指揮官エディタ・レスコ

 第一の目的は、M型ナイアーラトテップを殲滅すること。第二の目的は、新人V級、ハンナ・ヨーツセンの初陣をサポートすること。第三の、いや、副次的な目的は、C級たちの被害を少しでも抑えること。――エディタはそれらのことをよく理解していた。感情面でのモヤモヤはなくはなかったが、エディタはとにかく理性的だった。


「ハンナはあいつの相手は初めてだったな?」

『肯定です、先輩。論理戦闘で対処するのが一番だと習いました』

「その通りだ。だが、相手は六隻いる。どうする?」


 エディタの鋭い問いかけに、ハンナは詰まる。


「C級はあいつらに有効な打撃を与えられない。そしてあいつらの攻撃を受け止めることもほとんど不可能だ。どうする?」

『ええと……C級を囮にして各個撃破……? でもそれだと物理戦闘になってしまいます』

「そうだ。だがこの場合、それが正解だ」


 エディタは全火力を一斉射し、海面下数メートルの所で蠢いている六隻のM型に着弾させる。だが、その程度の攻撃では、ナイアーラトテップの分厚い防御を貫くことはできない。


「C級、七隻一組でM型を攻撃! チームは……今分担した通りだ。それぞれ相手を引きつけろ。私とハンナで各個撃破を行っていく。距離を誤って沈められるな!」


 実戦経験はわずかに一年。だが、エディタはもうすでに指揮官としての頭角を現していた。レベッカによる厳しい教育の成果だと、エディタは思っている。


『エディタ、上出来です。私はマイノグーラを撃滅した後、督戦に入ります。そのつもりで』


 手助けはしない宣言、か。エディタはレベッカの鬼もくような教育方針を思い、大きく深呼吸をした。幾らなんでも無傷で済むとは思えない。何隻かは沈められ、何十人かは死ぬだろう。その中には歌姫セイレーンもいるに違いない。それはとりもなおさず、同級生や後輩の死を意味する。自分の指揮で、あの子たちの誰かが死ぬのだ――エディタは唇を噛む。


 だが。


 エディタは首を振る。


 今は後悔するタイミングじゃない。今は戦う時だ。


「ハンナ、やるぞ。相手もセイレネス使いだ。かなりのが来る。覚悟しておけ」


 反動、つまり、だ。特殊な音域、特殊な音圧を持った何か。それは容易く精神に作用し、場合によっては急性薬物中毒のような症状をもたらす。強力な向精神薬を過剰摂取オーバードーズするようなものだ。その影響は敵味方問わずに発揮され、そのため、そのは一般市民の間にも広く行き渡っていた。もちろん、文字通りにリスクなくするためである。


「まずはマークした一隻を沈める。行くぞ、ハンナ!」

『り、了解です!』


 ハンナは重巡洋艦アルネプの火力を総動員し、M型の一隻を集中攻撃した。その雷撃のような攻撃が次々とM型の基部に炸裂していくが、完全には防御を貫くことはできなかった。ハンナに気が付いたそのM型が、進路を変えて猛然と向かってくる。触手による物理攻撃で、一気に片を付けようというつもりのようだった。


『せ、先輩ぃぃっ!』

「取り乱すな!」


 叱咤し、エディタが放ったモジュール・ゲイボルグがそのM型を叩き割った。轟沈には至らなかったあたり、これを操作している歌姫セイレーンは相当な実力者なのだろう。


「ハンナ、とどめだ」

『はいっ』


 アルネプが対潜ミサイルを撃ち放ち、それによりM型は完全に沈黙した。


 見事だとエディタは賞賛する。ナイアーラトテップとは初対面であるにもかかわらず、実に的確な攻撃を行っていた。判断が遅いことや、予期せぬ事態への対応が鈍いことはマイナス評価にならざるを得なかったが、それは指揮官次第でどうにでもカバーできる問題だった。ハンナは指揮官には向かないが、一兵士としては恐ろしく強大な戦力としてカウントできそうだった。


「二隻目行くぞ、休んでいる暇はない!」

『は、はいっ!』

「今ので手の空いた七名はほかの班の支援に回れ!」


 C級の歌姫たちが歌い続けている。C級は一人では、ナイアーラトテップ戦の戦力にはならない。だが、文字通りのクワイアとしての合唱コーラスを行うことによって、その脆さをカバーし合うことができる。数がいれば、指数関数的に強さを増す、それが「コーラス」という連携技術である。


「ハンナ、一隻を独力で沈めろ。二発で仕留めるんだ」

『りょ、了解です』


 アルネプが主砲を一斉射すると同時に、アルネプの艦体が薄緑色に輝いた。その直後、二千メートルの距離にあったM型の一隻の基部が輝き、爆発した。巨大な水柱が打ち上がり、周囲の海面をささくれ立たせた。


『やった……!?』

「まだだ、油断するな!」


 反応が消えていない。セイレネスを研ぎ澄ませば、アレがほとんど無事なことくらいはわかるはずだ。だが、ハンナにはまだ上手く扱いきれていないようだ。そこでエディタは気付く。C級を追いかけ回していたうちの二隻が、急にアルネプへと進路を変えたのだ。


「まずい」


 エディタの重巡・アルデバランからの砲撃が、三隻のM型を直撃する。手応えはあったが、致命弾にはなっていない。エディタは舌打ちする。


「ハンナ、はやくそいつを沈めろ!」


 エディタは言いながら、対艦ミサイルを撃ち放つ。それは強引に海中にねじ込まれ、M型の基部に突き立ち、爆ぜる。薄緑色の粒子のようなものが舞い散り、気体爆薬サーモバリックのように一斉に着火する。海から叩き出された二隻のクラゲが、空中で激しく爆発し、自重に耐えられずに崩壊していく。


 その間に、ハンナもまた手負いの一隻を沈めていた。残り二隻――。


 味方の歌姫のが上がる。エディタは下唇を噛み首を振った。遠くで囮になっていた駆逐艦が沈められた。続けざまにコルベットも沈む。ほとんど無抵抗のうちに物理的に粉砕されてしまっていた。二隻は激しい誘爆を起こす。蒼穹が黒く焼け焦げる。


「ハンナ、論理戦闘で速攻で片を付ける、いいな」

『了解です』


 エディタの脳内にブンという低い音が介入してくる。それと共に、エディタとハンナは、論理空間へと投げ出された。


 その空間には、最初は光も闇も何の概念もない。地面も天井もない。だが、そこにエディタやハンナという観測主体が入ることで、地面と白い背景色が作り上げられる。世界が無から白へと変わる。永遠に続く白い床は、それ故に世界を全て白く染めていた。空気遠近法なんて存在しない世界である。白は永遠に白なのだ。


 エディタとハンナは互いの存在を確認し、そして二人の黒髪の少女の存在を認めた。少女の大きさから判断して、距離は三十メートル前後。エディタは自動小銃、ハンナは巨大な対物ライフルを持っていた。対する少女たちは、両手に拳銃を持っているのみだ。


「押し切るぞ、ハンナ」


 エディタはそう言うなり、駆け出した。後ろからハンナがライフルを撃ち放ってくる。銃火器の扱いは学んできたし、シミュレータでも体験済みだ。だから扱いには困らない。しかし――。


「ハンナ、よく狙え! 相手は殺す気で来てるんだぞ!」


 ハンナは、一発目も二発目も大きく外した。その原因はエディタには分かっている。顔の見える相手を直接殺すことになるという事実に、ハンナは怖気おじけづいたのだ。


「う、撃てません、先輩……!」

「お前は、敵を生かして味方を殺すつもりか!」

「そんなことは」

「お前がやらなければ私が死ぬかもしれない。私が死ねばお前も死ぬ。私たちが死ねば、C級も少なからず死ぬだろう!」


 エディタは壁を立てて銃撃をやり過ごしながら怒鳴る。それにそもそも、こんなところで悠長に時間をかけている場合でもない。はやく物理世界の方に戻らなければ、C級たちの状況がわからない。それが不安だった。


「やれ、ハンナ! その手を血で汚せ!」


 エディタは壁を消した。二人の敵の前に、エディタの身体が晒される。少女たちは躊躇いもなくエディタに銃口を向けた。エディタは銃を構えない。


 少女たちの拳銃が火を噴いた。エディタはその直前に身体を捻っていた。連射された弾丸の数発がエディタを掠めたが、かすり傷だ。アルデバランが受ける物理的なダメージも大したものにはならないだろう。


 身を低くしたエディタの頭上を一発の大口径弾が貫いていく。それは少女の一人の頭部を吹き飛ばした。顔面が砕け、頭蓋骨が破裂し、脳漿が飛び散った。噴き上がる鮮血が白一色の世界を真っ赤に塗り潰していく。


 エディタが体勢を立て直す前に、もう一人の少女が銃口をエディタに向けた。エディタは咄嗟に壁を打ち立てて、その弾丸を弾き返す。


「先輩、伏せて!」


 ハンナの鋭い声が響く。エディタは指示に従って身を伏せた。エディタが立てた壁が轟音と共に煙を上げて砕け散る。少女のくぐもった悲鳴が聞こえた。


 エディタは立ち上がり、半ば砕けた壁の向こうを覗き見た。右腕を吹き飛ばされた少女が、左手の拳銃をエディタに向ける。しかし、エディタの動きの方が速かった。エディタの手にした自動小銃が、少女の顔面を幾度も撃ち貫いた。


 ハンナがエディタの隣に並んだちょうどその時、二人の少女の遺体はブロックノイズと化して消滅した。


「よくやった、ハンナ」


 エディタはそう労わったが、ハンナの表情は硬かった。この白い世界から抜け出す時にもまた、ハンナは何も言わなかった。

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