諦観

 大勝利――。


 ネットをはじめ、あらゆる情報媒体がその戦闘の結果をそのように讃えた。トリーネ・ヴィーケネスという貴重なヴォーカリスト級と、それ以上に貴重な重巡洋艦レグルスを丸ごと喪失したことは、反歌姫派の軍人や市民グループからの轟々たる非難には晒された。しかし、その損害を生んだのは、I型と呼ばれるナイアーラトテップの新型機であったことや、そのISMTインスマウスにも並ぶ破壊力は全くの想定外であったことから、メディアや軍司令部の見解は、「やむなし」であった。


 その一方で、クワイア級の損失については、イザベラ・ネーミアは大いに責められた。歌姫セイレーンのみに関して言えば、戦死および行方不明が八名、負傷者も同じく八名に達した。艦艇の乗組員に至っては三百名以上が死傷するに至ってしまった。これらの損害については、イザベラがまともに戦っていれば間違いなく防げたはずだと結論された。だがしかし、議会の聴聞会に於いて、イザベラはこう言い放つ。


 わたしは永遠ではない――と。


 それにいち早く賛同したのは、誰あろう、エドヴァルド・マサリク大統領その人だった。リチャード・クロフォード准将もまた、イザベラの弁護に回る。


 その結果、メディアのほとんどはあっさりと掌を返した。それは当事者であるイザベラやエディタも些か不審がるほどに、あまりにも鮮やかな論調の転換であった。もっとも、ヤーグベルテの損害は少なくはなかったものの、アーシュオンに与えた被害も巨大なものがあったのだから、その評価こそが妥当なものだった――と言えなくもない。それにしても、メディアはもとより世論そのものが音もなく密やかに大きな変化を起こしたという事実に対しては、イザベラたちは居心地の悪い不気味さを感じざるを得なかった。


 レベッカの邸宅にて、軟禁を解かれたばかりのイザベラが口の端を上げながら、持参したワインを、テーブルの上に置かれたグラスに注いでいる。イザベラはここでもあのサレット状のマスクを被っているため、口元以外からは何の情報も得られない。


「あれほどわたしを叩いていたニュースメディアがこぞって賞賛に回るとか、いったい何のジョークだよって思うけどさ」

「私に対するお咎めも一切なし。なんかイヤな空気よね」


 イザベラのはす向かいに座っているレベッカは、ワインと見間違えるようなデザインのブドウジュースを氷を一杯に入れたグラスに注ぐ。


「でもヴェ……じゃなかった、イズー。私は、死ななくても良かった子をみすみす殺してしまったように思えてならないのよ」

「その考えは違うよって、何度も言ったよね」


 グラスに口を付けながら、イザベラが低い声で言う。レベッカは首を振り、テーブルに置かれたままのグラスに目をやった。


「わかってるのよ、あなたの言いたいことは。でも、私はあの子たちのことをよく知っている。私たちの部下とか言う以前に、私たちのファンだったのよ。その子たちに――」

「だったらさ」


 イザベラはそう言ってワインを喉に流し込む。こくん、と、白い喉が動く。サレット越しの瞳は、影を帯びてくらかった。


「だったら、きみが飛び出してくればよかったんじゃない?」


 その一言に、レベッカは臓腑を抉られる。思わず言葉を忘れ、唇がただ震える。グラスを持ち上げた手は力を失う。ジュースの水面を揺らしながら、グラスはテーブルに戻った。


「きみは昔からそうだよね。わたしがノーと言わないのを知っていて、きみは常にノーをつきつけるんだ。それはもちろん悪いことじゃないけど、でもね、その後きみが何かをするのかというと、何もしない」

「そ、それ、は……」

「わたしはね、きみがノーと言うのを知っている。だから、敢えてゴーと言う。でもね、それは反発でもない。闇雲なものでもない。わたしなりの結論なんだよ、ベッキー」

「私だって……!」

「理念を持ってると言いたい? うん、知ってるよ。でもね、それは甘い。まったくもって、甘い。だから、結果として、そのきみの優しさにみんなが甘えるんだ」


 舌鋒鋭くイザベラは言い放ち、その言説はレベッカの心に次々と突き刺さる。


「きみは優しかった。だけど、この前の戦闘での被害の幾らかは、きみのその優しさが生んだものだ」

「そんな……!」

「あの子たちは甘えていたんだ、きみの優しさに。だから、その結果として、あんなM型ごときに十六人も死傷させられた。いいかい、わたしたちは艦隊の司令官なんだ。あの子たちの保護者じゃない」


 イザベラはグラスに口を付ける。天井灯を反射して、唇が赤く光る。


「でもヴェーラ!」

「イザベラ」

「いいのよ、どっちでも!」


 レベッカは思わず立ち上がった。イザベラは冷たい色の瞳でそんなレベッカを見上げ、小さく肩を竦める。


「私たちは艦隊司令官でしょう!? だったら、命の責任だって――」

「あるよ、そりゃ」


 イザベラはゆっくりとした動作で腕を組んだ。


「無駄に殺さないこと。無駄死にはさせないこと。その責任はあるよ」

「違うってば!」


 レベッカは右腕を大きく振った。イザベラは「あっ」と声を上げて、ポケットから薬を取り出して飲んだ。レベッカは肩で息をしながら、そんなイザベラを睨みつけている。その目は少し潤んでいた。


「まぁ、落ち着こうよ、ベッキー。わたしだって死なれるのは嫌だよ。知った顔に死なれるのは本当にこたえる。まして、わたしたちより断然若い子たちが死ぬんだ。きつくないはずがないだろう? でもね――」


 イザベラはワインを注ぎ、一息で飲み干した。


「わたしたちはもっと大局を見なきゃならない立場なんだ。わたしたちという存在がなぜ発生して、なぜこうしているのか。いつまでもアーシュオンと戦い続けなけりゃならないのか。わたしたちはいつまで人間兵器でいなければならないのか」

「でも、だけど、私は――」


 釈然としない様子のレベッカだったが、イザベラは言葉を差し挟ませない。


「きみの気持ちはわかる。救えたのにという気持ちだってわかる。でもね、きみだって何もしなかったよね、結局。それはね、わたしがそう言ったからじゃない。きみがきみなりに考えた結果なんだ。その結果、何もしなかった。ちがう?」

「ちがわない……けれど」


 レベッカは渋々ながらその指摘を認めた。あの戦場では確かに、イザベラの言葉に一理あると思ったのだ。


「だったらね、認めるんだ。わたしの判断と、きみの決断が、正しかったことをね」

「言えない」


 レベッカは唇を噛み、そして力なくソファに戻った。


「言えないわ」

「良いのさ、それならそれで」

「わかってはいるのよ。あなたは正しい。あの場のあの判断の是非は私の決められることじゃないわ、もうすでに。でも、大局的、ううん、私たちの未来のためには、あなたのその価値判断は最良だった。そう言わざるを得ないわ」

「そうさ」


 イザベラは目を伏せた。それでようやくレベッカは、その視線の束縛から解放される。大きく息を吐く。胸の奥に溜まって固まった何かが、ようやく砕けて消えて行った。


「それでいいんだ、ベッキー。わたしたちは時として悪魔のようにふるまわなければならないのさ。そしてそれは、わたしたちにしかできない役割ロールなんだ」


 イザベラのその言葉は、深い諦観に満ちていた。


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