軋轢という名のもの。

 それから約五十時間後、クロフォードの乗る第七艦隊旗艦・空母ヘスティアはノトス飛行隊の支援を受けつつ対空戦闘に突入していた。航空機で足止めしておいて、M量産型ナイアーラトテップをぶつけてくるつもりであることは明白だった。現に今、四隻ものM型が接近してきている。距離はあるが、いよいよもって接触される頃合いが近付いてきていた。


 敵艦隊は一時期、ヘスティアを見失っていたのだ。それはヘスティアの持つ、強力な潜伏システムの能力である。クロフォードがヘスティアを単艦で航行させたのは、この能力に賭けたからであった。そして敵は、ヘスティアを見つけた以上、第八艦隊などにかまけているわけにもいかない。ヘスティアそれ自体が囮的行為であることは明白ではあっても、ヘスティア撃沈こそが主目的であるアーシュオンが追わざるを得ない状況を作り出したのだ。


 そして時期十分と見て、クロフォードはヘスティアの潜伏システムを解除した。その三十分後には対空戦闘が始まっていたという顛末である。敵の艦隊――しかも一個艦隊――は未だかなりの距離があり、現時点では警戒に値しない。M型ナイアーラトテップにしても、接触までは四、五時間かかるだろう。幸いにしてI型はいないようで、その点に関してだけは、クロフォードは神とやらに感謝した。


 制空戦闘に於いても、ナイトゴーントの姿は多数確認できていたものの、それでもノトス飛行隊の前にじりじりと数を減らされていた。エウロス飛行隊ほどには圧倒的ではないにしても、それでもやはり、ヤーグベルテの守護神の一角を担うだけの実力はあった。制空権に関してはもう大丈夫だろうとクロフォードは考えた。


「今や、四風飛行隊は艦隊随伴戦力として不可欠だ。海軍だの空軍だのと縦割り意識でやっている場合ではないだろう」

『四風飛行隊と艦隊を、一運用単位として統合することをお考えですか、提督』


 メインモニタの右上隅に映っているのはハーディだった。相変わらず無機的な表情で、コーヒーか紅茶かを飲んでいた。


「参謀本部長にも、海軍司令部にも進言はしているのだがな。結局組織の都合で有耶無耶だ」

『参謀本部長がノーと言うのなら、私にできることは限られています。私も組織人ですので』

「ふむ――」


 クロフォードは小さく唸りつつ、艦橋の脇を飛び去って行く味方機を目で追った。


「さしあたり、うちの艦隊の近くには、常にエウロスを置いておいてほしいのだが」

『どの提督もそう仰います』


 ハーディは眼鏡の位置を直しつつ、平坦な声でそう応じた。クロフォードは再び「ふむ」と顎を引く。


「ハーディ中佐、貴官個人の意見を聞きたい。六課としては、海軍と空軍がこんな意地を張り合うことに意味があると思うか」

『私個人の意見など。それはそうと提督。アダムス大佐がずいぶん荒れておいでですが。参謀部の指示を無視したとかなんとか』

「ははは、命令無視とはそれまた誤解だ、ハーディ中佐」


 クロフォードは飄々と言ってのける。


「では釈明のためにアダムスに連絡を取るとする。ではな」

『はい。ご武運を』


 ハーディはやや疲れたような表情で敬礼を送り、通信を切った。間髪を入れずに第三課――現在の作戦主幹――との回線を開く。すぐに髪をオールバックにした病的に痩せた男――アダムス大佐――が、メインモニタの右上の隅に表示された。クロフォードは提督席にて腕と足を組んで、モニタの方を見上げる。アダムスは唇を戦慄わななかせつつ、なんとか言葉を捻り出した。


『クロフォード提督。現状について説明願いたい』

「被害軽微にて状況を打開するために、ヘスティアの能力を使わせてもらった。現状、第七艦隊は第八艦隊司令官バーザック提督の指揮で動いている」

『そんなことはわかっています!』


 アダムスはヒステリックな声を上げた。クロフォードは唇を歪めて肩を竦める。


「冗談ではないのだ、アダムス大佐。貴官の指示は、俺の部下たちに順番に死ねと言っているようにしか聞こえなかった。そして俺は、それ以上にはマシな損害で済ます算段があった。しかし、貴官は一顧だにしようとはしなかった」

『何を! 提督は故意に参謀部からの指示を無視したということか! 軍法会議ものだ!』

「軍法会議もなにも、俺が死んだら意味もあるまい。それに、俺が死ぬという事は、とりもなおさずヘスティアも沈むという事だ」


 平然と言ってのける。もともと青白いアダムスの顔が、ほとんど白に近付いた。


『前線部隊が参謀部の指揮に従わないのでは、作戦が立てられない! ありえない! 私にさえ全てを隠して――』

「見苦しいぞ、アダムス大佐。貴官は俺の艦隊と第八艦隊を諸共に、生贄にしようとした。それもこれもT計画、あれで空軍側からアレコレ指図があったのだろうが」

『何を証拠に!』


 アダムスがいきり立つ。しかしクロフォードは泰然として、じっとアダムスの病的な顔を見つめている。


「アーシュオンに本艦の位置をリークし、おびきよせたまではまぁ、戦略の範囲として良しとしよう。だがな、貴様のような小物の指図で部下たちが殺されていくのは我慢ならんと言っている。貴様は我が艦隊になんという指示をした。順番に死ねと言ったのだぞ」

『そうとは言って――』

「黙れ、アダムス!」


 クロフォードが全く表情を変えぬままに、雷鳴のような声を発した。アダムスは口を開けたまま言葉を失う。


「アダムスよ、もう貴官の詭弁はたくさんだ。軍法会議? 上等だ。俺に喧嘩を売ると言うのなら受けて立とうじゃないか。お前の大好きな空軍様が助けてくれるかどうかは知らんがな」


 クロフォードは全く動揺の素振りも見せずに言い放つ。ちなみにヘスティアの外では、空軍所属のノトス飛行隊が八面六臂の活躍中である。


「ここ何年かで、貴官のおかげで我々海軍は随分と大きな損害を甘受してきた。海軍力はもはや、それだけでは立ち行かん。第一艦隊、第二艦隊。我々が今、頼れるのは、歌姫セイレーンたちだけなのだ」

『それはそもそも第六課が……』


 言いかけたアダムスを、クロフォードは睨みつけた。アダムスは再び口を開いたまま黙る。


「わからんか。今は海軍だの空軍だのと言っている場合ではない。歌姫ばかりに頼っているわけにもいかない。いつか大きな破綻を見ることになるぞ」

『なればこそのテラブレイカーですが』

「……よくわかった、アダムス。俺が帰ってもなお、貴官がその椅子に座っていられることを祈っておいてやる」

『私の権限があれば、あなたを更迭することすらできるのですが』

「なるほど」


 クロフォードは腕を組み替えた。


「なら、その書類でも作成しておくんだな」

『提督、話はまだ――』

「忙しいんでね」


 クロフォードは会話を強制的に終了させた。


 士官学校の教練代表主任の席でも用意してくれるというのなら、今の時代はちょうどいいのかもしれんなぁ――などと、クロフォードは心中独白する。


 そして提督席の受話器を持ち上げた。


「バーザック提督、暗礁地帯の居心地は如何ですか」

『なかなか良いな。我々と違って敵さんはこの辺りでは機動的には動けない』

「三個艦隊いるようですが、叩けますか?」

『何、今はまだ分散している。この海域にはクラゲどもは侵入できまい』


 だからこその暗礁地帯なのだ。クロフォードはメインモニタに映し出されている彼我の損害レポートを眺めながら「ええ」と頷いた。バーザックは機嫌のよさそうな声で続ける。


『君から借りた第七艦隊を無駄に減らすわけにはいかんな。君に睨まれるのだけは避けたいところだからな』


 バーザックの声には余裕があった。クロフォードは笑う。旗艦のすぐそばに敵の戦闘機が落着して爆発した。クロフォードは全く気にした様子もなく、会話を続ける。


「歌姫たちと合流したら即座に増援に向かいます。それまで持ちこたえてください」

『頼りにしている。さぁ、ダンスの時間だ。請求書はアダムス個人宛てで良いのだったかな?』

「トイレットペーパーの分まで請求してやってください。……ご武運を」


 クロフォードは静かに言って受話器を置いた。


「さて、敵に揺さぶりをかける。第一および第二艦隊との合流は後回しだ。バーザック提督の救援に向かう!」


 その宣言に、騒がしかった艦橋が静まり返った。クロフォードは不敵に笑い、言った。


「なぁに、全速力で、分散している敵艦隊の横を通り過ぎれば良い。それだけだ。こっちは単艦だ、身は軽いぞ」

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