

「そうですね。しかし、予算不足が響いていて、なかなか」


 マリアは疲れたような表情でそう言い、ワインを一気に呷った。普段のマリアらしからぬ行動に、レベッカは思わず目を丸くする。


「ともかくも、これでD級二名、S級一名、V級六名。戦力としてはだいぶ分厚くなったかと」

「そうだねぇ」


 イザベラは腕を組んで、テーブルの上に並べられたクラッカーを眺めた。


「これでようやく機動的な戦術も試せるようになるのかなぁ?」

「まだよ、イズー。レニーだって実戦経験はないのだから」

「とは言ったってさ、エディタだってもう立派な指揮官だよ。十何回も艦隊を指揮してるんだ。やっぱりあの子は指揮官向きだったんだよ」

「そうだけど」

「過保護だよ、ベッキー」


 イザベラは手をひらひらさせながら言い放つ。レベッカはそんなイザベラの顔を凝視した。イザベラもサレット越しにレベッカを見つめ返し、そして足を組んだ。


「次の作戦では、エディタを先頭に立てる。エディタにレニーを使ってもらう」

「また勝手にそんなこと」

「いい考えだろう?」


 イザベラはマリアの方を見た。マリアは疲れた様子で携帯端末を睨みつけていた。まだ確認しておかなければならない情報が山積みになっているのだ。普段はいつでも余裕綽々泰然自若な様子のマリアだが、プライベートでは意外と鬼気迫った表情も見せる――今のように。


 こりゃ、全く聞いてないな。


 イザベラは少し笑い、そしてまたレベッカを見た。


「確かにさ、レニーにとっては初陣だから。リスクは大きいと言えるね、間違いなく。でも、その強力なユニットを上手く扱えないようなら、エディタの指揮官としてのスキルは全然ダメだってことになるだろう」

「シミュレータじゃないのよ? 去年の超調律チューンドコーラスの件もある。対策はできたとは言ったって、万全じゃないわ」

「だったらいつまでエディタを育成枠に入れておくって言うの?」


 イザベラは、クラッカーの上に蟹ミソクリームチーズを乗せて口に運んだ。


「美味しいね、これ」

「カティが教えてくれたのよ」

「へぇ」


 イザベラはテーブルの上のシャンパンクーラーの中で出番を待っていたボトルに手を伸ばし、封を開けた。


「これと合うよ、絶対。カティもほんと、歩くおつまみレシピだよね」

「おつまみレシピって……」


 レベッカは思わず噴き出した。


「カティは普通の料理だって上手じゃない」

「でも、おつまみバリエーションはたぶん本が出せるくらいあるよね」

「そうだけど」


 カティが飛行士パイロットを引退したら、そういう仕事をしても面白いかもしれないなどと、レベッカは思った。それができるだけ早くに訪れたら、なお良いとも。容姿も素晴らしいから、動画映えもする。いっそ芸能人になっても良いかもしれないとも思った。


「ベッキー? おーい、ベッキーさーん」

「え、あ、はい。なに?」

「まったくもう。お疲れ気味なのはわかるけどさぁ」


 イザベラは肩を竦めた。


「わたしはね、エディタもレニーもわたしたちにとってのだと思ってるんだよ」

「でも、だったらそんないきなり危険なことしなくても――」

「希望って言ってもね、自ら輝けないようなものなら無意味なんだ。見えない希望、掴めない希望なんかに意味はないからね」

「い、イズー……」


 レベッカは黙ってなかなか減らないブドウジュースの水面を見つめ、沈黙した。そこで「そうだ」とイザベラが手を打った。その音に驚いて、マリアも顔を上げる。


「来年にはD級も控えてる。マリオンとアルマだったっけ。あの子たちが次の艦隊司令官になるんだよね」

「たぶん、そうなるんでしょうね。私たちに引退が許されるのなら、だけど」

「許されるなら、か」


 イザベラは冷めた笑みを口元に浮かべた。マリアとレベッカは顔を見合わせる。


「わたしたちが永遠にこの国を守れるなんて馬鹿なことがあるはずもないよ。世代交代は行われるべきなんだ。それが健全な組織というものだよ、ベッキー」

「でも、今この国は――」

「ヤーグベルテは確かにもうこの十何年か、ずっと危機に瀕しているよ。でも見てごらんよ、この危機感の無さ。わたしたちのを享受し、をドラッグ代わりに使っているこの社会をさ。彼らをも守るのがわたしたち軍人の使命ではあるよ、確かに。でもね、彼らに当事者意識が芽生えてこない内は、たとえわたしたちが十人いたって二十人いたって、この国の危機的状況は変わらないと思う」


 イザベラはほとんど一息でそう言い切り、シャンパンを二口飲んだ。その怜悧な雰囲気に、レベッカの腕に鳥肌が立つ。ゾッとするような不快感が沸き上がったからだ。


「ベッキー、マリア。わたしたちには多分、時間なんてそんなにないんだ」

「どういう――」

「わたしにがないとでも思ってる?」


 ニヤリと口の右端を上げ、イザベラは少し身を乗り出した。レベッカとマリアは同時に唾を飲む。


「わたしはね」


 イザベラは重々しく言った。


「この世の中が大嫌いなんだ、わたしは。アーシュオンは嫌いだ。だけど、ヤーグベルテはもっと嫌いなんだ。軍人も文民もない。みんな嫌いなんだ。彼らはわたしたちに戦争をさせる。セイレネスを操ることを強要し、そしてわたしたちがそれをすることを当然だと考えている――あの苦痛を知った上でね」

「イズー……」

「わたしたちは命を削って戦っている。だけどね、人々は誰もわたしたちに感謝なんてしない。誰もわたしたちの死をいとうことはない。悲しむこともない」

「そんなことは」


 レベッカは首を振る。


「私たちのファンだっているし、クワイアの子たちにだって――」

「彼らはわたしたちを一人の人間だと考えていると思うかい? わたしたちは崇拝アイドライズを求めてるわけじゃない。一人の人間として見られたいだけだよ」

「それはとても難しいことよ。私たちは特殊かもしれないけど、どこに所属する軍人であっても、みんな同じことを抱えているんじゃないかって思う」

「主体の一般化を求めているわけじゃないよ、ベッキー」


 イザベラはぴしゃりと言った。だがレベッカも退かない。


「たとえどんなことがあったとしても、あなたがどんな思いを抱いているにしても、私はは許さない。二度と、あんなことはさせないから」

「それでもする、と言ったら?」

「それでもすると言い張るなら、まずは私にそのを教えなさい、ヴェーラ・グリエール」

「ヴェーラ、ね」


 イザベラはふふ、と笑った。病的な笑みだった。


「良いよ、オーケー。はちゃんと相談するよ、ベッキー」

「……絶対よ」


 膨れ上がり始めた不安を抑え込みながら、レベッカはかすれた声で言った。


 二人のその様子を、マリアはただじっと見つめていた。

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