碧く光る海

 バーザック少将率いる第八艦隊は、大いに善戦していた。暗礁地帯で巧みな艦隊運動を見せつつ着実に時間を稼いでいる。それもこれも、ナイアーラトテップであっても易々と行動できない海域であるおかげである。それでも空襲や艦対艦ミサイルによる攻撃を受けて、確実に戦力を減らしていた。


「もう少し耐えてくれれば」


 クロフォードは、暗礁地帯を反時計回りに回るようにして逃げ回る。敵の二個艦隊を引き付けるのに成功したのを確認すると、クロフォードは増援艦隊の方へと舵を切った。今やヘスティアの後ろには、八隻ものM型ナイアーラトテップが連なっていた。どんな手段を使っても、あと二時間もすれば追いつかれるような、ぎりぎりの距離感だった。


『こちらノトス飛行隊。当海域にエウロスが接近中。持ち場を後退する』

「ご苦労、ピアフ大佐」


 クロフォードは上空を飛び去って行くノトス飛行隊数十機を見送った。そこでふと一息ついたところで、「こちらエウロス飛行隊」と通信が入った。


「来たか、メラルティン大佐」

『お待たせ。追いかけてきてる艦隊を叩けば良いんだね』

「一撃するだけで良い。一撃したら、第八艦隊の方へ。本艦は全力で第一、第二艦隊との合流を試みる」

『了解した』


 真っ赤な戦闘機スキュラと、それに率いられた約五十機の黒塗りのF108パエトーンが、ヘスティアに向けて真っすぐに飛んでくる。「敵艦隊艦首反転」という報告が偵察機から上がってくる。ノトス飛行隊によって艦載機の大部分を撃滅された敵艦隊には、エウロス飛行隊を凌ぐ力はない。だから、クロフォードは敵艦隊が遁走すると分かっていた。そこにエウロスが一撃仕掛ければ、艦隊が崩壊することは目に見えていた。


 それから三十分ほどが経過した頃、偵察機から報告が入った。


『敵旗艦、大破確認。右舷に二十度以上傾斜しています』

「さすがだな、エウロス!」


 あの艦隊防空網をたったの三十分で攻略したのかと、クロフォードは舌を巻く。ともかくも旗艦大破という状況に陥ったからには、艦隊としての機能を立て直すのに数時間はかかるだろう。司令官が戦死でもしていてくれればさらに僥倖だ。あとはM型にだけ気を付ければ、第一、第二艦隊と合流することは難しくはない。


 メインモニタに映るエウロス飛行隊の反応が、第八艦隊の方へと遠ざかっていく。敵の艦隊もさぞかし慌てることだろう。紅茶でも飲むか、と思い立ったそのタイミングで、カティから通信が入ってくる。


『クロフォード提督、もう一個艦隊がそちらに接近しているようだが』

「ああ、レーダーに見えるな。アレはこっちで誘い出した艦隊だ。ネーミア提督たちへの手土産にするつもりだから、無視して構わない」

『了解した。迂回する』


 それからの二時間は全くもって平和だった。M型がじりじりと距離を詰め、敵の艦隊も高速艦が突出して接近してきていた。ミサイル駆逐艦からの対艦ミサイルの雨も降り注いできたが、ヘスティアの隠蔽システムはそれらの誘導装置を尽く無力化する。その上重装な対空防御システムも搭載している。よほどのでもなければ当たりはしない。ヘスティアを沈めようと思うのなら、航空攻撃を行うか、大口径砲の目視照準射撃くらいしか選択肢がない。そして二時間を経ても艦載機が飛来してこないということは、敵艦隊の航空部隊はノトス飛行隊によって壊滅状態に陥っているということに他ならない。


「M型が距離千五百に接近!」


 千五百メートルというのは、絶対防衛ラインとして設定した距離である。全長三百メートル以上あるヘスティアからしてみれば、超至近距離である。この距離に入った瞬間から、対潜ヘリ部隊が猛然と攻撃を開始する。通常兵器でM型を沈めることは事実上不可能ではあったが、進軍速度を鈍らせる程度の働きは期待できた。そして今はそれで充分である。


「第一艦隊、二百キロ圏内に入りました。第二艦隊も続いています」

「よしきた」


 クロフォードは温い紅茶に渋面になりつつ、セイレーンEM-AZと、処女航海中のウラニアを呼び出した。


『お待たせしました、提督』


 真っ先に発言したレベッカは、おそらくはコア連結室にいるのだろう。メインモニタに映る姿はほとんど真っ黒だ。辛うじて顔が判別できるかどうかという程度の明るさしかない。


『ほかの艦艇は……まさか』

「冗談だろ、アーメリング提督。うちの部下たちはバーザック提督にレンタル中だ」

『い、一隻で逃げ回っていたの!?』


 レベッカが映し出されているフレームの隣に、イザベラの姿が映った。とはいえ、例のサレットを被っているので、表情の類は一切見えない。明るい暗い以前の問題だ。


「それはそうと、後ろにM型八隻と一個艦隊がついてきているんだが、なんとかならないか」

『オーケー、補足した。ベッキー、行ける?』

『たぶん。ギリギリな感じはするけど』

「おいおい、まさかだろ。地球は丸いんだぜ」


 クロフォードは空になったティーカップを脇に避け、レーダーを確認する。M型とヘスティアがほとんど重なっている。もう猶予はない。捕まったらおしまいだ。


『提督、対ショック! 十五秒で着弾するよ!』

「了解。総員、衝撃に備えい! ダメコン準備!」


 きっちり十五秒後、ヘスティアの背後で巨大な水柱が上がった。それはまるで連鎖反応を起こすように周囲にも波及し、そして一斉に爆発した。その爆風をもろに受け、ヘスティアの巨体もかしぐ。椅子にしがみつきながら、クロフォードは「損害報告!」と怒鳴る。


「機関部異常ありません。装甲も無事です」

「甲板上も大きなトラブルは発生していません」


 すぐに各担当員からリプライが来る。大地震クラスに揺れはしたが、確かにどこにもダメージはない。せいぜい椅子から転げ落ちたり転倒したり、その程度の損害が出た程度だろうと予測できた。


「M型どもはどうなっている」

「反応消えました! ……一隻もいません!」

「なんだと?」


 クロフォードはメインモニタの方に目をやった。その片隅で、レベッカは目を閉じていた。イザベラはサレットが邪魔をしていて、どういう表情をしているのかはまるでわからない。だが恐らくは、レベッカと同様に目を閉じていることだろう。イザベラはカメラの方に顔を向けて唇を動かした。


『クロフォード提督、わたしたちはいちばん近い艦隊を潰せばいい?』

「そうだ。手土産のつもりで連れてきた」

『余計な気遣いありがとう』


 イザベラはこれ見よがしに溜息を吐き、肩を竦めた。


『クララ、テレサ、きみたちが指揮して敵艦隊撃滅に当たれ。通常艦隊ごときで手間取るなよ!』

『イズー、第二艦隊はこのまま第八艦隊の救援に向かうわ』

『オーケィ、ベッキー。あっちにはまだ四隻のM型がいるから、コーラスに気を付けて』


 クロフォードは聞きなれない単語に、思わず「コーラス?」と口を挟んだ。レベッカが反応する。


『我々歌姫セイレーンの連携攻撃のようなものです。研究途上ではありますけど。セイレネスの出力を干渉させ合うことで波長を高めて――』

「つまり、複数名でセイレネスを連携させることによって、人数分以上の攻撃力を引き出す技、みたいなものか?」

『その通りです、提督』


 レベッカにしては珍しく、幾分ムッとした肯定だった。


『ただ、この技術はまだ研究中で、それってつまり――』

「まだまだ伸び代がある」

『……そうです』


 レベッカの不機嫌そうな肯定には耳を貸さず、クロフォードは「ふむ」と頷いた。


「それは――」

「提督、メラルティン大佐より緊急入電!」

「回せ」


 クロフォードは心臓を鷲掴みにされたかのような不快感を覚えつつ、厳しい声で命じた。すぐにメインモニタの画像が切り替わる。空から見た海の様子……なのだが、その画像には違和感があった。暗礁地帯に所狭しと二個艦隊分の艦船が浮かんでいるのだが、そこにぽっかりとドーナツホールが空いていた。輪形陣を敷いていることから、そこが本来旗艦のいるべき場所だという事がわかる。


『こちらメラルティン、クロフォード提督、見えているか』

「……どういうことだ。レイアはどこに消えた」


 レイアと言うのは第八艦隊の旗艦である。


『海が碧く光ったと思ったら、消えてしまった。爆発等の確認はできていない』

「消えただと……!?」

『今も断続的に艦が消えている。被害は大きいぞ!』

『ちょっと待って、カティ! これって……!』


 イザベラが介入してくる。同じ映像を見ているのだろう。レベッカが息を飲む音も聞こえてきた。


『コーラスだ。ナイアーラトテップがコーラスを使ってる!』

『しかも、私たちのものとは、出力が段違いです』


 レベッカの声が上ずっている。


『……待って。これってまさか』

『あっちの四隻、M型じゃない!』

「なんだと……?」


 さすがのクロフォードも、肝を潰された気がした。


「こっちが囮だったか!」


 クロフォードは歯噛みした。ここにきてようやくアーシュオンの真の狙いが分かったのだ。

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